グランプリの第69回有馬記念。ドウデュースは右前脚の痛みのために歩行のバランスを欠いたので出走取消となり15頭。
発馬後に押していったべラジオオペラが前に出ましたが,内から追い抜いたダノンデサイルの逃げになり,控えたべラジオオペラは2番手に。2馬身差でスターズオンアース。4番手にディープボンド。その後ろはレガレイラとスタニングローズの併走となり,7番手にアーバンシック。その後ろはブローザホーンとジャスティンパレスとシャフリヤール。11番手にローシャムパーク。その後ろがシュトルーヴェとハヤヤッコ。14番手がプログノーシスで最後尾にダノンベルーガ。前2頭の隊列が決まったので1周目の正面に入るところで2番手と3番手の差は詰まりました。コーナーから向正面にかけてハヤヤッコが上昇していったので,3番手がディープボンド,4番手にスターズオンアースとハヤヤッコとなりました。超スローペース。
3コーナーではダノンデサイル,べラジオオペラ,ディープボンド,ハヤヤッコの4頭が雁行となり,その後ろがレガレイラとスタニングローズとシャフリヤールで併走。ディープボンドとハヤヤッコはコーナーで苦しくなり,内を回ったレガレイラが直線の入口でべラジオオペラの外に出て単独の3番手。外から捲り上げてきたシャフリヤールがレガレイラと並んで伸び,ダノンデサイルを差して競り合ったままフィニッシュ。写真判定となり優勝はレガレイラ。シャフリヤールがハナ差で2着。ダノンデサイルが1馬身半差の3着でべラジオオペラが半馬身差で4着。
優勝したレガレイラはホープフルステークス以来の勝利で大レース2勝目。今春は皐月賞,ダービーと牡馬のクラシック路線を走り,秋はローズステークスからエリザベス女王杯と牝馬路線に転戦。いずれもそこまで大きくは負けなかったのですが,勝ち負けというところまではいきませんでした。ここで復活ということになったのですが,昨年も暮れに大レースを制しているように,時期的なものも関係したかもしれません。父は古馬になってから活躍した馬ですから,これから大成するということもあるでしょう。父はスワーヴリチャード。祖母の父がダンスインザダーク。3代母がウインドインハーヘア。従兄が今年のセントライト記念と菊花賞を勝っている現役のアーバンシックで従姉が今年の桜花賞を勝っている現役のステレンボッシュ。Regaleiraはポルトガルのシントラにある宮殿。
騎乗した戸崎圭太騎手は皐月賞以来の大レース22勝目。第59回以来となる10年ぶりの有馬記念2勝目。管理している木村哲也調教師は秋華賞以来の大レース12勝目。第67回以来となる2年ぶりの有馬記念2勝目。
ステノNicola Stenoがバチカン写本の一部をチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausから読ませてもらったのだとしても,その全部を最初から入手したのだとしても,難点が残ることになってしまいます。なのでその部分については僕は推測しきれません。ただ,どちらの場合にしても,バチカン写本をステノに見せてしまった後に,チルンハウスはステノはそれに値する人物ではなかったということに気付いたのだと思います。これは要するに,ステノがカトリックの熱心な信者であるということを知ったという意味です。だからチルンハウスは,スピノザの遺稿集Opera Posthumaの発刊が準備されているということについてはステノには語らなかったのだし,ましてその具体的な内容,つまり編集者がだれでありまた編集者たちがどこで作業をしているのかなどということは教えなかったのです。バチカン写本を異端審問の機関に提出したくらいですから,それが発行されるのかどうかということにもステノは関心をもった筈ですし,関心をもったならばそのことをチルンハウスに訊いた可能性が圧倒的に高いと僕は思います。それに対してチルンハウスは素知らぬふりをしたというのが僕の推測です。実際にかつてホイヘンスChristiaan Huygensから,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』以外にスピノザが書いたものを知らないのかと尋ねられたチルンハウスは,バチカン写本を所持していたにもかかわらず『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』以外には知らないと答えたということが書簡七十には書かれているということはすでに指摘しておいた通りですが,最初はライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに対して抱いたのと同じような思いをステノに対して抱いていたチルンハウスは,後にはホイヘンスに対して抱いた思いを抱くようになったということです。
ステノは9月4日に上申書を異端審問所に提出したのですが,バチカン写本を提出したのは9月23日であったとされています。なぜ同日でなかったのかははっきりとした理由が分かりません。バチカン写本に関してはさらに内容の精査が必要であったとしても,すでに提出した上申書の中に,その中に含まれている思想は感染性が高い疾病のようなものであると書かれている以上,精査すること自体に何か意味があったというようには思えないからです。
発馬後に押していったべラジオオペラが前に出ましたが,内から追い抜いたダノンデサイルの逃げになり,控えたべラジオオペラは2番手に。2馬身差でスターズオンアース。4番手にディープボンド。その後ろはレガレイラとスタニングローズの併走となり,7番手にアーバンシック。その後ろはブローザホーンとジャスティンパレスとシャフリヤール。11番手にローシャムパーク。その後ろがシュトルーヴェとハヤヤッコ。14番手がプログノーシスで最後尾にダノンベルーガ。前2頭の隊列が決まったので1周目の正面に入るところで2番手と3番手の差は詰まりました。コーナーから向正面にかけてハヤヤッコが上昇していったので,3番手がディープボンド,4番手にスターズオンアースとハヤヤッコとなりました。超スローペース。
3コーナーではダノンデサイル,べラジオオペラ,ディープボンド,ハヤヤッコの4頭が雁行となり,その後ろがレガレイラとスタニングローズとシャフリヤールで併走。ディープボンドとハヤヤッコはコーナーで苦しくなり,内を回ったレガレイラが直線の入口でべラジオオペラの外に出て単独の3番手。外から捲り上げてきたシャフリヤールがレガレイラと並んで伸び,ダノンデサイルを差して競り合ったままフィニッシュ。写真判定となり優勝はレガレイラ。シャフリヤールがハナ差で2着。ダノンデサイルが1馬身半差の3着でべラジオオペラが半馬身差で4着。
優勝したレガレイラはホープフルステークス以来の勝利で大レース2勝目。今春は皐月賞,ダービーと牡馬のクラシック路線を走り,秋はローズステークスからエリザベス女王杯と牝馬路線に転戦。いずれもそこまで大きくは負けなかったのですが,勝ち負けというところまではいきませんでした。ここで復活ということになったのですが,昨年も暮れに大レースを制しているように,時期的なものも関係したかもしれません。父は古馬になってから活躍した馬ですから,これから大成するということもあるでしょう。父はスワーヴリチャード。祖母の父がダンスインザダーク。3代母がウインドインハーヘア。従兄が今年のセントライト記念と菊花賞を勝っている現役のアーバンシックで従姉が今年の桜花賞を勝っている現役のステレンボッシュ。Regaleiraはポルトガルのシントラにある宮殿。
騎乗した戸崎圭太騎手は皐月賞以来の大レース22勝目。第59回以来となる10年ぶりの有馬記念2勝目。管理している木村哲也調教師は秋華賞以来の大レース12勝目。第67回以来となる2年ぶりの有馬記念2勝目。
ステノNicola Stenoがバチカン写本の一部をチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausから読ませてもらったのだとしても,その全部を最初から入手したのだとしても,難点が残ることになってしまいます。なのでその部分については僕は推測しきれません。ただ,どちらの場合にしても,バチカン写本をステノに見せてしまった後に,チルンハウスはステノはそれに値する人物ではなかったということに気付いたのだと思います。これは要するに,ステノがカトリックの熱心な信者であるということを知ったという意味です。だからチルンハウスは,スピノザの遺稿集Opera Posthumaの発刊が準備されているということについてはステノには語らなかったのだし,ましてその具体的な内容,つまり編集者がだれでありまた編集者たちがどこで作業をしているのかなどということは教えなかったのです。バチカン写本を異端審問の機関に提出したくらいですから,それが発行されるのかどうかということにもステノは関心をもった筈ですし,関心をもったならばそのことをチルンハウスに訊いた可能性が圧倒的に高いと僕は思います。それに対してチルンハウスは素知らぬふりをしたというのが僕の推測です。実際にかつてホイヘンスChristiaan Huygensから,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』以外にスピノザが書いたものを知らないのかと尋ねられたチルンハウスは,バチカン写本を所持していたにもかかわらず『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』以外には知らないと答えたということが書簡七十には書かれているということはすでに指摘しておいた通りですが,最初はライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに対して抱いたのと同じような思いをステノに対して抱いていたチルンハウスは,後にはホイヘンスに対して抱いた思いを抱くようになったということです。
ステノは9月4日に上申書を異端審問所に提出したのですが,バチカン写本を提出したのは9月23日であったとされています。なぜ同日でなかったのかははっきりとした理由が分かりません。バチカン写本に関してはさらに内容の精査が必要であったとしても,すでに提出した上申書の中に,その中に含まれている思想は感染性が高い疾病のようなものであると書かれている以上,精査すること自体に何か意味があったというようには思えないからです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます