スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

メルボルンカップ&「あのこと」の意味

2016-11-01 19:15:35 | 海外競馬
 日本時間で午後1時の発走だった,オーストラリアのフレミントン競馬場でのメルボルンカップGⅠ芝3200m。
 カレンミロティックは発馬後の加速がほかの馬より鈍く,発走直後はやや遅れをとりました。しかし押さえた馬が多かったのに対し,あまり控える姿勢をみせなかったので,徐々に位置取りを上げていき,発走後の長い直線の中途で一旦は先頭に。その後,外から1頭が上がってくるとそれを行かせて内に入り,逃げ馬の直後になりました。前の5頭が後ろと差を開くレースで,順位には変動があったものの,ずっとその位置からのレース。この馬の位置取りとしては最高だったのではないかと思います。3コーナーでは3番手。ですがこのコーナーの途中から騎手の手が動き出し,さらに鞭も入りましたが追走に汲々となり,勝負からは脱落。直線はそこまでの動きからすればわりと粘ったようには思いますが,最終的には24頭立ての23着。最下位の馬は途中からレースに参加していませんので,実質的には最下位といっていいでしょう。
 位置取りとしてはほぼ完璧でこの着順ですから,力が足りなかったというほかないでしょう。日本での成績からはこういうケースも十分に想定はでき,それも覚悟の上での遠征であったのではないかと思います。

 ファン・ローンJoanis van Loonが「レンブラントの生涯と時代」を書き始めたのはおそらく1669年12月で,どんなに早くても10月中旬以降です。暗殺未遂があったのは1656年8月ですから,そのときの会話をローンが克明に記憶していたとは考えづらいです。ですが,スピノザが破門のことを「あのこと」と表現したのは,その通りではなかったとしても,「破門」ということばそのものではなかったのは確かだと僕には思えます。そうでないとわざわざ「あのこと」などとローンが書く理由がないからです。つまり「破門」と書けばいいところを別のことばで記述したのですから,スピノザもそういうニュアンスの表現をしたのだと思うのです。
                                     
 するとスピノザは「あのこと」と言うことでそれがどのことなのかローンは理解すると思っていたことになるでしょう。つまりスピノザがそういうことばを用いたという点は,スピノザの前提として,ローンは自分が破門されたことを知っていると思っていたという根拠になるのです。そしてローンはこのことばの後,スピノザとローンは煙草を吸いながら,思想の相違によって暗殺を企てるとは奇妙な世の中になったものだという主旨の話をしたと続けています。したがって,ローンはただスピノザが破門されたということだけを知っていたのではなく,なぜスピノザが破門されなければならなかったのかということも,ある程度は知っていたことになります。なぜならスピノザが襲われなければならなかった理由が,スピノザに説明されなくてもローンには分かっていたことになるからです。そしておそらくスピノザは,ローンがそういう事情まで知っていると思っていたのです。ですから「あのこと」ということばの中には,そういう意味まで含まれていると解しておくべきでしょう。
 これでもまだ清水の主張は成立する余地を残しています。スピノザはユダヤ人に襲撃されたということをローンに教えてしまうと,ローンは必ず破門のことに触れるだろうから,それを秘匿したと解せるからです。ただしこれは逆にいえばそれを教えさえしなければ破門に触れられることはないだろうとスピノザが確信していないと成立しません。
コメント
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