10月30日の午後に鶴林寺で指された第6回加古川青流戦決勝三番勝負第三局。
振駒で井出隼平四段の先手になりノーマル三間飛車。石川優太奨励会三段の出方をみて藤井システム風の戦型になりました。
ここはいきなり☗4五歩と突く手もあるかと思いますが☗4八飛と回りました。三間飛車と四間飛車では有力な指し方が多少は変わる筈で,先手は飛車も使うためにはこの場合にはこの方がいいかもしれません。
後手は☖5五歩と突きました。このまま☖5四銀と上がられてはいけませんから☗4五歩は当然でしょう。後手もこれは取れないので☖2四角と上がって牽制しました。
☗4四歩と取り込んで後手は☖同金と取りました。☗4五歩と押さえられた場合にはこちらの方がよいとみたのではないかと思います。先手も4筋は押さえず☗5八金右で角成を受けました。そこで☖6四歩と突いていますがこれは大局を見誤った手であったようです。先手は☗2六歩と角を攻める手をみせました。後手は☖5一角ですがこれは☖6四歩との関連性が薄そうです。
☗4七銀☖5四銀☗4五歩☖4三金☗4六銀と盛り上がって第2図。
ここは先手の作戦勝ちでしょう。ここまでの二局は石川三段が序盤でリードして,それでもどちらも激戦になりました。なので井出四段が序盤でリードしてしまえば,相当に有利になったといえるのではないでしょうか。
2勝1敗で井出四段が優勝。今年の4月に四段昇段ですからプロ入り約半年で棋戦初優勝となりました。
どんな意味で解そうと,スピノザ哲学では優越性は排除されます。ですからそれがどういう哲学的概念であるのかは『エチカ』では語られません。ではスピノザが優越性という概念notioを哲学的にどのように解しているかといえば,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第一部公理八の直後に示されています。そこでスピノザは,「優越的にeminenter」ということを,原因causaが結果effectusそのものの実在性realitasをより完全に含む場合のことと解するintelligereとしています。これは「解する」という文言自体から,その定義Definitioであるとみなすことができます。よって哲学的概念としての優越性を,ここではその通りに解釈することにします。一般的に哲学的概念としてどのように用いられているのかということを検討する必要はなく,むしろスピノザがそれをどのように解しているのかということの方が重要だからです。
これが哲学的概念としての優越性であるのなら,書簡五十五でフーゴー・ボクセルHugo Boxelがこの語を用いたときに,『スピノザ往復書簡集Epistolae』の訳者である畠中が訳注として付した,より広義な意味というのは,ふたつのパターンがあると想像できます。ひとつは,原因が結果に対して含むものが,実在性とは限定できないような場合です。たとえば結果の特質proprietasを原因がより完全に含んでいるなら,原因が結果に対して優越的であるといわれるようになる場合です。もうひとつは,実在性がより完全に含まれる場合が,因果関係を捨象していわれる場合です。すなわちAがBの実在性をより完全に含むなら,AとBの間に因果関係があるかないかを問わずに,AはBに対して優越的であるといわれる場合です。
ボクセルのいい回しは,哲学的概念だけでも成立していると僕は考えます。しかしそうであったという保証はありません。ボクセルが神Deusと人間の実在性だけを考慮してそのようにいっていると断定できる材料はありません。神と人間の間に因果関係があるということを考慮していると断定できる材料もありません。なので広い意味は,これらふたつのパターンの両方を含んでいる場合としておきます。両方を含ませておけば,考察の結論はどちらの場合にも妥当するという利便性のための手段と理解してください。
振駒で井出隼平四段の先手になりノーマル三間飛車。石川優太奨励会三段の出方をみて藤井システム風の戦型になりました。
ここはいきなり☗4五歩と突く手もあるかと思いますが☗4八飛と回りました。三間飛車と四間飛車では有力な指し方が多少は変わる筈で,先手は飛車も使うためにはこの場合にはこの方がいいかもしれません。
後手は☖5五歩と突きました。このまま☖5四銀と上がられてはいけませんから☗4五歩は当然でしょう。後手もこれは取れないので☖2四角と上がって牽制しました。
☗4四歩と取り込んで後手は☖同金と取りました。☗4五歩と押さえられた場合にはこちらの方がよいとみたのではないかと思います。先手も4筋は押さえず☗5八金右で角成を受けました。そこで☖6四歩と突いていますがこれは大局を見誤った手であったようです。先手は☗2六歩と角を攻める手をみせました。後手は☖5一角ですがこれは☖6四歩との関連性が薄そうです。
☗4七銀☖5四銀☗4五歩☖4三金☗4六銀と盛り上がって第2図。
ここは先手の作戦勝ちでしょう。ここまでの二局は石川三段が序盤でリードして,それでもどちらも激戦になりました。なので井出四段が序盤でリードしてしまえば,相当に有利になったといえるのではないでしょうか。
2勝1敗で井出四段が優勝。今年の4月に四段昇段ですからプロ入り約半年で棋戦初優勝となりました。
どんな意味で解そうと,スピノザ哲学では優越性は排除されます。ですからそれがどういう哲学的概念であるのかは『エチカ』では語られません。ではスピノザが優越性という概念notioを哲学的にどのように解しているかといえば,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第一部公理八の直後に示されています。そこでスピノザは,「優越的にeminenter」ということを,原因causaが結果effectusそのものの実在性realitasをより完全に含む場合のことと解するintelligereとしています。これは「解する」という文言自体から,その定義Definitioであるとみなすことができます。よって哲学的概念としての優越性を,ここではその通りに解釈することにします。一般的に哲学的概念としてどのように用いられているのかということを検討する必要はなく,むしろスピノザがそれをどのように解しているのかということの方が重要だからです。
これが哲学的概念としての優越性であるのなら,書簡五十五でフーゴー・ボクセルHugo Boxelがこの語を用いたときに,『スピノザ往復書簡集Epistolae』の訳者である畠中が訳注として付した,より広義な意味というのは,ふたつのパターンがあると想像できます。ひとつは,原因が結果に対して含むものが,実在性とは限定できないような場合です。たとえば結果の特質proprietasを原因がより完全に含んでいるなら,原因が結果に対して優越的であるといわれるようになる場合です。もうひとつは,実在性がより完全に含まれる場合が,因果関係を捨象していわれる場合です。すなわちAがBの実在性をより完全に含むなら,AとBの間に因果関係があるかないかを問わずに,AはBに対して優越的であるといわれる場合です。
ボクセルのいい回しは,哲学的概念だけでも成立していると僕は考えます。しかしそうであったという保証はありません。ボクセルが神Deusと人間の実在性だけを考慮してそのようにいっていると断定できる材料はありません。神と人間の間に因果関係があるということを考慮していると断定できる材料もありません。なので広い意味は,これらふたつのパターンの両方を含んでいる場合としておきます。両方を含ませておけば,考察の結論はどちらの場合にも妥当するという利便性のための手段と理解してください。