ブル・中野を破って全日本女子プロレスのトップに立ったのはアジャ・コングです。僕の女子プロレスキャリアのうち,ライブ観戦をしていた時期はかなり限られますが,前半が中野の時代で,後半はアジャの時代でした。
アジャはクラッシュギャルズに憧れてレスラーになったのですが,1970年代の後半,アジャがまだ5歳から6歳の頃,先に全日本プロレスを観ていました。女子プロレスはその後で観たのですが,ビューティペアがリング上で歌っていて,激しい違和感を覚えたそうです。この回顧からも分かるように,プロレスか女子プロレスかの二者択一では,プロレス派に属します。クラッシュギャルズに対する憧憬も,女子プロレス派のライオネス・飛鳥はさほど目に入らず,プロレス派の長与千種の方に注目していたのだそうです。
長与に憧れて女子プロレスラーになったので,会社からの命令で極悪同盟に入れられたときには絶望しかなかったと言っています。極悪同盟では中野の付き人でした。ただし中野は付き人に無理強いをするような選手ではなく,練習でしごかれたというようなこともなかったようです。中野はヒールであっても最後は凶器ではなく技で見せる,決めるというのがモットーで,その点には大きな影響を受けました。極悪同盟のトップだったダンプ・松本が引退した後,中野は獄門党という一派を結成します。メンバーは松本が抜けた以外はあまり変わらなかったのですが,中野のモットーはダンプのそれとは異なりました。ここからアジャは自分で考えてプロレスをしていくようになります。
アジャがユニバーサルプロレスに出場し始めると,中野とアジャの間で感情的な対立が芽生え始めました。バイソン・木村が獄門党を脱退したのを機にアジャも脱退。アジャと木村はジャングルジャックを名乗り,獄門島の中野とヒール同士で争うことになります。このときから2年間,中野とアジャは会話を交わすこともなかったとアジャは述懐しています。ふたりの間で和解があったのは,アジャが中野を倒したその日だったそうです。
第一部定理二八にせよ第二部定理九にせよ,無限定に進むとか無際限に進むといわれるべきところを無限に進むといわれている点では同じです。しかし,もしこれが無限定にとか無際限にと表記されていたとしても,事柄の真理性という観点からすると,不条理が含まれています。というのは,有限なfinitum様態modusのことを個物res singularisというのですから,有限finitumであるものが無際限にあるいは無限定に連鎖していくというのは,不条理であると考えられるからです。
このことは,河合は示していませんが,僕が持続duratioについて示したことからより明瞭に理解できると思います。第二部定義五にあるように,持続とは存在の無限定な継続Duratio est indefinita existendi continuatioであり,これも僕が示したように,僕たちは持続というのをこのような仕方でしか認識するcognoscereことができません。ですが,存在existentiaの開始と終焉があるものだけが持続するdurareといわれるという点に着目するなら,持続しているある事物について,その存在は無限定であるとか無際限であるというのは不条理でしょう。たとえば僕の存在は無限定に継続するという命題は,明らかに偽の命題といわざるを得ないからです。逆にいうなら,僕たちはこの種の命題が偽の命題であるということを知りつつ,持続に関しては,存在の無限定な継続であるとしか定義Definitioのしようがないのです。
このことが,一般に第三の規定において無限といわれるもの,いい換えれば無際限indefinitumであるとか無限定indefinitumであるといわれる意味で無限の概念notioを構成するものに対して妥当するというのが河合の見解opinioです。他面からいえば,無限の第三の規定というのは,ある不条理を含んだ無限なのです。このことは,書簡十二におけるスピノザの説明からも理解できるでしょう。というのはスピノザはそこで,この種の無限は,一方が他方より大であったり小であったりすると把握することができるといっているからです。もしこれが純粋に無限,この考察でいうところの実無限を構成すると考えるなら,ある実無限と別の実無限を比較して,一方の実無限が大であると把握することができるといっていることになり,これはこの上ない不条理であるからです。
河合はこの不条理の先に,間接無限様態があるとみています。
アジャはクラッシュギャルズに憧れてレスラーになったのですが,1970年代の後半,アジャがまだ5歳から6歳の頃,先に全日本プロレスを観ていました。女子プロレスはその後で観たのですが,ビューティペアがリング上で歌っていて,激しい違和感を覚えたそうです。この回顧からも分かるように,プロレスか女子プロレスかの二者択一では,プロレス派に属します。クラッシュギャルズに対する憧憬も,女子プロレス派のライオネス・飛鳥はさほど目に入らず,プロレス派の長与千種の方に注目していたのだそうです。
長与に憧れて女子プロレスラーになったので,会社からの命令で極悪同盟に入れられたときには絶望しかなかったと言っています。極悪同盟では中野の付き人でした。ただし中野は付き人に無理強いをするような選手ではなく,練習でしごかれたというようなこともなかったようです。中野はヒールであっても最後は凶器ではなく技で見せる,決めるというのがモットーで,その点には大きな影響を受けました。極悪同盟のトップだったダンプ・松本が引退した後,中野は獄門党という一派を結成します。メンバーは松本が抜けた以外はあまり変わらなかったのですが,中野のモットーはダンプのそれとは異なりました。ここからアジャは自分で考えてプロレスをしていくようになります。
アジャがユニバーサルプロレスに出場し始めると,中野とアジャの間で感情的な対立が芽生え始めました。バイソン・木村が獄門党を脱退したのを機にアジャも脱退。アジャと木村はジャングルジャックを名乗り,獄門島の中野とヒール同士で争うことになります。このときから2年間,中野とアジャは会話を交わすこともなかったとアジャは述懐しています。ふたりの間で和解があったのは,アジャが中野を倒したその日だったそうです。
第一部定理二八にせよ第二部定理九にせよ,無限定に進むとか無際限に進むといわれるべきところを無限に進むといわれている点では同じです。しかし,もしこれが無限定にとか無際限にと表記されていたとしても,事柄の真理性という観点からすると,不条理が含まれています。というのは,有限なfinitum様態modusのことを個物res singularisというのですから,有限finitumであるものが無際限にあるいは無限定に連鎖していくというのは,不条理であると考えられるからです。
このことは,河合は示していませんが,僕が持続duratioについて示したことからより明瞭に理解できると思います。第二部定義五にあるように,持続とは存在の無限定な継続Duratio est indefinita existendi continuatioであり,これも僕が示したように,僕たちは持続というのをこのような仕方でしか認識するcognoscereことができません。ですが,存在existentiaの開始と終焉があるものだけが持続するdurareといわれるという点に着目するなら,持続しているある事物について,その存在は無限定であるとか無際限であるというのは不条理でしょう。たとえば僕の存在は無限定に継続するという命題は,明らかに偽の命題といわざるを得ないからです。逆にいうなら,僕たちはこの種の命題が偽の命題であるということを知りつつ,持続に関しては,存在の無限定な継続であるとしか定義Definitioのしようがないのです。
このことが,一般に第三の規定において無限といわれるもの,いい換えれば無際限indefinitumであるとか無限定indefinitumであるといわれる意味で無限の概念notioを構成するものに対して妥当するというのが河合の見解opinioです。他面からいえば,無限の第三の規定というのは,ある不条理を含んだ無限なのです。このことは,書簡十二におけるスピノザの説明からも理解できるでしょう。というのはスピノザはそこで,この種の無限は,一方が他方より大であったり小であったりすると把握することができるといっているからです。もしこれが純粋に無限,この考察でいうところの実無限を構成すると考えるなら,ある実無限と別の実無限を比較して,一方の実無限が大であると把握することができるといっていることになり,これはこの上ない不条理であるからです。
河合はこの不条理の先に,間接無限様態があるとみています。