川崎に移籍して地元では初の出走となる白毛のユキチャンが注目を集めた第2回川崎マイラーズ。

先行したいと思われる馬が多く,展開の予想も困難でしたが,サプライズゲストがわりとすんなりと逃げました。ヴァイタルシーズが2番手で,その後ろにユキチャンとイーグルショウ。前半の800mは48秒3。ハイペースに近いミドルペースといったところでしょうか。
ヴァイタルシーズは向正面で脱落。ユキチャンも4コーナーを回るところでは遅れ始め,前4頭の直後につけていたクレイアートビュンが3番手に。軽量のサプライズゲストがかなり粘りましたが,最後は力でねじ伏せるようにイーグルショウがこれを捕えて優勝。サプライズゲストが2着で3着にクレイアートビュン。
優勝したイーグルショウは新馬,特別と連勝するなど,早くから期待は集めていた馬。しかし2歳,3歳と思うようにレースを使えず,昨年になってようやく順調さを取り戻し,今年になって上級条件でも好走するようになっていました。南関東重賞はこれが初制覇ですが,軌道に乗ってきましたので,もう少し活躍できるのではないでしょうか。父は重賞2勝のスエヒロコマンダー。
騎乗したのは主戦の大井の坂井英光騎手。2月のユングフラウ賞以来の南関東重賞制覇。このレースは今年が2回目で初制覇。管理している大井の山藤統宏[さんとうもとひろ]調教師はこれが初の南関東重賞制覇です。
意識と無意識の関係は観念ideaと観念の観念idea ideaeという関係になるわけですが,実はこのことが,今回のテーマである第二部定理四九系で示されている,知性intellectusと意志voluntasとが同一のものであるということ,あるいはもっと具体的にいうなら,個々の観念と個々の意志作用volitioとは同一であるということを,一般的に理解させにくくしているのではないかと僕は考えています。というのも,僕たちはあることを考えるconcipereという場合には,必ずそれを意識して考えます。というか,どんなことであれ,それを意識しなければ考えることはできないといった方がいいかもしれません。ところが僕たちはある事柄を意識する場合には,観念の形相forma,要するにこれがスピノザも第二部定理二一の備考Scholiumでいっているように観念の観念ということになるのですが,このように観念をあるひとつの形相としてみる場合には,まさに観念を形相として意識する場合もあれば,むしろ観念を力potentiaとして意識する場合もあるからです。いい換えれば,観念を観念として意識する場合と,観念を意志作用として意識する場合とがあるのです。そして大抵の場合,意識はあるひとつの事柄に集中しますから,この両者を同時に意識することはあまりないといえるでしょう。
たとえば僕たちが自分自身の尿意という観念を明確に意識するとき,これを僕たちはまず観念として意識すると思います。実際に僕たちが意識する尿意というのは,自分の身体corpusに一定の量以上の尿が溜まった状態,ないしはその溜まった尿を自分の身体が排出しようとしている運動motusの観念なのであって,そうすることによって自分の身体の現実的本性actualis essentiaを維持ないしは向上しようとする自己保存の力conatusとしては意識しません。僕が尿意を意志作用としてではなく観念として規定したのもこうした理由によります。
一方,排尿を我慢する場合には,僕たちはむしろこれをそうした力として,つまり我慢することの肯定として意識するでしょう。これを自分の身体が排尿という運動を我慢しようとしている状態の観念として意識することは,経験的に考えてもないだろうと思います。
しかしこれはあくまでも意識のレベルの話です。観念と意志とが同一であるということは,むしろこうした意識からは離れ,ある無意識のレベルで考えなければならないのです。そうしないと,知性と意志が同一であるということは理解できないでしょう。

先行したいと思われる馬が多く,展開の予想も困難でしたが,サプライズゲストがわりとすんなりと逃げました。ヴァイタルシーズが2番手で,その後ろにユキチャンとイーグルショウ。前半の800mは48秒3。ハイペースに近いミドルペースといったところでしょうか。
ヴァイタルシーズは向正面で脱落。ユキチャンも4コーナーを回るところでは遅れ始め,前4頭の直後につけていたクレイアートビュンが3番手に。軽量のサプライズゲストがかなり粘りましたが,最後は力でねじ伏せるようにイーグルショウがこれを捕えて優勝。サプライズゲストが2着で3着にクレイアートビュン。
優勝したイーグルショウは新馬,特別と連勝するなど,早くから期待は集めていた馬。しかし2歳,3歳と思うようにレースを使えず,昨年になってようやく順調さを取り戻し,今年になって上級条件でも好走するようになっていました。南関東重賞はこれが初制覇ですが,軌道に乗ってきましたので,もう少し活躍できるのではないでしょうか。父は重賞2勝のスエヒロコマンダー。
騎乗したのは主戦の大井の坂井英光騎手。2月のユングフラウ賞以来の南関東重賞制覇。このレースは今年が2回目で初制覇。管理している大井の山藤統宏[さんとうもとひろ]調教師はこれが初の南関東重賞制覇です。
意識と無意識の関係は観念ideaと観念の観念idea ideaeという関係になるわけですが,実はこのことが,今回のテーマである第二部定理四九系で示されている,知性intellectusと意志voluntasとが同一のものであるということ,あるいはもっと具体的にいうなら,個々の観念と個々の意志作用volitioとは同一であるということを,一般的に理解させにくくしているのではないかと僕は考えています。というのも,僕たちはあることを考えるconcipereという場合には,必ずそれを意識して考えます。というか,どんなことであれ,それを意識しなければ考えることはできないといった方がいいかもしれません。ところが僕たちはある事柄を意識する場合には,観念の形相forma,要するにこれがスピノザも第二部定理二一の備考Scholiumでいっているように観念の観念ということになるのですが,このように観念をあるひとつの形相としてみる場合には,まさに観念を形相として意識する場合もあれば,むしろ観念を力potentiaとして意識する場合もあるからです。いい換えれば,観念を観念として意識する場合と,観念を意志作用として意識する場合とがあるのです。そして大抵の場合,意識はあるひとつの事柄に集中しますから,この両者を同時に意識することはあまりないといえるでしょう。
たとえば僕たちが自分自身の尿意という観念を明確に意識するとき,これを僕たちはまず観念として意識すると思います。実際に僕たちが意識する尿意というのは,自分の身体corpusに一定の量以上の尿が溜まった状態,ないしはその溜まった尿を自分の身体が排出しようとしている運動motusの観念なのであって,そうすることによって自分の身体の現実的本性actualis essentiaを維持ないしは向上しようとする自己保存の力conatusとしては意識しません。僕が尿意を意志作用としてではなく観念として規定したのもこうした理由によります。
一方,排尿を我慢する場合には,僕たちはむしろこれをそうした力として,つまり我慢することの肯定として意識するでしょう。これを自分の身体が排尿という運動を我慢しようとしている状態の観念として意識することは,経験的に考えてもないだろうと思います。
しかしこれはあくまでも意識のレベルの話です。観念と意志とが同一であるということは,むしろこうした意識からは離れ,ある無意識のレベルで考えなければならないのです。そうしないと,知性と意志が同一であるということは理解できないでしょう。
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