スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

安田記念&比較

2024-06-02 19:18:45 | 中央競馬
 香港から2頭が遠征してきた第74回安田記念
 逃げたのはドーブネで2番手にウインカーネリアン。3番手以下は2頭ずつの併走でまずジオグリフとフィアスプライド。ロマンチックウォリアーとステラヴェローチェ。ガイアフォースとヴォイッジバブル。パラレルヴィジョンとソウルラッシュ。エルトンバローズとダノンスコーピオン。カテドラルとナミュール。2馬身差でエアロロノア。1馬身差でセリフォス。3馬身差でコレペティトール。2馬身差の最後尾にレッドモンレーヴ。前半の800mは46秒4のスローペース。
 直線の入口でもドーブネが先頭でしたが,2番手で追っていたウインカーネリアンが残り400m付近で前に。3番手にいたフィアスプライドも食い下がりましたが,その外に出されたロマンチックウォリアーが2頭を差して先頭に。さらに外からソウルラッシュとナミュールが並んで追い上げてきましたが届かず,ロマンチックウォリアーが優勝。ナミュールが半馬身差の2着でソウルラッシュがハナ差で3着。
 優勝した香港のロマンチックウォリアーはこれが日本での初出走での大レース制覇。香港では2000m路線での最強馬。2000mは世界でも日本の馬が最も得意とするカテゴリーで,その日本馬を相手に大レースを勝っていましたから,能力は断然。距離が1600mになることはやや不安でしたが,能力の差で克服しました。接戦を演じた2頭は日本の1600m路線のトップクラスですから,これは能力通りの結果といっていいでしょう。
 騎乗した香港のジェームズ・マクドナルド騎手は2015年のジョージライダーステークスを日本馬に騎乗して勝っていますが,日本での大レースは初勝利。管理している香港のダニー・シャム調教師は日本の大レース初制覇。

 なぜ現実的に存在する人間は,自身の無能力impotentiaを観想するcontemplariのではなく表象するimaginariのかということについて,國分は,自身の無能力は他との比較によってしか見出されるほかないからだといっています。これは確かにその通りであるといえるでしょう。僕たちは僕たち自身の能力potentiaに関しては,自分自身を見つめるだけで認識するcognoscereことができるでしょうが,自分自身の無能力に関しては自分自身を見つめるだけでは認識することができず,自分自身を他者と比較しなければ認識することができないであろうからです。もし他者との比較という前提がないとすれば,僕たちは,他者と比較した場合は自身の無能力として認識するであろうことも,自身の能力として判断することになるのではないでしょうか。他者がなし得ることを自身はなし得ないから,あるいは他者が容易になし得ることを自身は苦労しなければなし得ないから,僕たちはそのことを僕たちの無能力と表象するのであって,そうでなければたとえ苦労してでもなし得ることは自身の能力と認識されるでしょうし,なし得ないことについてはそれを能力と認識することはないでしょうが,無能力とも認識しないでしょう。たとえば人間は空を飛ぶことはできませんが,そのことを他者と比較して自身の無能力だと感じることはないのであって,鳥と比較した場合は無能力と感じる場合もあり得るだろうということから,ここでいっていることが正しいということは理解できるのではないかと思います。
                                        
 この部分は,観想するということがどういうことかを示そうとしているわけではありませんから國分はそれについては何もいっていませんが,観想するということは,他との比較なしに成立する思惟作用であると國分がみていることは,この文脈から明らかだと思います。すなわち僕たちが僕たち自身の能力を観想することができるのは,それが他との比較なしにも成立する思惟作用だからなのです。もちろん僕たちが僕たち自身の能力を観想するのが,単に自分自身を対象とした表象imaginatioにすぎない場合があると僕は思います。しかしそうでない場合もあるのであって,だから自分の能力については,観想するといわれているのでしょう。

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