第56回不来方賞。
逃げたのはカシマエスパーダで2番手にサトノフェニックスとパッションクライ。4番手のサンライズジパングまでは一団。2馬身差でフジユージーンとタイセイミッション。5馬身差でサクラトップキッドとブラックバトラーとルボートン。3馬身差でバウンスライト。2馬身差でマルーントリックで最後尾にベルベストランナー。スローペースでした。
3コーナーを回ると2番手がサトノフェニックス,パッションクライ,サンライズジパングの3頭で併走。ここからパッションクライが脱落したので直線の入口ではサトノフェニックスとサンライズジパングの2頭が2番手。逃げたカシマエスパーダに対してサトノフェニックスは内,サンライズジパングは外へ。外のサンライズジパングがカシマエスパーダを差して抜け出し快勝。逃げ粘ったカシマエスパーダが3馬身差で2着。サトノフェニックスは突き放されて4馬身差の3着。
優勝したサンライズジパングは若駒ステークス以来の勝利で重賞初勝利。デビュー2戦目をダートで勝った後,JBC2歳優駿で2着。暮れのホープフルステークスで3着に入ったため,今年は芝のクラシック路線を走りました。久々のダート戦でしたが,JBC2歳優駿はフォーエバーヤングから1馬身半差でしたので,力量は上位である可能性が高かった馬。今日の結果をみると,ダートの適性の方がより高いということになると思います。父はキズナ。
このレースは今年から重賞になりました。騎乗した武豊騎手と管理している音無秀孝調教師は不来方賞初勝利。
スピノザの伝記ですから,アムステルダムAmsterdamから来た医師がスピノザに対してどのような処置をしたのかということを記述することには意味があります。しかしその後にスピノザの金銭とナイフをポケットに入れてその日のうちにアムステルダムに帰り,スピノザの葬儀に姿を現さなかったなどということは,スピノザの伝記としての情報としては不要といえます。なのでこのようなことがなぜ事細かに書かれているのかということは僕にとって疑問ですが,ただひとつ確かにいえるのは,この詳細をコレルスJohannes Colerusに伝えたスペイクは,よほどこの医師に対して腹に据えかねるものをもっていたということです。とはいえその理由が,医師のスピノザに対する態度だけであったと断定することはできないのであって,伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaには書かれていないスペイクに対する医師の態度にスペイクは怒りを感じていたので,このようなことをコレルスに伝えたという可能性も考えておく必要があるでしょう。
この医師は伝記の中にはフルネームは伏せられ,LMというイニシャルで示されています。これはスペイクが本名をコレルスに伝えなかったからかもしれませんが,スペイクがこの医師に対して怒りを感じていたのは確実だと僕には思えますので,あえて名前を伏せる必要はなく,もしもスピノザの伝記を書くのであれば,むしろこの医師の行動を事細かにコレルスに書いてほしかったのではないかと思えます。なので本名を伏せてイニシャルで記述したのは,コレルスのこの医師に対する配慮だったのではないかと推測します。いい換えればコレルスは,スペイクに伝えられたことの信憑性に多かれ少なかれ疑問を感じたので,フルネームは記さずにイニシャルで記述したのではないかと思います。コレルスがスペイクの話に対して全体を通してどれだけの裏付けをとっていたのかは分かりませんが,この点は信憑性を欠くところがあるとみていたのは確かであるように思えます。
LMというのはスピノザの友人関係からしてマイエルLodewijk Meyerのことを指していることは疑い得ません。つまりスペイクは,スピノザの死を看取ったアムステルダムから来た医師は,マイエルであるといっていることになります。
逃げたのはカシマエスパーダで2番手にサトノフェニックスとパッションクライ。4番手のサンライズジパングまでは一団。2馬身差でフジユージーンとタイセイミッション。5馬身差でサクラトップキッドとブラックバトラーとルボートン。3馬身差でバウンスライト。2馬身差でマルーントリックで最後尾にベルベストランナー。スローペースでした。
3コーナーを回ると2番手がサトノフェニックス,パッションクライ,サンライズジパングの3頭で併走。ここからパッションクライが脱落したので直線の入口ではサトノフェニックスとサンライズジパングの2頭が2番手。逃げたカシマエスパーダに対してサトノフェニックスは内,サンライズジパングは外へ。外のサンライズジパングがカシマエスパーダを差して抜け出し快勝。逃げ粘ったカシマエスパーダが3馬身差で2着。サトノフェニックスは突き放されて4馬身差の3着。
優勝したサンライズジパングは若駒ステークス以来の勝利で重賞初勝利。デビュー2戦目をダートで勝った後,JBC2歳優駿で2着。暮れのホープフルステークスで3着に入ったため,今年は芝のクラシック路線を走りました。久々のダート戦でしたが,JBC2歳優駿はフォーエバーヤングから1馬身半差でしたので,力量は上位である可能性が高かった馬。今日の結果をみると,ダートの適性の方がより高いということになると思います。父はキズナ。
このレースは今年から重賞になりました。騎乗した武豊騎手と管理している音無秀孝調教師は不来方賞初勝利。
スピノザの伝記ですから,アムステルダムAmsterdamから来た医師がスピノザに対してどのような処置をしたのかということを記述することには意味があります。しかしその後にスピノザの金銭とナイフをポケットに入れてその日のうちにアムステルダムに帰り,スピノザの葬儀に姿を現さなかったなどということは,スピノザの伝記としての情報としては不要といえます。なのでこのようなことがなぜ事細かに書かれているのかということは僕にとって疑問ですが,ただひとつ確かにいえるのは,この詳細をコレルスJohannes Colerusに伝えたスペイクは,よほどこの医師に対して腹に据えかねるものをもっていたということです。とはいえその理由が,医師のスピノザに対する態度だけであったと断定することはできないのであって,伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaには書かれていないスペイクに対する医師の態度にスペイクは怒りを感じていたので,このようなことをコレルスに伝えたという可能性も考えておく必要があるでしょう。
この医師は伝記の中にはフルネームは伏せられ,LMというイニシャルで示されています。これはスペイクが本名をコレルスに伝えなかったからかもしれませんが,スペイクがこの医師に対して怒りを感じていたのは確実だと僕には思えますので,あえて名前を伏せる必要はなく,もしもスピノザの伝記を書くのであれば,むしろこの医師の行動を事細かにコレルスに書いてほしかったのではないかと思えます。なので本名を伏せてイニシャルで記述したのは,コレルスのこの医師に対する配慮だったのではないかと推測します。いい換えればコレルスは,スペイクに伝えられたことの信憑性に多かれ少なかれ疑問を感じたので,フルネームは記さずにイニシャルで記述したのではないかと思います。コレルスがスペイクの話に対して全体を通してどれだけの裏付けをとっていたのかは分かりませんが,この点は信憑性を欠くところがあるとみていたのは確かであるように思えます。
LMというのはスピノザの友人関係からしてマイエルLodewijk Meyerのことを指していることは疑い得ません。つまりスペイクは,スピノザの死を看取ったアムステルダムから来た医師は,マイエルであるといっていることになります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます