北海道から3頭が遠征してきた第48回東京2歳優駿牝馬。
発馬後の加速が抜群だったバイアホーンの逃げ。それをエスカティアとヴィルミーキスミーが追っていきました。2馬身差でゼロアワーとプラウドフレールとエイシンマジョリカ。3馬身差でドナギニー。ウィルシャインとランベリーが併走で続き3馬身差でアメストリスとイイデマイヒメとエイシンナデシコ。2馬身差でオリコウデレガンス。2馬身差でクレイジーフルーツ。3馬身差の最後尾にヨルノチョウと縦長の展開。前半の800mは49秒6のハイペース。
逃げたバイアホーンは3コーナーで一杯になりずるずると後退。エスカティアが先頭に立ち2番手にエイシンマジョリカ。内を回ったゼロアワーは4コーナーでエイシンマジョリカの外に出てきました。内目からはドナギニーとプラウドフレールが伸びてきて,横に大きく広がっての競り合い。そこから抜け出たのはプラウドフレールとゼロアワー。内のプラウドフレールが制して優勝。ゼロアワーが1馬身4分の1差で2着。エイシンマジョリカが2馬身差で3着。
優勝したプラウドフレールは南関東重賞初制覇。デビューから連勝した後,3戦目は大敗。前走のローレル賞で3着と巻き返していました。このレースは各馬のコース取りが内外に広がった中で,外に出さずに伸びてこられた分の利がありましたので,2着馬に対して力量上位かどうかは分かりません。戦績からみても圧倒的な存在というわけではないと思います。母の父はネオユニヴァース。4つ上の半兄が昨年と今年のフジノウェーブ記念を連覇している現役のギャルダルでひとつ上の半姉が昨年のローレル賞を勝っている現役のミスカッレーラ。Fleurはフランス語で花。
騎乗した船橋の張田昂騎手は昨年のゴールドジュニア以来の南関東重賞7勝目。東京2歳優駿牝馬は初勝利。管理している船橋の川島正一調教師は南関東重賞35勝目。東京2歳優駿牝馬は初勝利。
不確実な事柄から出発するということはできないので,デカルトRené Descartesは方法論的懐疑doute méthodiqueを採用します。それが本当であるかを疑うことができるのなら,そのものについてはすべて疑ってみるという方法です。吉田はこの方法をデカルトは提唱したといういい方をしていますが,提唱というと他者に対してそれを推奨するという意味合いが強く含まれるように僕には感じられますので,僕はそのようにはいいません。デカルトは確実なものに辿り着くための方法として,疑い得るものはすべてを疑うという方法を採用したといいます。つまり方法論的懐疑はデカルトが自身に課した方法であると僕は思っています。
自身の意識conscientiaのうちに浮かんでくるものを,方法論的懐疑の視線でみていけば,ほとんどのことは疑おうと思えば疑うことができます。このことは各人が反省的にこの方法を採用すれば,経験的に理解できることだと思います。たとえば人間は簡単に錯覚してしまうような生き物ですから,感覚sensusを通して入ってくるものについてはそのすべてを疑うことができるでしょう。また,論理的思考にいくら長じていたとしても,思考の過程で誤りerrorを犯すということはあり得るわけですから,この種の推理や推論も疑うことができることになります。さらにいうと,人間は夢を見る生き物ですから,何らかの行動をしていると思っても実際はベッドの中で眠っているという場合もあるわけですから,自身の思っていることや考えていることのほとんどすべては,あてにならないと疑うことができることになります。このように,すべてを疑おうとすればいくらでも疑うことができるのであって,この方法はきりがないといっていいくらいかもしれません。
では,自身が意識しているすべてのことを疑えるのだから,本当に確実だといえることは何もないことになってしまうのでしょうか。そこで実際に確実なことはないのだと断定してしまえば,これは方法論的懐疑ではなく単なる懐疑論です。デカルトはこの懐疑論には傾きません。錯覚をするとか論理的に誤るとか夢を現実だと思ってしまうといったことは人間にはあるとしても,それがすべて自身の考えであるということは変わりはありません。
発馬後の加速が抜群だったバイアホーンの逃げ。それをエスカティアとヴィルミーキスミーが追っていきました。2馬身差でゼロアワーとプラウドフレールとエイシンマジョリカ。3馬身差でドナギニー。ウィルシャインとランベリーが併走で続き3馬身差でアメストリスとイイデマイヒメとエイシンナデシコ。2馬身差でオリコウデレガンス。2馬身差でクレイジーフルーツ。3馬身差の最後尾にヨルノチョウと縦長の展開。前半の800mは49秒6のハイペース。
逃げたバイアホーンは3コーナーで一杯になりずるずると後退。エスカティアが先頭に立ち2番手にエイシンマジョリカ。内を回ったゼロアワーは4コーナーでエイシンマジョリカの外に出てきました。内目からはドナギニーとプラウドフレールが伸びてきて,横に大きく広がっての競り合い。そこから抜け出たのはプラウドフレールとゼロアワー。内のプラウドフレールが制して優勝。ゼロアワーが1馬身4分の1差で2着。エイシンマジョリカが2馬身差で3着。
優勝したプラウドフレールは南関東重賞初制覇。デビューから連勝した後,3戦目は大敗。前走のローレル賞で3着と巻き返していました。このレースは各馬のコース取りが内外に広がった中で,外に出さずに伸びてこられた分の利がありましたので,2着馬に対して力量上位かどうかは分かりません。戦績からみても圧倒的な存在というわけではないと思います。母の父はネオユニヴァース。4つ上の半兄が昨年と今年のフジノウェーブ記念を連覇している現役のギャルダルでひとつ上の半姉が昨年のローレル賞を勝っている現役のミスカッレーラ。Fleurはフランス語で花。
騎乗した船橋の張田昂騎手は昨年のゴールドジュニア以来の南関東重賞7勝目。東京2歳優駿牝馬は初勝利。管理している船橋の川島正一調教師は南関東重賞35勝目。東京2歳優駿牝馬は初勝利。
不確実な事柄から出発するということはできないので,デカルトRené Descartesは方法論的懐疑doute méthodiqueを採用します。それが本当であるかを疑うことができるのなら,そのものについてはすべて疑ってみるという方法です。吉田はこの方法をデカルトは提唱したといういい方をしていますが,提唱というと他者に対してそれを推奨するという意味合いが強く含まれるように僕には感じられますので,僕はそのようにはいいません。デカルトは確実なものに辿り着くための方法として,疑い得るものはすべてを疑うという方法を採用したといいます。つまり方法論的懐疑はデカルトが自身に課した方法であると僕は思っています。
自身の意識conscientiaのうちに浮かんでくるものを,方法論的懐疑の視線でみていけば,ほとんどのことは疑おうと思えば疑うことができます。このことは各人が反省的にこの方法を採用すれば,経験的に理解できることだと思います。たとえば人間は簡単に錯覚してしまうような生き物ですから,感覚sensusを通して入ってくるものについてはそのすべてを疑うことができるでしょう。また,論理的思考にいくら長じていたとしても,思考の過程で誤りerrorを犯すということはあり得るわけですから,この種の推理や推論も疑うことができることになります。さらにいうと,人間は夢を見る生き物ですから,何らかの行動をしていると思っても実際はベッドの中で眠っているという場合もあるわけですから,自身の思っていることや考えていることのほとんどすべては,あてにならないと疑うことができることになります。このように,すべてを疑おうとすればいくらでも疑うことができるのであって,この方法はきりがないといっていいくらいかもしれません。
では,自身が意識しているすべてのことを疑えるのだから,本当に確実だといえることは何もないことになってしまうのでしょうか。そこで実際に確実なことはないのだと断定してしまえば,これは方法論的懐疑ではなく単なる懐疑論です。デカルトはこの懐疑論には傾きません。錯覚をするとか論理的に誤るとか夢を現実だと思ってしまうといったことは人間にはあるとしても,それがすべて自身の考えであるということは変わりはありません。
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