犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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出てくる硯

2020年02月26日 | 書の道は

家の片付けをしていると、際限無く物が出てくる。
物置や天袋にまだ手を着けていないのにこのザマなので、先行きが恐ろしい。

物置には亡兄やワタクシメのご幼少のご成績なども収まっている。
なんだか大きな木箱も鎮座している。
開けたら鶴にでもなってしまうのではないか。

天袋という言葉を久しく発音していない。
けれどそこに天袋は在る。
そういうものさ。
そうやって忘れて暮らすためのスペースが天袋さ。

天袋に在ると分かっているのは、雛人形だ。
このタイミングで思い出したということは、出せってことだろうか。
いやいや。
今そんなことをしている余地は無いぞ。

もっと怖いのは、雛人形以外に何が入っているのか、まったく思い浮かばないことだ。
雛人形が入っていると言っても、それは天袋の内せいぜい4分の1程度だ。
あとは一体何が詰まっているのやら。



両親とも、毛筆書道はまったくしなかった。
私の育った家に、墨の香りは無かった。

そのわりに、
片付けをしていると、続々と硯が出てくる。
もう何個目だろう。

大きいもの小さいもの使っていたらしいもの使いにくそうなもの。
一番のデモノは、エラい軍人だった祖父がなんと汪兆銘から贈られた端渓だ。
https://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/8f115ce9b608194223103aedb6a4d167
https://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/6187a2821a0a9fa673e5ca01d87b0178

https://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/19e47f5b7e5d1697d50e2b32818d8c1a



そういえば今日は2月26日ですな。
軍部によるクーデターの有った日だ。
満3歳のお誕生日直前の幼い母は、家の中になにがしかの緊迫感が有るのだけは感じた、という。



写真の硯の持ち主が誰なのやら、
彫ってあるのがどういう言葉なのやら、
これからぼーつぼーつ調べましょうか。

乙卯二月、とあるのは、
きのと、う、つまり1915年、大正4年のことだろうか。

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