家の片付けをしていると、際限無く物が出てくる。
物置や天袋にまだ手を着けていないのにこのザマなので、先行きが恐ろしい。
物置には亡兄やワタクシメのご幼少のご成績なども収まっている。
なんだか大きな木箱も鎮座している。
開けたら鶴にでもなってしまうのではないか。
天袋という言葉を久しく発音していない。
けれどそこに天袋は在る。
そういうものさ。
そうやって忘れて暮らすためのスペースが天袋さ。
天袋に在ると分かっているのは、雛人形だ。
このタイミングで思い出したということは、出せってことだろうか。
いやいや。
今そんなことをしている余地は無いぞ。
もっと怖いのは、雛人形以外に何が入っているのか、まったく思い浮かばないことだ。
雛人形が入っていると言っても、それは天袋の内せいぜい4分の1程度だ。
あとは一体何が詰まっているのやら。
※
両親とも、毛筆書道はまったくしなかった。
私の育った家に、墨の香りは無かった。
そのわりに、
片付けをしていると、続々と硯が出てくる。
もう何個目だろう。
大きいもの小さいもの使っていたらしいもの使いにくそうなもの。
一番のデモノは、エラい軍人だった祖父がなんと汪兆銘から贈られた端渓だ。
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※
そういえば今日は2月26日ですな。
軍部によるクーデターの有った日だ。
満3歳のお誕生日直前の幼い母は、家の中になにがしかの緊迫感が有るのだけは感じた、という。
※
写真の硯の持ち主が誰なのやら、
彫ってあるのがどういう言葉なのやら、
これからぼーつぼーつ調べましょうか。
乙卯二月、とあるのは、
きのと、う、つまり1915年、大正4年のことだろうか。
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