犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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「情報」と言うのが嫌い

2025年01月22日 | パズル
情報化社会と言われてもうどれくらい経つのか。
もういいだろ。と思う。

私がブログを書いているのは、「情報発信」のつもりは無い。
SNSでの投稿では、たまには情報を出す時も有るとは思う。
けれど、
情報発信は自分の役割ではないと考えている。

「情報」という言葉がやたらと使われるけれど、
どういう意味で使っているのか。
考えて使っているのか。

情報とは、入って来たものだと思う。
入って来たものを、またラケットで打って他へ出すのが
情報だと思う。
つまり、噛んだりこなしたり排泄したりしていない。

それは私の役割ではないと思っている。
少なくとも、情報をかき集めたり情報を広く伝えたりすることに、
自分は喜びを感じてはいない。
それは個人のやる仕事ではないと思う。

例えば私が、腰痛対策などをブログに書いたら、
人は「良い情報を得た」というふうに受け取るのかもしれない。

でもね、そんなふうに受け取ってるくらいじゃあ、
たぶん効能は得ないだろうね。と、思う。

私自身は、情報を得たいと思っておらず、
知識や体験を欲している。
知識というのは、「情報」と誤解されやすい。
人から聞いたり、本で読んだりしたものを、
知識として受け止めるか、情報として受け取るか、
あらためて自分の体験とするのか、
それは大きな違いだ。

知識という言葉を、ずっと誤解してきた。
学んで身に付くものだと思ってきた。

物覚えが悪い、ということも同時に感じていた。

合わせて、分かったのは、
自分で体験して、身を以て感じ取った事こそが、
本当の知識となる。ということだ。

本を読んで知識を得られたとしたら、
それは、今まで既に経験した事を、
あらためて言語化した文章を読んだ、ということなのだと思う。


「情報」という言葉で片付けられるような事なら
私がわざわざブログやSNSで書くまでも無い、と思う。
それくらいの思いで、発信したいと思う。
自分で体験して、感じて、
咀嚼して、嚥下して、消化して、
そして出るウンコを発信するのだ。

なんてなことを考えていたら、
どんどん筆が遠のいてしまった。
「いいウンコ出た!」って思うのって、毎日ではないから。

現今のSNSでの発信のペースと、
私の考え方が合わないのか。
私の日々の時間の流れが遅いわけではないのだけれど、
それは世の言う「時間の流れ」の「速さ」とは意味がまるで違う。

もう、どう読まれようとどうでもいいやー
似たようなことを思っていない人には伝わらないけれど、
伝わる相手には言わずもがなの事のように思う。

情報を書くことに意味は無いというふうに考えると、
このように、半ば愚痴のような事とか、
夢日記とか、今朝のウンコがどうだったとか、
今日の煮ものの出来栄えとか、
そんなことばかり書くようになるか。
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