情報化社会と言われてもうどれくらい経つのか。
もういいだろ。と思う。
私がブログを書いているのは、「情報発信」のつもりは無い。
SNSでの投稿では、たまには情報を出す時も有るとは思う。
けれど、
情報発信は自分の役割ではないと考えている。
「情報」という言葉がやたらと使われるけれど、
どういう意味で使っているのか。
考えて使っているのか。
情報とは、入って来たものだと思う。
入って来たものを、またラケットで打って他へ出すのが
情報だと思う。
つまり、噛んだりこなしたり排泄したりしていない。
それは私の役割ではないと思っている。
少なくとも、情報をかき集めたり情報を広く伝えたりすることに、
自分は喜びを感じてはいない。
それは個人のやる仕事ではないと思う。
例えば私が、腰痛対策などをブログに書いたら、
人は「良い情報を得た」というふうに受け取るのかもしれない。
でもね、そんなふうに受け取ってるくらいじゃあ、
たぶん効能は得ないだろうね。と、思う。
私自身は、情報を得たいと思っておらず、
知識や体験を欲している。
知識というのは、「情報」と誤解されやすい。
人から聞いたり、本で読んだりしたものを、
知識として受け止めるか、情報として受け取るか、
あらためて自分の体験とするのか、
それは大きな違いだ。
知識という言葉を、ずっと誤解してきた。
学んで身に付くものだと思ってきた。
物覚えが悪い、ということも同時に感じていた。
合わせて、分かったのは、
自分で体験して、身を以て感じ取った事こそが、
本当の知識となる。ということだ。
本を読んで知識を得られたとしたら、
それは、今まで既に経験した事を、
あらためて言語化した文章を読んだ、ということなのだと思う。
※
「情報」という言葉で片付けられるような事なら
私がわざわざブログやSNSで書くまでも無い、と思う。
それくらいの思いで、発信したいと思う。
自分で体験して、感じて、
咀嚼して、嚥下して、消化して、
そして出るウンコを発信するのだ。
なんてなことを考えていたら、
どんどん筆が遠のいてしまった。
「いいウンコ出た!」って思うのって、毎日ではないから。
現今のSNSでの発信のペースと、
私の考え方が合わないのか。
私の日々の時間の流れが遅いわけではないのだけれど、
それは世の言う「時間の流れ」の「速さ」とは意味がまるで違う。
もう、どう読まれようとどうでもいいやー
似たようなことを思っていない人には伝わらないけれど、
伝わる相手には言わずもがなの事のように思う。
情報を書くことに意味は無いというふうに考えると、
このように、半ば愚痴のような事とか、
夢日記とか、今朝のウンコがどうだったとか、
今日の煮ものの出来栄えとか、
そんなことばかり書くようになるか。
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