犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

行書

2017年06月30日 | 書の道は
ついに行書に手を出した。 10月から独習し始めて、隷書、篆書、甲骨文字、草書、楷書と なめ回してきたが、ついに行書だ。 一旦初心を思い出しておくと、 ・草書が読めるようになりたい ・小筆で書けるようになりたい という願いがあった。 どちらも、実用につながる願いだ。 しかし、あれこれ練習してみているうちに、 一番実用的なのは行書だと思うようになっていたようだ。 速書きできるし、そのくせ読める。 . . . 本文を読む
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アルファベットかぶれ

2017年06月29日 | 国語真偽会
もうずっとずっと気になってしかたなかったし、 ネタはそこいらに豊富に溢れかえっているというのに 手を付けて来なかった事がある。 日本の商品の、奇妙な英語についてだ。 Tシャツをはじめ、食器、家電製品、自転車などなど、 なんでもいい。 商品のデザインとして、何かひとこと印刷されていることがよくあるが、 なんで英語なのか。 しかも、よく見るとその英文が意味不明なことがしばしばある。 文法的に成立 . . . 本文を読む
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もっと立体視

2017年06月28日 | からだ
[あらすじ] 手元の細かい作業のために、老眼鏡を買った。 しかし、このまま衰えるに任せておきたくないので、目の筋トレをしている。 近くを見て、遠くを見る。 立体視の交差法と平行法に似ている。 ランダムドットステレオグラムは、一見すると何が印刷してあるのかさっぱりわからない、 ぐちゃぐちゃの画面を、ぼんやり遠くを見るかちょいとより目にするかで見ると、 何かの絵柄が立体的に見える、というものだ。 . . . 本文を読む
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立体視

2017年06月27日 | からだ
[あらすじ] 視力1.5でやってきたが、48歳、ついに手元にピントが合わせられず、 老眼鏡を購入。 でも悔しいので、目を鍛える筋トレを始めた。 日々、思い出すと目の前に指をかざす。 指紋がはっきり見える距離に指を立てて、そこから指先を目に近付けていく。 指紋にピントを合わせたまま保つ。 指紋はどんどんぼやけるが、なんとか踏ん張り、そして 息をつきながら遠くを見る。やれやれ。 こんなことをやっ . . . 本文を読む
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目の筋トレ

2017年06月26日 | からだ
[あらすじ] 手元にピントが合わせられず、細かい作業に支障が出始めた。 ついに老眼鏡を買った。 しかし視力そのものは落ちていないようだ。 とは言え、夕方には乱視もひどくなる。 夕方に悪化するということは、疲れからきているのだろう。 乱れて複数見える線も、目の玉にぐーーーっと力を入れると、 1本にとまではいかないが、5本が2,3本くらいまでにはまとめられる。 けれど、そうそういつもぐっと力を入 . . . 本文を読む
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老眼鏡と蒸しタオル

2017年06月25日 | からだ
この頃、目の疲れが強い。 書だのサンスクリットだのを始めてから、机に向かうことが多くなった。 もともとPCを見ている時間が長い。 近くの物にピントが合わせにくくなってきた。 まだブログに書いていないが、木版を彫ることを最近始めたのだが、 下書きどおりに彫れているのかどうか、手元の細かい線にピントが合わせられない。 作業に支障が出るのは困る。 ついに老眼鏡か。 視力は両眼1.5でやってきたので、 . . . 本文を読む
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青山で郡上踊り

2017年06月24日 | 踊る阿呆
本場郡上では、7月中旬から9月上旬にかけて、ほぼ毎夜どこかの町で踊りがある。 そうなったら大忙しの、保存会の面々がやって来て、青山は秩父宮ラグビー場の駐車場で皆踊る。 会場の真ん中には、やかたと呼ぶ櫓が組まれる。 その上に、音頭取り(唄い手)や三味線、笛、太鼓のお囃子が乗る。 特設ステージで生バンド演奏、というわけだ。 郡上踊りは全部で十曲ある。 一曲を十分近くやる。 踊り子の様子を見ながら、 . . . 本文を読む
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正しい

2017年06月23日 | 椰子の実の中
以前は、「正しい」ことは何か、考えていたような気がする。 本当に知りたいのは、「本当」のことは何か、だった。 「真理」という言葉が指すものに近かったと思う。 「正しい」ことの反対側には、間違っていることがある。 何かを軸にして、相対的な状態を言っている。 「正しい」と言っているということは、その何か、ある一定の価値観をもって ものごとを見て、判断しているということだ。 真実とか真理とかいったも . . . 本文を読む
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心経より般若湯

2017年06月22日 | たべもののみもの
[あらすじ] 富士宮の友人Tと富士見登山したついでに静岡へ。 現代日本書道の父:比田井天来の記念館を見学しに佐久へ。 高速道路を走るより、いくつも峠を越えて車を走らせるほうが、好きだ。 だだっ広いバイパス沿いはすっかりチェーン店の看板が並び、 どこへ行っても似たような光景ばかり。 それだったらちょいと逸れて、山の中腹の広域農道を走るほうが気持ち良い。 静岡から東名高速に乗らずに帰る。 そんな . . . 本文を読む
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不信心、般若心経を書く

2017年06月21日 | 書の道は
日本で唱える仏教のお経は、 インドでできたものを当時の中国語に訳したものを、 日本なりの発音で読んでいるものだ。 お経の中には、訳していない部分もある。 真言(マントラ)や陀羅尼(ダーラニー)といった類で、 おまじないの文句のようなものだ。 般若心経も、ああだこうだ説明した揚句、最後に 意味ではなく、音を漢字で表している。 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提 薩婆呵 と書いて、 ぎゃーて . . . 本文を読む
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親不孝、孝経を書く

2017年06月20日 | 書の道は
賀知章(がちしょう;659-744)という人がいる。 ムカシの中国のことなので、詩人であり学者であり高級官吏であったようだ。 政治家が芸術をやるというのは良いような気もするが、 それはただ貴族というだけのことかもしれない。 さて、手元に中国詩人事典も持ち合わせていないので、どんどんwikipediaに頼ろう。 「賀知章は詩人として知られるが、狂草で有名な張旭と交わり、草書を得意とした。 酒を好 . . . 本文を読む
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親不孝、孝経を読む

2017年06月19日 | 椰子の実の中
なんたって高齢化社会である。 そんな中で、まんまと同居の母親は要介護1である。 親は敬え、大事にしろ、というのが常識、あたりまえのように言われる。 孝行したいときに親は無し、なんて言って脅しまでかけられる。 親が年老いるまでの間に、親子の間でも、またきょうだいや周辺の親戚との間にも、 そりゃあ様々な人間関係の歴史がある。 すんなりと単純に「じゃあ私んとこでお母さんの世話をする」なんてあまりなら . . . 本文を読む
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墓の拓本をとる

2017年06月18日 | からだ
[あらすじ] 墓参りのために静岡の街に着くと、書道具店がセールで賑わっていた。 墓石は立派なものだが、ひどく傷んでいる。 http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/d5640f6ed0a648fa28fd2669e46d437 思い付いたらすぐに私は書道具店に戻った。 店は老夫婦と息子さんで営んでいる。 レジに立つ奥さんにさっき、墓参りで静岡に来たことはしゃべっていた。 . . . 本文を読む
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墓参

2017年06月17日 | 流民の窓
センゾの墓がある。 静岡の街中の寺の墓地の中の墓なのだが、 表の「須山家之墓」以外、何も刻んでないので、 誰が納まっているのやら、見当がつかない。 知っている親戚がいるのか、 寺に聞けばいいのか。 私が生まれたときに祖父母はもう他界していたので、 この墓に納まっている人で私の会ったことのある人はいない。 のだろうと思う。 そんな墓に参る。 会っていないとは言え祖父母が納まっているなら、とい . . . 本文を読む
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玄宗皇帝 石臺孝経

2017年06月16日 | 書の道は
唐の時代の玄宗皇帝(げんそう;685-762)は、書をよくした。 宰相に恵まれたんだかなんなんだか、その治世は中国史の中でも最高に栄え、 開元の治と呼ばれる。 しかし最後は楊貴妃に溺れて政治はぐだぐだになってゆく。 玄宗は孝経をよく研究し、自ら注釈書まで書いている。 独特の隷書で書いたこの石台孝経も、本文の間に小さい文字で注が入っている。 楊貴妃が後宮に入ったのが740年、 孝経が石台に刻され . . . 本文を読む
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