ついに行書に手を出した。
10月から独習し始めて、隷書、篆書、甲骨文字、草書、楷書と
なめ回してきたが、ついに行書だ。
一旦初心を思い出しておくと、
・草書が読めるようになりたい
・小筆で書けるようになりたい
という願いがあった。
どちらも、実用につながる願いだ。
しかし、あれこれ練習してみているうちに、
一番実用的なのは行書だと思うようになっていたようだ。
速書きできるし、そのくせ読める。
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もうずっとずっと気になってしかたなかったし、
ネタはそこいらに豊富に溢れかえっているというのに
手を付けて来なかった事がある。
日本の商品の、奇妙な英語についてだ。
Tシャツをはじめ、食器、家電製品、自転車などなど、
なんでもいい。
商品のデザインとして、何かひとこと印刷されていることがよくあるが、
なんで英語なのか。
しかも、よく見るとその英文が意味不明なことがしばしばある。
文法的に成立 . . . 本文を読む
[あらすじ] 手元の細かい作業のために、老眼鏡を買った。
しかし、このまま衰えるに任せておきたくないので、目の筋トレをしている。
近くを見て、遠くを見る。
立体視の交差法と平行法に似ている。
ランダムドットステレオグラムは、一見すると何が印刷してあるのかさっぱりわからない、
ぐちゃぐちゃの画面を、ぼんやり遠くを見るかちょいとより目にするかで見ると、
何かの絵柄が立体的に見える、というものだ。
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[あらすじ] 視力1.5でやってきたが、48歳、ついに手元にピントが合わせられず、
老眼鏡を購入。
でも悔しいので、目を鍛える筋トレを始めた。
日々、思い出すと目の前に指をかざす。
指紋がはっきり見える距離に指を立てて、そこから指先を目に近付けていく。
指紋にピントを合わせたまま保つ。
指紋はどんどんぼやけるが、なんとか踏ん張り、そして
息をつきながら遠くを見る。やれやれ。
こんなことをやっ . . . 本文を読む
[あらすじ] 手元にピントが合わせられず、細かい作業に支障が出始めた。 ついに老眼鏡を買った。 しかし視力そのものは落ちていないようだ。 とは言え、夕方には乱視もひどくなる。 夕方に悪化するということは、疲れからきているのだろう。 乱れて複数見える線も、目の玉にぐーーーっと力を入れると、 1本にとまではいかないが、5本が2,3本くらいまでにはまとめられる。 けれど、そうそういつもぐっと力を入 . . . 本文を読む
この頃、目の疲れが強い。
書だのサンスクリットだのを始めてから、机に向かうことが多くなった。
もともとPCを見ている時間が長い。
近くの物にピントが合わせにくくなってきた。
まだブログに書いていないが、木版を彫ることを最近始めたのだが、
下書きどおりに彫れているのかどうか、手元の細かい線にピントが合わせられない。
作業に支障が出るのは困る。
ついに老眼鏡か。
視力は両眼1.5でやってきたので、 . . . 本文を読む
本場郡上では、7月中旬から9月上旬にかけて、ほぼ毎夜どこかの町で踊りがある。
そうなったら大忙しの、保存会の面々がやって来て、青山は秩父宮ラグビー場の駐車場で皆踊る。
会場の真ん中には、やかたと呼ぶ櫓が組まれる。
その上に、音頭取り(唄い手)や三味線、笛、太鼓のお囃子が乗る。
特設ステージで生バンド演奏、というわけだ。
郡上踊りは全部で十曲ある。
一曲を十分近くやる。
踊り子の様子を見ながら、 . . . 本文を読む
以前は、「正しい」ことは何か、考えていたような気がする。
本当に知りたいのは、「本当」のことは何か、だった。
「真理」という言葉が指すものに近かったと思う。
「正しい」ことの反対側には、間違っていることがある。
何かを軸にして、相対的な状態を言っている。
「正しい」と言っているということは、その何か、ある一定の価値観をもって
ものごとを見て、判断しているということだ。
真実とか真理とかいったも . . . 本文を読む
[あらすじ] 富士宮の友人Tと富士見登山したついでに静岡へ。
現代日本書道の父:比田井天来の記念館を見学しに佐久へ。
高速道路を走るより、いくつも峠を越えて車を走らせるほうが、好きだ。
だだっ広いバイパス沿いはすっかりチェーン店の看板が並び、
どこへ行っても似たような光景ばかり。
それだったらちょいと逸れて、山の中腹の広域農道を走るほうが気持ち良い。
静岡から東名高速に乗らずに帰る。
そんな . . . 本文を読む
日本で唱える仏教のお経は、
インドでできたものを当時の中国語に訳したものを、
日本なりの発音で読んでいるものだ。
お経の中には、訳していない部分もある。
真言(マントラ)や陀羅尼(ダーラニー)といった類で、
おまじないの文句のようなものだ。
般若心経も、ああだこうだ説明した揚句、最後に
意味ではなく、音を漢字で表している。
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提 薩婆呵
と書いて、
ぎゃーて . . . 本文を読む
賀知章(がちしょう;659-744)という人がいる。
ムカシの中国のことなので、詩人であり学者であり高級官吏であったようだ。
政治家が芸術をやるというのは良いような気もするが、
それはただ貴族というだけのことかもしれない。
さて、手元に中国詩人事典も持ち合わせていないので、どんどんwikipediaに頼ろう。
「賀知章は詩人として知られるが、狂草で有名な張旭と交わり、草書を得意とした。
酒を好 . . . 本文を読む
なんたって高齢化社会である。
そんな中で、まんまと同居の母親は要介護1である。
親は敬え、大事にしろ、というのが常識、あたりまえのように言われる。
孝行したいときに親は無し、なんて言って脅しまでかけられる。
親が年老いるまでの間に、親子の間でも、またきょうだいや周辺の親戚との間にも、
そりゃあ様々な人間関係の歴史がある。
すんなりと単純に「じゃあ私んとこでお母さんの世話をする」なんてあまりなら . . . 本文を読む
[あらすじ] 墓参りのために静岡の街に着くと、書道具店がセールで賑わっていた。
墓石は立派なものだが、ひどく傷んでいる。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/d5640f6ed0a648fa28fd2669e46d437
思い付いたらすぐに私は書道具店に戻った。
店は老夫婦と息子さんで営んでいる。
レジに立つ奥さんにさっき、墓参りで静岡に来たことはしゃべっていた。
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センゾの墓がある。
静岡の街中の寺の墓地の中の墓なのだが、
表の「須山家之墓」以外、何も刻んでないので、
誰が納まっているのやら、見当がつかない。
知っている親戚がいるのか、
寺に聞けばいいのか。
私が生まれたときに祖父母はもう他界していたので、
この墓に納まっている人で私の会ったことのある人はいない。
のだろうと思う。
そんな墓に参る。
会っていないとは言え祖父母が納まっているなら、とい . . . 本文を読む
唐の時代の玄宗皇帝(げんそう;685-762)は、書をよくした。
宰相に恵まれたんだかなんなんだか、その治世は中国史の中でも最高に栄え、
開元の治と呼ばれる。
しかし最後は楊貴妃に溺れて政治はぐだぐだになってゆく。
玄宗は孝経をよく研究し、自ら注釈書まで書いている。
独特の隷書で書いたこの石台孝経も、本文の間に小さい文字で注が入っている。
楊貴妃が後宮に入ったのが740年、
孝経が石台に刻され . . . 本文を読む