高度成長期の東京の開発の何がイヤって、
川の上に高速道路を作ったことがひとつイヤだ。
土地が無いから仕方無い。
うまい場所を見つけたとも言える。
江戸時代、物流は水運に頼った。
干潟のような江戸の湾を埋め立てる際に、
碁盤目に水路を残した。
なかなかの都市計画だ。
それが、戦後の急成長と東京オリンピックへの急いだ開発のため、
水面の美しさは高架下に暗く埋もれてしまった。
首都高7号小松川線の . . . 本文を読む
[あらすじ] 去年の十月から書を独習し始めた。
古いほうへさかのぼって臨書する。
行書を始めた。
行書は速く書くためのものだし、筆跡もやわらかい。
だから、石碑にはしないものだった。
それを、初めて碑にしたのは太宗皇帝だった。
行書最古の碑である「晋祠銘」(646年)を臨書しようとしたが、
拓本の状態があまりよろしくない。
初学者の私には難しい。
そこでサラリと中断し、その2年後の「温泉銘」を . . . 本文を読む
ある日ある時から、クロームの様子がおかしくなった。
プライバシーが保護できていないから接続できない。
と、のたまう。
特定のいくつかのサイトに接続しようとしたときで、全てではない。
しかし、クロームで表示したほうが、
IE(インターネットエクスプローラー)で表示するより使い勝手が良いサイトが多い。
IEのほうがうまく動作する所もあるが、今やグーグルクロームのほうが優勢のようだ。
そこで私は、ほ . . . 本文を読む
踊る阿呆に見る阿呆
この東京の酷暑の時節に、わざわざ何時間も踊るほうが
見るよりも本当に阿呆だと思って、見に行った。
しかし見ていりゃ踊りたくなるし、
そもそも鳴り物好きなので踊るよりも太鼓を打ちたくなる。
うずうずと胸が騒ぐ。
高円寺の阿波踊りは、昭和32年(1957)に始まったという。
今年は61年目。
スタートと同じ干支までひと周りした、めでたい年だ。
友人Yがもう5年くらい踊ってい . . . 本文を読む
昨日は漫画をほめたから、今日は漫才をほめようかな。
私は今48歳だが、寄席に行くと、
ちょうど同世代の漫才師たちに脂が乗ってきていて楽しい。
漫才の種や、自己紹介として、年齢が話題にのぼることがよくある。
なんとなく、実になんとなくなのだが、同い年くらいだと
ちょいと贔屓に感じたりする。
ロケット団しかり、宮田陽・昇しかり、U字工事やナイツはちょっと若いか、
そして今日ほめたいのはホンキートン . . . 本文を読む
小学3年生の娘と二人暮らし。
不動産の管理をして家計を賄いつつ、家事をこなす。
両親は高校生の頃に交通事故で同時に亡くなってしまった。
それからは双子の弟と二人だった。
しかしその弟は数ヶ月前に移住先のカナダで病死してしまった。
弟はカナダで結婚していたが、その相手が日本を訪ねて来た。
ゲイ男性である。
弟は高校生のときに兄である主人公にカムアウトした。
カナダで出会った男性と、カナダの法律に . . . 本文を読む
[あらすじ] 祖父はインパール作戦を指揮した牟田口司令官の上司である
河辺正三だ。
番組は、牟田口に随行した下士官の日誌を軸に、生き残った兵士へのインタビューや、
英国に残った記録や、下士官たちの証言などを丹念に詳細に取材している。
作戦をある軍人一個人の責任とするのは、大本営の言い逃れを鵜呑みにすることに過ぎない。
日本人全体の、組織体質が誤った判断を導いている。
戦争を再び起こさないためには . . . 本文を読む
[あらすじ] 成城の町で真性メイドさんを見た。
型通りのメイドさんだった。
家の主はメイド好きの変態に相違無い。と、妄想。
私は十年ほど前まで、水道メーターの検針員として働いていた。
一日に300軒からの家を回り、メーターの指針を読み、水漏れの有無や
入居者の出入りをチェックする。
子どもの頃から地図を読んで住所を頼りに友達の家を自転車ではるばる訪ね当てるのが
楽しみだったりしたので、この仕 . . . 本文を読む
調布市の東の端っこを行くと、突如、道がまっすぐ整然と碁盤目のような街並に変わる。
ここからくっきりと成城の町なのだ。
道が整然としている代わりに、一方通行が多いので、
経路を知らないと行きつ戻りつさせられるはめになる。
そんな中をうまく通り抜けて行く。
沿道には大きい門構えの家もある。
正面が、車2台分は幅のあるシャッターの門で、脇に人の通用口がある。
先日通りかかったら、ちょうどシャッターが . . . 本文を読む
[あらすじ] 老母84歳。
戦中戦後は貧しくて、食べる物が無かった。
日本中が貧しかった。と言うが、
同世代の人から、そんな中でも将校の家庭は食べられていた、
という話を聞いた。
インパールでも、作戦中止後に撤退する中で死んだ兵士が6割にのぼると言う。
敵弾にあって死ぬのではない。
疫病や餓えや自殺だ。
しかし、将校は死んでいない。
将校が死んでは指揮する者がいなくなって困る、と考えるか。
. . . 本文を読む
「戦時中から特に戦後は貧乏だった。
というより国中が貧乏だった。」
「食べるものが無くて。
だから食べ物を粗末にしてはいけない。」
「お菓子なんか無かった。
だから豊かになってから食べられるのが嬉しくて。」
老母84歳の言葉だから、真実みが有る。
と、思うだろう。
子どもの頃はそう思っていた。
少しずつ、ほころんできた。
まず、甘いもの狂いである。
甘いものが好きだ。
仕事をする時には、いつ . . . 本文を読む
[あらすじ] 敬遠してきた毛筆書道を、十月から独習し始めた。
古碑帖を臨書する日々。た…楽しい
隷書だ草書だ楷書だと課題が増えるに任せ、
後回しにしていた行書にやっと辿り着いた。
まず王羲之の興福寺断碑を臨書した。
しかし、王羲之の筆跡のあれこれから一字ずつ集めたものであり、
全体の流れや活き活きとしたものが感じ取れなかった。
だったら手紙でもやりたいもんだ、と思って、
謝安の八月五日帖をやっ . . . 本文を読む
草間に小説作品があるということを知ったのは、自伝『無限の綱』を読んでだ。
1973年に日本に帰国し、しばらくしてから草間は入院した。
日中はアトリエで制作し、病院へ戻ってからは執筆に精を出したようだ。
『クリストファー』は83年の作品だ。
処女作である『マンハッタン自殺未遂常習犯』から読みたかったが、
図書館に有ったこちらから。
短編3作が収まっている。
表題作と、『離人カーテンの囚人』で強く印 . . . 本文を読む
戦をとどめえざりしくちおしさ ななそぢになる今もなほおもふ
昭和天皇の歌である。
ななそぢ、七十路というから、1970年代に詠ったのだろう。
戦後30年経っても、悔やまれてならない、と。
NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」の中で、
軍部の最高責任者である、東條英機大将が、インパールの戦況を
天皇に上奏する場面があった。
その内容はウソだらけだったという。
うまくいっている、と聞かされ . . . 本文を読む
[あらすじ] 母方の祖父は河辺正三、悪名高いインパール作戦を指揮した牟田口司令官の上官で、
作戦を「やらせてやりたい」と発言した。
従来、この無謀な作戦で多くの死者を出したことには、
牟田口司令官と河辺に専らの責任があるという見方がされてきた。
インターネットで検索すると、「極悪タッグ」などという表現も見えたりして、
祖父に会ったことも無いとは言え、孫としてはかなり居心地が悪い。
私が知る戦 . . . 本文を読む