同い年の友人と話す。
最近のヒット曲を聴いているか。
うーん。
「歌ってみた」とか「first take」とかがyou tubeで流行っているのを受けて、
私も何曲かイマドキの歌を練習してみたりもした。
我ながら自分のことを感心しない面を先に書いておけば、
ワカモノ向けのポップスの歌詞に、心が動かなくなっている部分が大きい。
恋がどうしたこうした言われても、面白くもなんとも思わないのだ。
自分の青くささを嘆く歌詞を読むにつけ、
私の感じる自分の青さと、若い作詞者の描く青さとが
離れているように感じる。
しかし、歌詞というのは、書いた者の意図を離れて
歌う人のものになる。
例えば、あいみょんの『裸の心』を五十代の自分が歌ってみたら、
二十代の人が歌う意味とはまるで違ってくる。
でも五十代の自分が歌うのを二十代が聞いたら、
また歌詞の意味は戻っていくのだろうか。
などとごちゃごちゃ考えているうちに月日は経ち、
今さら歌ってみるでもないか
なんて思っていたらお笑い番組で狩野英孝(三十代)とココリコ遠藤(四十代)が歌って、
面白みを出していた。
ふむ。
話を戻すと、
最近の曲を聴くか。
意外性の有る曲が耳に入ってきて、「お!?」と思うことは有る。
歌声や演奏に耳を惹かれることも有る。
ただそこで、歌詞が聞き取れなくてつまづいてしまうことが多いように感じる。
何を歌っているのか分からないと、それ以上その歌を知ろうとしなくなってしまう。
あれ?それじゃあ
子どもの頃、英米のロックをずいぶん聴いたことと
やっぱり食い違うじゃないか。
あの時は歌詞の意味が分からないことなんかおいても
夢中で聴いていた。
いや、日本語なんだから分かるはず、なのに分からない、
というところが引っ掛かるということだろう。
リズムに乗せて歌っているせいで、日本語として聞こえなくなってしまっているような場合だと
聴けなくなってしまうのだ。
でもこれって、サザンオールスターズが出てきた時の
上の世代が感じていたことなんじゃなかろうか。
うーん。
わしも老けたってことかのお。
けれど、あらためて聴いてみると、
しっかり歌詞をリズムに乗せつつも、
日本語として上手に伝わってくるような曲づくりをしているものも
もちろん有る。
※
金管アンサンブルのメンバーが、広瀬香美さんの『ロマンスの神様』をリクエストしてきた。
金管楽器4本で演奏できるようにアレンジするため、譜面に起こす。
曲の中で、何度も転調する。
えーと、全部で4つの調が出てくるんだっけな。
長調から同主短調へ、そっからまた平行調へと巧みに転じていく。
これを、メンバーが吹きやすく、しかし曲の魅力を損ねずに
編曲するのが腕の見せどころだ。
※
とかなんとか準備している時に、
you tubeでマーティン・フリードマンやローリーさんが
Official髭男dismの『Cry baby』を解説する動画が目にとまった。
解説を見る前に、とにかく聴いてみた。
ぶったまげた。
すごい転調をやってのけている。
ものすごく唐突な転調だ。
急カーブにグラリと酔う。
それでいて、歌は滑らかにメロディーを追っている。
転調は激しいけれど、歌はちょっともギクシャクしない。
きれいにまとめられているのだ。
歌もののポピュラーソングとして成立している。
ハンドルさばきが巧みである。
こんなことをやってのける若い音楽家がいる。
私なんかにできる新しいことなんて無いわいな、
古い名曲をカバーしてばっかりいてもなんになるのかしら、
曲づくりもしているけれど、どうひねってもこんなもん出てこないし、
あーもう老兵は去りゆくのみね
というしょぼくれじじむさ気分になってしまった。
※
調べてみると、
ピアノを間違って弾いちゃったのがきっかけらしい。
間違っちゃったけど、それが面白かったから採用したという。
それをうまくまとめるのは技術有ってのことだと思う。
wikipediaに掲載されている賛辞にも納得がいく。
「今J-POPはこういう新しいステージにあるのかと驚いた。
ポップ史へのランダムアクセスがよろけるメロディーになる。
歴史が終わった後の音楽だ。時間が蒸発した後の迷宮。」
同感。”歴史が終わった後”とはうまいことを言う。
私はこの曲をバッハが聴いたらどう思うだろう、と思っていた。
バッハはそこまでの音楽の歴史を一旦まとめ上げたからだ。
※
転調の凄さに話が寄ったけれど、
歌詞も妙てけれんな横文字を使っていなくて
じじぃなワタクシはとても好感を持ちました。
グループ名は謎な横文字混じりなのにね。
※
敬意を込めて、私は「おフィゲ」と呼んでいる。
え?略すとこ違う?
最近のヒット曲を聴いているか。
うーん。
「歌ってみた」とか「first take」とかがyou tubeで流行っているのを受けて、
私も何曲かイマドキの歌を練習してみたりもした。
我ながら自分のことを感心しない面を先に書いておけば、
ワカモノ向けのポップスの歌詞に、心が動かなくなっている部分が大きい。
恋がどうしたこうした言われても、面白くもなんとも思わないのだ。
自分の青くささを嘆く歌詞を読むにつけ、
私の感じる自分の青さと、若い作詞者の描く青さとが
離れているように感じる。
しかし、歌詞というのは、書いた者の意図を離れて
歌う人のものになる。
例えば、あいみょんの『裸の心』を五十代の自分が歌ってみたら、
二十代の人が歌う意味とはまるで違ってくる。
でも五十代の自分が歌うのを二十代が聞いたら、
また歌詞の意味は戻っていくのだろうか。
などとごちゃごちゃ考えているうちに月日は経ち、
今さら歌ってみるでもないか
なんて思っていたらお笑い番組で狩野英孝(三十代)とココリコ遠藤(四十代)が歌って、
面白みを出していた。
ふむ。
話を戻すと、
最近の曲を聴くか。
意外性の有る曲が耳に入ってきて、「お!?」と思うことは有る。
歌声や演奏に耳を惹かれることも有る。
ただそこで、歌詞が聞き取れなくてつまづいてしまうことが多いように感じる。
何を歌っているのか分からないと、それ以上その歌を知ろうとしなくなってしまう。
あれ?それじゃあ
子どもの頃、英米のロックをずいぶん聴いたことと
やっぱり食い違うじゃないか。
あの時は歌詞の意味が分からないことなんかおいても
夢中で聴いていた。
いや、日本語なんだから分かるはず、なのに分からない、
というところが引っ掛かるということだろう。
リズムに乗せて歌っているせいで、日本語として聞こえなくなってしまっているような場合だと
聴けなくなってしまうのだ。
でもこれって、サザンオールスターズが出てきた時の
上の世代が感じていたことなんじゃなかろうか。
うーん。
わしも老けたってことかのお。
けれど、あらためて聴いてみると、
しっかり歌詞をリズムに乗せつつも、
日本語として上手に伝わってくるような曲づくりをしているものも
もちろん有る。
※
金管アンサンブルのメンバーが、広瀬香美さんの『ロマンスの神様』をリクエストしてきた。
金管楽器4本で演奏できるようにアレンジするため、譜面に起こす。
曲の中で、何度も転調する。
えーと、全部で4つの調が出てくるんだっけな。
長調から同主短調へ、そっからまた平行調へと巧みに転じていく。
これを、メンバーが吹きやすく、しかし曲の魅力を損ねずに
編曲するのが腕の見せどころだ。
※
とかなんとか準備している時に、
you tubeでマーティン・フリードマンやローリーさんが
Official髭男dismの『Cry baby』を解説する動画が目にとまった。
解説を見る前に、とにかく聴いてみた。
ぶったまげた。
すごい転調をやってのけている。
ものすごく唐突な転調だ。
急カーブにグラリと酔う。
それでいて、歌は滑らかにメロディーを追っている。
転調は激しいけれど、歌はちょっともギクシャクしない。
きれいにまとめられているのだ。
歌もののポピュラーソングとして成立している。
ハンドルさばきが巧みである。
こんなことをやってのける若い音楽家がいる。
私なんかにできる新しいことなんて無いわいな、
古い名曲をカバーしてばっかりいてもなんになるのかしら、
曲づくりもしているけれど、どうひねってもこんなもん出てこないし、
あーもう老兵は去りゆくのみね
というしょぼくれじじむさ気分になってしまった。
※
調べてみると、
ピアノを間違って弾いちゃったのがきっかけらしい。
間違っちゃったけど、それが面白かったから採用したという。
それをうまくまとめるのは技術有ってのことだと思う。
wikipediaに掲載されている賛辞にも納得がいく。
「今J-POPはこういう新しいステージにあるのかと驚いた。
ポップ史へのランダムアクセスがよろけるメロディーになる。
歴史が終わった後の音楽だ。時間が蒸発した後の迷宮。」
同感。”歴史が終わった後”とはうまいことを言う。
私はこの曲をバッハが聴いたらどう思うだろう、と思っていた。
バッハはそこまでの音楽の歴史を一旦まとめ上げたからだ。
※
転調の凄さに話が寄ったけれど、
歌詞も妙てけれんな横文字を使っていなくて
じじぃなワタクシはとても好感を持ちました。
グループ名は謎な横文字混じりなのにね。
※
敬意を込めて、私は「おフィゲ」と呼んでいる。
え?略すとこ違う?
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