犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

第0号発見者

2021年03月04日 | 日々
[あらすじ] 自宅から1㎞ほどに神代植物公園が在る。
一帯は1㎞四方あまりの公園地帯で、住宅は移転し、
公園用地や空き地や植木畑が広がる中にドッグランも在る。
毎朝この辺りで犬を散歩させる。
一年あまり前に、この中のある場所で縊死が有った。
朝まだ薄暗い時間に散歩に出た私は、現場から10メートルほどの所を通ったが、
まるで気付かなかった。
次に通った人が第一発見者となった。

都内には、広い公園が所々に有る。
緊急時の避難場所という意味も有る。
広く、夜間は人気も無いので、自死の場所に選ばれがちなのか。

去年の夏に15歳で他界した前の飼い犬が若かった頃にも、
犬の散歩友達Sさんが第一発見者になった。
ある日、散歩していると、向こうの奥の木の下に立っている人がいる。
ところが、次に散歩に行った時に、同じ所に同じようにまだ立っていたのだ。
つまり、立っているのではなかった。

Sさんはその後もまた第一発見者になったことが有る。
とかく、人気が無くて木の有る所なので、こういうことが多いようだ。



私が発見しなかった一件は、すぐに犬の散歩仲間の間で話題になった。
会う人会う人、その話になった。
ただ、第一発見者のCさんとだけは、その話をしなかった。
と言うより、Cさんとはしばらく会わなくなった。
思い出してしまうから、いや、とてもイヤな感じがして、
ここに来られないのかもしれない。

一方、私は事件当日の夕方から同じ場所を散歩した。
何事も無かったかのように片付いている。
件の木の下に行って、木の形を見て、
どこの枝に紐を掛けてどこの枝まで登ったのか、理解した。

よく、「木が引く」などと言う。
この時の噂話の中でも聞いた。
とんでもない言いがかりだと思う。
人間のそういう考えのほうが、よっぽどそういう場を作る。
利用された木の幹に触れ、気にすんな、と声を掛けた。



噂話は見てきたような話になっている。
ついでに尾鰭が付くのはいつものことだ。
〇歳くらいの男だった。とか、
服装は〇〇だった。とか、
第一発見者の人は顔を見てしまった。とか、
五差路の所の柳の木だった。とか。

そんな噂話の中に、
最初に通った人は気付かなかったらしい。
というのが有った。
これは尾鰭もなんも付いていない。
尾頭付き上等、正味で私のことである。
そうです私が第0号発見者です。



現場から10メートルほども近くを通りながら気付かなかった。
まだ薄暗い時間だったし、
木々は黒々と生えているし、死者は当たり前だが声も立てず静かに縦にいる。
第一発見者も、木の根元に立て掛けた自転車に先に気付いた、と言っていた。

人には人の気配というものが有る。
町の中でもふと人と目が合うことが有るが、
気配と気配が感じ合った瞬間である。
そういう気は、生きていてこそ発するものだ
と、あらためて思う。

音としては聞こえないけれど、
生きた人の発する気は人の周囲に在る。
街中などでは、誰もしゃべっていなくても大勢の人がいれば
そこそこ騒々しく感じるのは、
気がそこいらに満ちてざわざわしているのだろう。



鬱状態だったことがある。
医者には行っていないので、診断を受けたり、服薬したりしたことは無い。
窓から見える景色は色の無い絵をはめてあるかのように見えた。
それ自体も動かず、それを見る私も動かない。
食べ物は味がしない。味が無いわけではないが、味がしない。
味覚に障害が有るわけではない。
味わうという感覚が動かない。
全てが一枚の膜の外に在るような感じだった。
直接触れるには自分自身が過敏になっていたので、
防御的に鈍麻していたのではないかと思う。

消えてしまいたい、と思った。
けれど、死にたいという言葉では思わなかった。
何か少し、感覚が違った。
自ら死ぬという行動に出ることと、私が持った感覚には
何かの隔たりが有る。

「あなたの命はあなただけのものじゃない」とか
「授かった命」とか
そういう言葉は全く響かない。
葛藤が有るのはそこではないからだ。

生きていると直面する今の事に対処できなくなっている。
とでも言ったらいいのだろうか。

私は自死を否定するものではない。
しかし、死と死のタイミングについて自己決定権が有る、
とまでは思わない。

周囲に迷惑をかけない死に方も、悲しみを与えない消え方も、
たぶん、無い。
そんなことを気にしているうちは、生きている。

コメントを投稿