いじめ問題は、学校だけで行われている訳でありません。
職場や地域社会のなかでも深刻ないじめ問題は発生しているのです。
昨今は、セクハラだけでなくパワハラも断罪される社会風習となってきました。
学校などの指導では、当然ながら「いじめに合った側」の心の傷の大きさを強調します。
そもそも「いじめ」は、いじめる側の存在が無ければ成立しません。
つまりは、「いじめる側」をどのように戒められるかが要点になっているようです。
家庭裁判所の調停案件でも、どちらかの言い分に「いじめ」に近い言動行動を感じます。
いじめられた人の心の痛みは、心の傷となってのこることは言うまでもありません。
いじめ問題は、「いじめる側」がどのようなダメージを累積するかを解くことのようです。
「いじめる人」は、既にその行為事態が心の傷の疼きや痛みが具現化した行動に思えます。
私もファース誕生から20年間くらいは、業界の学識者や関連する人々から散々な「いじめ」に遭遇してきたものです。私のような存在は彼らにとって明らかに目障りだからです。
結果「いじめる人」で社会的に評価される人になった実例は、一切見た事がありません。
人を虐める事で得ることなどは、全くありません。
いじめ問題は、「いじめる側」がしだいに社会的な弱者になって行くのが現実なのです。
この現実を理解させることで「いじめ問題」は解決の方向に向かうことでしょう。
家庭裁判所の調停では、加害者側を説得して解決する類のモノではありません。
「気付かせる」工夫が必須なのです。
いじめ問題の「いじめる側」は、既に心に傷を持っているのです。
先ずはその痛みを癒してあげながら、その先の展望を一緒に思考することなどが有効かも。
さて、今日は一般紙の記者さんから取材を受けました。
今日の記者さんは、とても穏やかで温和なお人柄でした。
心や心情を汲み取ることで対象者の本質を取材できるようです。
このように人の心を忖度することができれば「いじめ問題」は発生しないのかも知れません。
さて今夜は、これから函館青年会議所同友会の会合に行きます。
そして明日は、南国宮崎に移動します。
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