夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

今日も日曜散歩

2006年11月05日 19時36分34秒 |  多摩川散歩


恒例になりつつある多摩川河川敷への日曜日の散歩。
今日も出かけました。


子犬のように嬉々として、って訳ではないのですけど、、、




お年寄りってほどでもなく、



冬桜ではなく、多分狂い咲きの桜



相変わらず夕陽が綺麗でした。







マジョルカ島の恋「ショパン・ノクターン集」  熊本マリ

2006年11月05日 12時27分47秒 | 芸術・文化
以前のブログには紹介記事を書いていたけど、ブログを新しく作り直したときに飛ばしたので、書き直します。

熊本マリ、、、弟に言わせると「ポピュラーをやる人ね」って一言で終わりになっちゃうかもしれないし、知人の陶芸家でピアノを弾く人がいるけど、彼女の好みには合わないかもしれない。

確かに私も自分の中の基準になるピアニストっていうとルービンシュテインだったりするので、普通の状況ではいらないと思うかもしれない。

でも時は秋。
山の木々は錦を飾り、月は空に煌々と輝いている。おりしも今日は満月の夜。
こんなときの秋の夜長を美酒を片手に聞くには合っているのかも。
(お相手がいれば、音楽も必要ないかもしれないけど、お相手のいない心の隙間を埋めてくれることは確実。あなたがもっと物悲しくなったとしても、私は関知しませんので念のため)

冬の夜寒、ストーブの火を見つめながら物思いにふけるとき、この人のショパンが低く流れるさまを想像すると、それもまた素晴らしいひと時に思える。
心が騒ぎ、この歳の枯れた人間でさえなんとなくなまめくような春の宵には、これこまさにうってつけのショパンではないかと思う。

となると一年の大半がこの人のショパン一枚で過ごせるのじゃない。
何も難しいことをいう必要はない、聞いていて、すんなりと心に染みこんでくるそんなショパンを彼女は弾ける。稀有な才能だと思うし、彼女の音楽に対する気持だと思う。

小手先だけ上手な人はいくらでもいる。上っ面だけの気持で弾く人もたくさんいる。
小手先の人の音楽はたんなるエチュード、上っ面だけの気持の音楽は煩いだけ。
心に染み込ものを作れる人ってそんなにはいない。

絵描きでピアノをやるのが、マリさんのピアノを聞いて、端正な人となりが伝わってくるって感激していた。
ホロビッツのさよなら演奏でミスタッチがあったけど、それが気にならない、音楽そのもの、ホロビッツその人と対座しているような感じを受けたって、以前に書いたことがあったけど、アートってどこまで行っても心の表現、そしてそれを受け手にどう伝えるかなんだと思う。

もちろん熊本マリがテクニックがないとは言わない。
テクニックがなければ伝えたいものがあっても伝わらない。
マリさんはすごくちゃんとしたテクニックと、きちんとした音楽に対する考えを持った人で、それをどう表すかも心得ている人だと思う。
流れるような、叙情的な演奏が耳についてそれだけで終わる人には「ポピュラーね」で終わるかもしれないけど。ちゃんと聞いていると彼女の端正な生き方、考え方が聞こえるはず。




ところで話は変わるけど、このマジョルカ。
50ccのモペットを飛ばしてこの修道院まで行ってみた。
観光バスが止まり、客があふれているところで、とても往時の面影はないけど、でもピアノを見ながら、ジョルジュサンドと療養しながら、これでいくつもの名曲を書いたのだなって思っていると、あのバルコニーからの風景も甘く見えたから不思議だな。

次の年の夏休みはイギリスのコッツウォルズで過ごしていたけど、そのときに車を飛ばしてランズエンドまで行ってみた。数ヵ月後に彼女はそこの自然の中でピアノを弾いていたんですね。




マジョルカ島の恋~ショパン・ノクターン集
熊本マリ, ショパン
キングレコード

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