たった今、小泉元首相の意向という記事に対して、表面的なものの見方だけでは真意が伝わらないかも、あるいは利用されるだけかもって書いたけど、これもそれの引き続き。
原爆の記事に関しても、例えばアメリカ政府に公的な話を聞こうとすれば、核兵器へのネガティブな反応が返ってくるだけ。だからといってそれを鵜呑みにして行動を起こすと、表に出にくい国民感情の底辺にぶつかってしまうことになるかもしれないことは昨日書いた。
日本だって、ロシア人を目の前にして、悪口を言える人はそんなにいないかもしれない。でもたくさんの人が抑留や、その後のロシア政治のあり方で、懐疑をもっていることも事実。でも公的な発言や、記事にはそれはでてきにくい。
まして中国は長い言論統制の歴史を持っていて公的にでてくる記事が政府や、政治家への思惑を持って書かれていることが多いのは承知の事実。でも鬱積した国民感情がWebへの投書ででてきているのでしょうね。
問題はここから;
ところが日本の政府に限らず、どこの国でも、その公的な発言や発表しか評価されない。外交官が送る報告書でもなになに新聞の記事とか、政府や党のだれそれの発言とかをまとめるのが主。国民感情はそれに反対していますなんてかいても、誰がそういった、貴方の個人的な主観ではないかで、なにも評価されない。それどころか個人的な感情を入れすぎるとして出世街道から引きずりおろされるのがおち。
たしかに、これらは自分の持っているネットワークや、置かれている環境で、間違いの情報を掴む確立は大きいけど、でも少しはそれにも注目をしておかないと、舵取りを間違うと思う。
個人的な話だけど、西欧人は日本人に比べて論理的って言われる。日本人はその部分感性に長けているとも。
だからこそ、私は神秘主義の展覧会をやってみたいと思った。
西欧人の底辺に流れる、論理以前のどろどろしたもの、彼らだって人間だよな~と思われるもの、それをわかっていないとその上に立つ論理は理解できないだろうと思う。
でも自分自身だって、自分の行動を表面だけで判断し、理解することが多いのかもしれない。その行動の奥底にある本当の自分の気持ちは判っていても蓋をしてしまうこともある。
毎回毎回失敗した。失敗の原因は自分でも考えています。
でも、全部がタイミングが悪かった、相手が悪かった、、じゃない、なぜ、そこでそれをやろうとしたかの自分の奥底の気持ち。そこまで行きつかないと、自分自身はわからないし、人や国民を理解する事も出来ない。(もっとも、そこまでする必要のある関係ってそれほどないかもしれないけど)
と、ここまで来ると、「公的な」意見の評価の問題ではなくなってしまいますね。
対日友好ムードのメディアVSネット掲示板には反日世論(読売新聞) - goo ニュース