夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

自由と引き換えに失うもの?

2007年04月22日 14時28分45秒 |  これがまあつひのすみかか我が日本
電車内で女性が暴行され、それを見ていた乗客は何もしなかったというのが報道されていた。
誰もが、その犯人と同時に乗客も非難するかもしれないけど、でもそのようなケースで果たして何人がその女性を守る行動を取れただろう。

社会が大きくなり隣の人が誰なのかすら分からなくても困らないような社会になってきている。他人のために自分を犠牲にするなどとは今の社会を生きている人にはむしろ馬鹿な行為としか受け止められない事が多い。
これが犯罪だから、終わってみると見てみぬ振りをした乗客たちが非難されているけど、犯罪以前の小さな事柄、社会通念、良俗に反する行為などがあったとしても、それは自由という美名で口出しするのが返って反社会的なこととして受け止められかねない社会がここにある。そして今回の乗客はその土台の上にたっている普通の日本人なのだと思う。
この乗客が持っている常識が責められるのであれば、今の社会そのものが責められるものだと思う。

それに、もう一つの大きな問題がある。
仮に誰かがこの女性を救おうとした場合、おそらくこの犯人を力で押さえつけなければならないような状況になるだろう。その場合人を守るはずの法律がこの救いを差し伸べた人に邪魔をすることになる可能性がある。
止めに入ったのだから暴行は未遂。仮にこの人が犯人を傷つけたりしたら、必ず暴行罪、過剰防衛が科せられると思う。刑事的にはこの犯人ではなく、手を差し伸べた救いの手が裁かれることになると思う。

そんな馬鹿なと思われる方が多いと思うけど、自分の娘が暴行を受けそうになり、それを守ろうとして相手に怪我をさせた父親が、過剰防衛で起訴され、裁判では負けてしまったこともある。
世の中が非常に官僚的になっていくと、その目的や状況を見るのではなく、あくまでやったことの法律的な解釈だけで行為が裁かれてしまうことが多い。
自殺をしようとする人を、させまいとして動いたことが裁判に訴えられそうになった人も知っている。これも今の社会の現状。

これらが変わらない限り、私たちにその乗客を責める立場はないということは知っておいたほうがいいのかもしれない。




電車内で女性乱暴の男を逮捕 乗客ら脅され通報せず(共同通信) - goo ニュース

総合的な診療能力を持つかかりつけ医

2007年04月22日 13時33分31秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
ヨーロッパなどではホームドクターをシステムとして取り入れている国が多い。
患者はいったんホームドクターに見てもらい、より高度な医療機器や他の医師との連携が必要な場合などに紹介状をもって大病院を訪れることができる。
これらのホームドクターは専門科目を持たない総合医として機能している。
日本でも、僻地でがんばっているお医者さんなどは、自分の専門科目以外は診ないなんていえないから、ホームドクターと同じ機能を果たしている一種の総合医の状態だと思う。

母の病院通いを見ていても、今日は内科、明日は眼科、あさっては歯科というふうにいろんな病院を渡り歩いている。これが一つの病院、一人の診療医だけで済めば、母も大いに助かると思う。

毎日新聞はこの記事の解説で、「かものおっちゃん」が厚生省の幹部の理想の姿だと書いてあったけど、何も作り物のテレビドラマではなくとも、僻地に目をやればこの手のお医者さんがたくさんがんばっていることがわかるはずなんだけど。

むしろ、患者の大病院志向は現在の医療制度や医者に対する不信感が底にあるのではないだろうか。医者が書いた本にも、私は必ず3人以上の医者に診てもらうなんて書いてあったけど、医者ですらそんな状態。まして、何を言われても、それを受け入れるしかない患者にとっては、少しでも信頼の置ける医者、場所で診てもらいたい。それがホームドクターでは役不足だという認識が一般的だからの現象だと思う。

でも本当は医療の全体的なシステムの中でもホームドクターはもっと重視されなければいけないのだろうと思う。




患者を総合的に診る医師必要 厚労省、75歳以上の医療で(共同通信) - goo ニュース

家の子  キジバト

2007年04月22日 11時29分03秒 |  写真
先日の、家の子のことでの慌てふためいた日記で皆様には多大なご心配をおかけしました。
でもその後、お相手を連れてきて見せてくれましたのでちょっと安心しました
その後は毎日、二人で挨拶に来てくれていたのですけど、今日は彼氏だけがやってきました。
あれっ、家の子はどうしたんだろうって、またまた心配になってきました。
子供はいつまでたっても子供なんですね。
親は心配、、、



トップは彼氏、今日は家にいるの? 元気ですか?って聞いています。
なかなかしつけのいい子です。



おはようって言ってくれています。

嬉しかったこと  

2007年04月22日 00時14分15秒 | 日記
トラックバック練習のお題がこれ。
他の方は最近の嬉しいことを書かれると思うけど、私みたいに歳をとってくると、そんなに日常に変化があるわけではないし、それよりも、昔のことをしみじみ思い出すってことのほうが多いので、さて、自分の人生で何かうれしかっただろうと考えてみる。
学校に受かったときも、親元を離れて、東京で生活するということで、学校に受かったことよりもそちらのほうが嬉しかったけど、反面その未経験な冒険に恐れを抱いていたことは確か。
子供が生まれたときもだいぶ心配したりしたけど、嬉しいというより、さてこれからどうなるのだろうかという心配が先にたった。
何も心配事や、怖さがなく、ただ素直に嬉しかったことはたくさんあるはずだけど、意外と思い返してみると、ほんとうに思い出せない。
小さな、、、初めて海外旅行に行って、飛行機を降り立ったときとか、車を買ったとか、定年の自分へのご褒美にカメラを買ったとか、ちょっと嬉しい気持ちになったけど、小躍りするほど嬉しいというようなことがない。
いろいろやりたいことや、ほしいものを購入する計画をたてたりしても、それが現実のものになっていくと、ああそうかってことで終わってしまう。

今一番嬉しい、しみじみと幸福を感じるのは、きれいな自然の風景やものの前に、われを忘れて入れる時間。
自分の生きている自然の中にはこんなに美しい、すばらしいものがあるんだという驚きと、感動でいっぱいになって、悲しみや、心配、苦しかったことが頭の中に浮かばない時間をそれで持てているときなんだろうか。