夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

トマトの初収穫

2007年06月16日 08時37分35秒 |  食べるために生きる


プランターに植えてあるミニトマト。
近くの花屋で300円くらいで売っていたトマト。
昔芝生の上に植えたミニトマトは芝生の上に蔓を伸ばして大きく育ち、6月くらいから11月くらいまで毎日のように実をつけてくれました。
こんどの株はあまり成長しませんでした。高さも直径も15センチ程度のままですが、実をつけてくれました。
今日は初収穫です。
小さいのはホウヅキくらいの大きさ。
でもちゃんとトマトの味がしましたよ。
これが終わってもまだまだ青い実はたくさん残っています。
これからしばらくはトマトが楽しめます。

トマトに感謝。

あばたもえくぼ

2007年06月16日 00時47分07秒 | 芸術・文化

レスを頂いた方から、「対象を見る目が暖かいから」っていうコメントを頂いた。
お世辞の分は差し引いても、私としては望外の褒め言葉として嬉しかった。
とは言っても、実はこのブログを書き出してから数人の方に同じコメントを頂いている。
嬉しい。
でも、もしそのコメントを頂いた方が、それを何かの才能であると思われているのならちょっと違うのだと思う。

要するに、私が好きなものを撮っているということなのです。
鳥でも、猫や犬でも、花や風景でも。
それが綺麗だと思い、好きだと思うからシャッターを切る、それが皆さんにも伝染して行ったと思っています。

鳥の師匠が、私と対象の距離が近いって驚いていました。
もちろん鳥がいるからってその鳥のところへずかずか歩いていっているときには、相手はすぐに逃げてしまいます。これは猫でも、犬でも、動物ならみな同じ。
でも地面に座り込んで、「おいで」とか、「ちっ、ちっ」って口の中で合図を送ってあげると、雀でも鳩でも手の届くところにまで寄っても逃げないし、「何してるの」って風な顔をしてこちらを見ています。こんな写真はコサギでも、ユリカモメでも、キジバトでもたくさんアップしていますよね。

鳥の写真が撮りたい人は、鳥を単に対象としてみる。鳥が好きで近くへ寄っていったわけじゃないんです。だから鳥も逃げてしまう。「可愛いね~」って思ってあげれば鳥との距離はずいぶんと近くなるかもしれません。

では花は?
相手は動かないもの、でも、綺麗だなって思いで相手を見ていると、一番綺麗な光線の角度、見る角度、花が見て欲しいだろうと思う角度って言うのがなんとなく判ってくるような気がします。生花の人にそれを言います。花が見て欲しいように活けた方がいいって。でも大概彼ら、彼女らは、規則に縛られて、それを一義に考えてしまうから、見ているとどこか規則が前に出てしまう。



綺麗だ、素晴らしいと思ったら、次には気持を白紙にして、相手の気持を見てあげること。私がやっているのはこれだけです。

もちろん技術的なことなどが追いつかないから、どこまでいっても素人の写真でしか過ぎませんけど、私の場合は素人ですから、自分が満足できればいい。

プロはこの上に自分の気持を見ている人にも判るように伝えなければいけないというもう一つ難しい試練が待っていますけどね。


蛇の足
ガス橋通りのケヤキ並木の下にはムベがフェンスに絡ませてあります。今までムベが成っているのを見たことがなかったので、花はつけるけど実はならないのかと思っていました。今日改めてみたら、とんでもない、ちゃんと実をつけていました。大きくなる前に誰かに取られてしまうのでしょうか?



ありふれた風景とか、どこにでもある風景という題で写真をアップします。
でも、本当にちょっとした緑があればどこにでもあるような雑草でも綺麗ですよ。
ただ、自分が好きだからってあばたもえくぼ的に何でも綺麗だって思っているかも知れませんけどね。



一生の役目を終えて誇らしげに立っているなんて考えたら、知人からは感情移入過多だって注意を受けそうですけど、、
でも、そんな目で見る人がいてもいいじゃないですかね。



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白のトキハツユクサのほうが最近見る機会が多くなって、変な話ですけど、普通の青花を見て、あぁよかったって思いました。