昨日のブログへのアクセス解析を見ておりましたら、「秋風引」で来られている方がいるのです。二年も前の
9月のはじめの日記ですね。
何処秋風至
蕭蕭送雁群
朝来入庭樹
孤客最先聞
劉禹錫
風にも秋の匂いがしてきた
空の風は雁の群れを送ってる
朝の庭の木立の中にも秋は沁みてきた
寂しさ一杯のうちん心んなかにも
これがネットの面白いところ。書いた本人が忘れているようなことでも、検索エンジンはきちんと覚えておいてくれて、読者を導いてくれる。善哉、善哉。
しかも、この日記の引き金になった日記「
涼風如秋」は8月26日のものなのですね。(写真を減らすために、時々消していますので、この日記のものはだいぶ写真が消えてしまっています) ここでは西行の詩を紹介していますけど、ならなんでこのタイトルをつけたのでしょうね。身に覚えがありません。
それはともかく、引き金になったのはこの日記の本文ではなく、頂いたコメントです。
PCの検索機能や、さまざまな人々とのインターネットのネットワークの持つ力には感嘆しきりというところです。
なんていいながら、起きてベランダに出てみますと、桜の葉も黄色みが増してきています。紅葉してきているのもちらほら。
まだ八月なのに、秋は忍んできているのですね。
朝来入庭樹 (秋の風は)朝来て、庭の木陰に忍んでいる
孤客最先聞 孤独を噛締めているものにはそれが見える
そうなんです、秋は一年の終わりの賑やかな収穫の季節でもあり、だからこそ物悲しい季節でもあります。
そして、その収穫のほうといったら、、、、、
冬篭りに向けての「味覚の秋」じゃ~!!!
この時期、岬では、梨が実り、メロンが実り、ぶどうも実る。
柿もまもなく目やお腹を楽しませてくれる。
そして、忘れてならないのは、このベランダの上にまで枝を伸ばし実を差し伸べている栗。
期待に胸、じゃなかったお腹が震えます。
(あらら、せっかくロマンティックに行こうと思ったのに、地がでてしまいました)
さて、昨日岬に戻る途中でJAの土楽の里によって新米を買ってきました。
「たへどん」というかたの夷隅の米「ふさおとめ」です。
この方のお米は全国米食味コンクールで特別優良賞を得られたとか、こんなお米が簡単に手に入るというのは嬉しいことですね。いすみにいて本当によかったと思います。
今年の新米を賞味できる。なんとなく嬉しくて、、、大げさに言えば、あたかも新茶を待つお茶人の気持ちが分かるような気がします。
お茶人たちも、冷蔵庫も、真空保存の技術もない昔に、まずくなったお茶を飲みながら、新茶を待ち望んでいる。そしてさあ、茶壷の紐を解き、新茶を味わう。この新茶がこれからの一年のお茶の始まりになるのです。
口切の茶事がお茶のお正月というのは本当にそうだったんですね。
登ってくる太陽に、いつものようにハードキスをされて、仕方なく眠い目をこすりながら起き上がりました。でも今日は特別の日。
早速台所へ直行、お米を水に漬けました。
いつもは研いですぐに炊飯器を入れるのですが、今日は、お米を水に浸してしばらく置き、それから研いだお米をさらに水につけておきますので、時間がかかります。
おかずの用意はなし。
昨日、やはりこちらに来る途中で農家の卵を入手しました。
ぴかぴかの新しい卵。これで卵かけご飯にいたします。
これまた、岬に来た楽しみの一つ。
ご飯が薄味、そして質素になりました。
でも、目の前に並ぶものが、すべて新鮮なもの。
食材一つ一つの味がきちんとして、口を楽しませてくれます。
こんなに贅沢な食事は東京ではできない。
本当は、新米の味を楽しむのなら塩むすびのほうがいいと思ったのですけど、悲しいかなボクちゃんはお結びが下手なのですよ。仕方ありませんね。
でも、今日の水加減はどうしましょう。新米だから本来は水は少なめでもいいはず、おまけに私はちょっと固めのご飯を食べてみたい、、、、どれくらい減らせばいいのか、、、悩みました、、、ほんとうに、、、、
悩んだ挙句、心持、水を少なめにしました。でもそれでも普通の上がりになりました。もっと少なめでもよかったのですね。
ご飯に、卵、のり、そして箸休めをすこしだけ、、、
これだけの食事です。
でも大満足。