夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

あぁ、勘違い 恥!     秋桜

2008年11月06日 15時41分23秒 |  多摩川散歩
まず、後日談を最初に載せておきます。
このなかに書かれている山本容子さんは、私が知っている山本容子さんと同姓同名の別人でした。
前者の山本さんは版画家で、私が仕事をしていたときによく行っていた画廊の作家さん。
へぇ、あの山本さんがこんな可愛い企画をやるのかと思ったのがそもそもの間違いの発端でした。
歌詞を使わせてもらうにはどうしたらいいかねって画廊に問い合わせて、前者の山本さんのオフィスを聞き、そちらに連絡を入れましたら、「別人です」ってことで大恥をかきました。
以下の日記は訂正しないでそのまま出しておきますけど、その辺を頭に入れて詠んでください。
ちなみに前者の山本容子さんのHPはここをクリックしてください。
そして後者の山本容子さんのブログはこちら。秋桜のイベントは時間が取れればいってみたいと思います。

ほんとうに、きちんとダブルチェックしないと、赤恥をかきますね~
以上を追加して、タイムスタンプも本日に代えておきます。


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またかって言わないでくださいね。
また、コスモスです。
いつもは散歩のメモのために、目に付くものをなんでも撮っているのですけど、今日は意識的にこのコスモスを探して撮ってきました。



というのは先日電車の駅でもらってきたチラシで、多摩川浅間神社で11月23日にレインブック 秋の夕日コンサートというのがあり、山本容子さんの作詞された秋桜~届かない手紙~という曲が演奏されることを知ったからです。
山本容子さんは版画家として知っていましたけど、作詞もされるんだ~ということで、、、聞きにいければいいなと思っています。
開場は15時45分からで入場無料(入場券は落ち葉、、、落ち葉拾いにご協力ください)というものですので、ぜひ落ち葉を拾いに出かけてください。

本当はこの秋桜の歌詞(3番)をご紹介したいのですけど、個人的なブログとはいえ、版権のあるものを使うのははばかられるので、ペンディングにしてあります。もし、OKがでるようでしたらご紹介しますね。

今日の散歩は丸子橋まで、この浅間神社のすぐ下まで歩いていきました。
こぼれ種から自生したコスモスもあちこちで咲いていました。
残念なのは、この企画の時にはもうコスモスは枯れてしまっているでしょうね。
もう思い出だけの存在でしかなくなっているでしょう。
それとも、胸に秘めた届かぬ思いを歌うイベントにはコスモスの花は邪魔になるのでしょうか?





マクロの世界 

2008年11月06日 10時16分17秒 |  多摩川散歩


Be faithful in small things because it is in them that your strength lies. (Mother Teresa)
小さなことを信じなさい。その中にあなたの強さがあるのだから。


川原をゆっくりと歩いていると、普段はあまり気がつかない小さな花に気がつく。ひっそりと他の植物の陰に隠れるように咲いている小さな花たち。
昨日の散歩の前半は、マクロレンズを使い、これらの花たちを撮りましたので、ご紹介しましょう。


本当にみんな小さいです。



ここに掲載したものは、だいたい花弁の差し渡しが5ミリくらいから1センチ弱。



もっと小さいものもあります。



これなら分かるでしょう?



トリミングはしていません。
55ミリのマクロ。ほとんどが最短距離での撮影です。



小さくても、枝を伸ばし、花をたくさんつけて、存在を主張しているものもあります。




時期が違えばもっと大きな花をつけていたものも多いです。





美しいのは花だけではありません。



虫だって、、、





これほど、美しいものに囲まれているのに、人はなぜ作り物の、虚像へと走りたがるのでしょうか?

すごいね~  ミツバチ

2008年11月06日 09時14分44秒 |  多摩川散歩


蜜蜂。
蜂の種類は分かりませんが、多分セイヨウミツバチだと思います。
蜂蜜を採るために輸入された種類。在来のニホンミツバチはオレンジの部分がもっと黄色です。
先日の日記の、「濡れ衣 セイタカアワダチソウ」もこの蜂と関係が深いのですかね。

でもすごい。
これは1000分の一秒で切っているのですけど、羽がまったく見えませんね。
いったい一秒にどれくらい羽を動かしているのでしょう?
止まっている以外は一生ずっとその運動をしているのですよね。
そのエネルギーたるや感服してしまいます。

この子は1センチちょっとの体長でした。ですから、トリミングしてあります。

仮に、170センチの人間がこのパワーを持てたら?
すばらしい社会ができる前に、
この地球自体を食べつくして、混沌に戻っていたかもしれませんね。

まあ、今の人間でよかったのかもしれません。
神様に2度も天地を創造するお仕事をお願いしなくてもいいんですから。