夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

かわいそうなもの  クサギ

2008年11月15日 23時01分16秒 |  岬な日々


この前に「報われないもの」って書きましたけど、今度はかわいそうなもの。
臭木。クサギ、、臭い木。

ひどい名前をつけられたものって結構多いのですよね。
屁糞蔓(ヘクソカズラ)、オオイヌノなんらた、、
かの大学者さんも、ハキダメギクなんて名前をつけたりして、、、
これも臭い木なんて、 なんで~ってことですけど、葉っぱが臭いんだそうですよ。私は、意識して嗅いだことがないので分かりませんけど、
でも、花はいい匂いだっていう人もいましたね。

写真では実は黒くなっていますけど、一月ほど前はきれいなブルー。
この実で布を染めるんです。見事な空色が染まります。
これまた、在来種のはずなのですけど、万葉集から新古今まで、ちょっと調べましたけど、昔の歌人たちには無視されていますね。
かわいそう、、、、

クマツヅラ科クサギ属。
クマツヅラ科にはムラサキシキブなどが親戚でおります。


報われないもの  ものごとに秋ぞかなしき

2008年11月15日 21時45分18秒 |  気になる詩、言葉


公孫樹、銀杏、鴨脚、、、
イチョウは日本の在来種ですよね?

以前の仕事場は昔の大名の下屋敷でした。今でも大きなイチョウの木が10本近くそびえていて、これからは黄色に色づいた葉っぱが地面をカバーしていきます。
でも、今はまだ青い葉っぱのままだそうです。
昨晩、いすみに来て、今日は自転車で岬を走り回って見ましたが、ほとんどのイチョウはこちらでも青いまま。
でも一本色づき始めたイチョウの若木を見つけました。
まだ緑を残し、曇りの日の下で広げている鴨の脚(イチョウの葉)になんとなくおずおずとした感じを受けたのは思い過ごしでしょうね~


大きな木、そして見事な黄葉。銀杏、、、
どこをとっても存在感のある木のはずなのですけど。
不思議に、万葉集にも、古今集や新古今にも公孫樹を詠った詩は覚えがないのです。
思いついて、唐詩選を見てみましたけど、不思議なことにこちらにも見当たりません。(ちゃちゃちゃって見てしまったので、あるいはどこかに隠れているかもしれませんね)
それにしても、ずいぶんと冷遇されているというのか、無視されていますね。
なぜなのでしょうか?


ものごとに秋ぞかなしきもみぢつつ
   うつろひゆくをかぎりと思へば
         古今集
         詠み人知らず


それでも万葉の時代にはもみじは黄葉のことだったんですね。
それがだんだんと紅葉のことを指すようになってきて、、
黄葉は忘れ去られたのかな?

歸去來兮辭  陶淵明

2008年11月15日 21時24分23秒 |  漢詩を長崎弁で

歸去來兮 田園將蕪胡不歸
既自以心爲形役 奚惆悵而獨悲
。。。。


歸去來兮(かへりなん いざ)  
田園將(まさ)に蕪(あ)れなんとす
胡(なん)ぞ歸らざる
既に自ら心を以て 形の役(えき)と爲し  
奚(なん)ぞ 惆悵して 獨り悲しむ



はよ家に帰らんば 田んぼも畑も荒れてしまいよる
自分の気持ちを形のために犠牲にして 一人でめそめそしとってもいけんじゃろう
。。。。


陶淵明の有名な歸去來兮辭ですよね。
これは前文(序)があり、この詩自体も、ずいぶんと長い詩です。
形ばかりで実のない役人生活に無理に自分を合わせていることに絶望し、家に帰ろうと述べている詩。序にはその辺が述べられています。

そのうち、気力がありましたら、序と全文をご紹介したいですけど、今はここまで。




いすみ(岬)にはもう一月以上も来ていませんでした。
昨夜、こちらに来て、のんびりとベッドに横たわり、体だけでなく、心まで広くなるような気がします。東京の生活が陶淵明のような自分を無理に何かに合わせているということではないのですけど、やはり自然の中にいるという気分がなにか心をくつろがせるのでしょうね。