夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

昨日に引き続き ダイサギ   鑑賞するって?

2008年12月02日 19時46分30秒 | 芸術・文化


今日はピアノのコンサートに行ってまいりました。
ということで、昨日に引き続き写真を撮る暇がありません。
日曜日のダイサギの写真をお蔵から引っ張り出して使っております。

いや、最近ブログへのアクセスや閲覧が減ってしまっておりますよ。

日付     閲覧数     訪問者数
2008.12.01(月) 609 PV 187 IP

なんだそうで、PVも2/3程度にまで落ち込みました。
それでも、この数週間はもっと酷い日も続いていましたので、このところだけを見ると特別に悪いわけじゃないんですけど。


まあ、日記もやっつけ、写真もお蔵入りしてカビが生えたら捨てるなんてものを使っておりますので、理由は重々分かっているのですけど。

もう少し何とかしなければね。

なんていいながら、自分のことは棚に上げて、、、、、



音楽でも、絵画でも、本当に自分にぴったりとしたものに出会うと、それは、たとえばピアノの音ではなく、音楽として聞こえる(というと分かりにくいでしょうか?) 
テンポや、ピアノの音、一つ一つの音や、和音、そしてメロディの歌わせ方、、それらが自分が思っているのと同じだと、最初はピアノの音として入ってきているものがいつの間にか、ピアノではなく、メロディそのものとして感じられる。
でもそれが本の些細なことであっても、違和感を感じると、途端に現実に戻り、ピアノの音として聞こえてくる。こんな経験ありません?

絵画や彫刻、インスタレーションであっても、最初はその材質、線、色、ボリュームを見ているのが、気がつくと、自分の心がその中で遊んでいる、、、、
作品を作った人の気持ちと自分の気持ちが話をしている、、、
そんな経験はありませんでしょうか?

それこそ至福の時間なのでしょうけど、、、、
なかなかそのような幸運にめぐり合うことは難しいことですね。

ミスタッチなどはある意味、人間が作業するものだから仕方のないものかもしれません。
解釈の差は、相手に従えば、ある程度は乗り越えられます。
でも些細な技術的なことって意外に重要だったりして。

たとえば、右手で和音のメロディを奏でている。それが左手に移ったときに、微妙に違和感がある。左手が受けるときに一瞬躊躇するような感じ。絶対的な時間から言えばおそらく1/100秒みたいなものかもしれません。

左手の中指や薬指が微妙に音を濁らせているときがある。完全なミスとして音に出てきてはいないのですけど、その寸前みたいなはらはらする感じ。

いつもは完璧な演奏をする人なのに、今日はどうしたのだろう。
あそこの楽器が悪かったのかもしれませんね。