いにしえの奈良の都の八重桜
けふここのへに匂ひぬるかな
伊勢大輔
有名な歌ですけど、なぜいにしえの奈良の都の八重桜なのでしょうか。
これは一条天皇の中宮彰子が奈良の興福寺の境内の桜を京都へ植え替えようとしたときに、興福寺の僧が命に代えてもと反対したので断念した。
そのかわり、桜の時期になると毎年使者を遣わすようになったということ。
そして、天皇には奈良から桜の枝が贈られるようになり、その受取人が伊勢大輔で、その桜を見て、この詩を詠んだといわれています。
「ここのえ」はこの前の「やへにほふ軒ばの桜うつろひぬ」のように宮中のことと、九重に重なっているということをかけているわけで、
古い奈良の都の八重桜が
今日は宮中で香っています
彰子中宮には紫式部が仕えていましたね。
なんか、最近、とみに説明的になってきましたね~
いかんな~