夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

大手毬  オオデマリ

2009年04月26日 21時46分34秒 |  岬な日々

今、いすみではオオデマリや、テマリカンボクが見事に花をつけています。

こちらは去年も何度か取り上げましたオオデマリ。
私はこの花が欲しくって、ずいぶん探しましたが見つからず、たまたま同僚の旦那さんが花関係のお仕事だったので、お願いして買ってもらいました。
ところが、家に来たのはオオデマリではなくテマリカンボク(手毬肝木)だったのですね。同僚が外人の旦那さんに伝えるときにスノーボールって言ったらしいのです。だから間違いが起こりました。



花はそっくりですし、親戚みたいな花ですから、「まぁ、いいか」ってっことで、よしにしました。ということで家で育っているのはテマリカンボク。葉っぱが違いますよね。テマリカンボクの葉はカエデみたいに3っつに裂けていますけど、オオデマリのほうは紫陽花みたいな葉っぱです。

ところが、家に植えてから、気がついたのですけど、東京の行き帰りに木更津経由にすると、途中でオオデマリも、テマリカンボクもたくさんさいているのです。
なぜ、こんなにあちこちにある花が見つからなかったのか今でも不思議。



でも、以前にも書きましたけど、同じことがカイウ(海芋)でも起こりました。
この花を欲しいと10年以上も探していて、ある日友人が企画をしている島にいったら、そこで見つけました。「やった」とばかりに頼み込んでもらってきました。そしていすみの庭に植えたのですが、その翌年からです、いすみのあちらでもこちらでも群生しているカイウを見かけました。

ほんとうに、なんで?ってくらいに今でも不思議ですね、、、



さくら色の庭の春風あともなし

2009年04月26日 18時40分37秒 |  気になる詩、言葉
昨日は一日、本降りの雨。今日は晴れましたが、強い風が吹いています。
もちろん家の玄関の八重ももうほとんど花をみることができません。
八重の大きな葉っぱが風に揺れて、夏の訪れの匂いを漂わせています。

さくら色の庭の春風あともなし
     とはばぞ人の雪とだに見む
          藤原定家
          新古今集 2-134

庭を桜色に染めるように花を散らしていた春風ももう終わってしまった
     人が訪ねてきたら庭に雪が散っていると思うだろう


散らすな、散らすなって願っていても、桜は散るもの。風が吹けばなおさらですよね。そんな自分の心の願いと、自然の定めの葛藤も、他の人が見れば、なんだ、雪かで終わってしまうのかもしれませんね。



残りなく散るぞめでたき桜花

2009年04月26日 17時51分31秒 |  気になる詩、言葉

残りなく散るぞめでたき桜花
     ありて世の中はての憂ければ
        詠み人知らず
        古今集 2-71

桜は散るからいいんだって言い切っています。
散らないで、この世に残ったら終わりは見苦しい、、、って

桜の美については、昔から日本人には散り際がいいという共通認識があるようですね。


昔、桜花って特攻兵器があったのをご存知の方は少ないでしょうね~
一式陸攻にぶら下げて、敵の戦艦の近くまで飛んで、そこから陸攻から切り離されてロケット噴射で戦艦に体当たりする飛行機。ほとんど終戦の年に配備されたのですけど、これをぶら下げた一式陸攻は重くってよたよた状態。桜花の航続距離は40キロ弱、しかもほとんどバランスをとる程度しか操縦機能がなかったので、そこまで、決められた角度で敵艦に近づかなければならないのだけど、そのずっと前から敵のレーダーに捕捉され、敵機や艦砲によって攻撃を受けたので、一式陸攻ともにほとんどが撃滅されたのです。
軍内部にもあまりにも被害が大きい、特攻隊員だけでなく一式陸攻とその隊員も道ずれになることが分かっていて、反対意見も多かったそうです。
沖縄で実戦に使われ、そのときには母機の一式陸攻全機と、支援戦闘機のほとんどを失っています。


なんて、昔話ですけど、桜は潔く散るものってところでこんな話を思い出しました。


散った桜が綺麗じゃない?
そうですね、綺麗に散ったかどうかは、桜の思い。
散った後はどうとっても綺麗じゃないのですよ。

レンゲ 大多喜レンゲ祭り

2009年04月26日 16時01分23秒 | 芸術・文化


大多喜のレンゲ祭りに行ってきました。
毎年の恒例行事で、今年は25日と26日の予定でしたが、25日は大雨のために中止でした。

今日は朝からいい天気。昨日の寒さとは打って変わって、暑いくらいの日になりましたけど、私が行ったのは早朝でしたので、肌にはちょうど優しい気温。空気も澄んでいて、開けた山間の草原の朝って感じで素晴らしい時間でした。



昔はレンゲなんてどこにもあった気がしますけど、最近レンゲを見ることが少なくなってきていますね。一面に広がるレンゲを見ているとなんとなく昔を思い出して、、、、もう遠い遠い過去になっていることに愕然としたり、、、

レンゲを見てみたいと思ったのは、そんな、なんとなく昔を懐かしむという気持ちもあったのですね。
でも、こんな風に自然を楽しむ、風の匂いや、音を楽しみ、草の匂い、空の色や、新緑の美しさに浸る、こんな思いでいくのなら、このレンゲ祭りはあまりお勧めできないのかもしれません。

辛口なことをいうと主催者や関係者の方には申し訳ないけど、でも高々一日のページビューが1200前後という弱小ブログとしては、それほど影響はないでしょうから、思い切って書きましょう。

手順が悪い、、、
最初、他の車も入っていましたので、駅前のスペースに車を入れました。そしたら、「ここは一般の人の車は駐車できません」ってエラク怒られましたよ。でもそんなことはどこにも書いてないのです。なら、もう少し普通の話し方でそれを言ってくれてもよかったのにってちょっとむっときました。
別な方が、「小学校のアスファルトの引いてあるところにに駐めてください」ということで、小学校に行きました。そしたらここでも、一般の車は駐車禁止だよって怒られる始末。
情報がきちんとみんなに伝わっていない。
イベントなどをやるときの一番基礎的なことなのだけどね~

それに、駅と学校のこのお二人、もしかして町の役場の方なのでしょうか、えらくぶっきらぼうで、昔の警察官の物言いって感じのしゃべり方でしたね、、、
最初の方も、「ここは駄目」それだけなんです。学校の方も同じ、「ここは駄目」って言われて、あっちではここへ駐めてくれっていわれたっていいましたら、携帯を出してなにやら話をしていましたけど、結局駐めていいことになったのでしょう。でも当人は怒ったのが恥ずかしくなったのか? 別な方が「あちらに駐めてください」って言いにきました。当人は私から10メートルも離れていなかったのに、、、
人に見てもらおう、大多喜の観光に役立てようというのが当初の目的なのでしょうね~ でも、日曜出勤を余儀なくされた、余計な仕事をさせられているみたいな雰囲気が伝わってきて、とてもいやな気分になってしまいました。
とても人に来てもらいたいって態度ではなかったですね。

以前、書いたことがありましたよね。いろんな町を巻き込んで企画を立てたりしていたころ、どんな人をあなたの相手に選びましょうか?って聞かれたことがありました。チューリップで有名な市の市長さんでした。「仕事を遊びでやる人がいいです」って答えたら、びっくりしてこちらを見ていました。「その企画が自分でも楽しいと思える人ならどんな作業でも楽しく、、、自分から仕事を見つけてやろうとするでしょう。でも仕事をいやいややっているのなら、ちょっとのことにもすぐにネガティブになってしまうからって」って答えましたら分かってもらえました。このときの担当者はそれ以来何十年も経っていますけど、このブログにもときどきコメントを書いてくれたりしています。
このような人は私にとっての財産なんですね。自分でも好きだから企画を立てる(私の場合はほとんどがアート関係ですが)おまけに、自分は黒子に徹したがる。だからお金も暇もなくなってしまいましたし、それらの仕事が私のキャリアにもなっていない。でも、そんな財産と、仕事の思いでは私の一生にとって、どれほどすばらしい価値を残しているのか、、、、
芸術性とか、啓蒙とかいったことは、その企画を立て、運営していくときの大命題。でもそれを終わっても残る財産が私にとってのほんとうの財産なのです。

何百万人が来るような企画にも携わったことがあります。最近も、お話がありましたけど、もうやれないよってお断りしました。
でもシステムが大きくなって、人が見えなくなって、それぞれの人がもつそんな熱意が阻害されてしまうようになれば、それは私たち企画を立てるほうの責任。それはとても辛い思い出にしかなりませんし、そんな企画は最初から立てなければいいのですね。

ある小さな町との企画では7年目に、町のかたがたとのお話で、当初の企画の意味はだんだんと浸透してきているはずなので、これからは町のかたがたが自分の目でもっと企画を広げるなり、深めるなり、変容させていって欲しいってお願いしました。そして、実はこの時期が一番大変な時期。恒例の企画が定着するか、萎んでいくかの境目なんですってお話しました。でもそこで町の外からの主導を期待していたのではいつまでたっても自分たちの企画にはならないのですよね。
私は業者じゃないので、平気でそんなことを言ってこられましたけど、、、

当初の熱意が、だんだんと恒例の、義務になっていく、そんなときにどう新風を入れていくのか、、、、なんて、昔のことを思い出していました。

おかげで、こちらはかなり萎えてしまって、レンゲを見ないで帰ってしまおうかとさえ思ったくらいです。


その二、まだありました、、、
関係者の車が、レンゲ畑の真っ只中の道路に止まっていました。ここで写真を撮る人はレンゲ畑と、その背景にいすみ鉄道を入れたいと思う人がたくさんいると思うのですけど、そのようなアングルでカメラを構えると、車がじゃまになるんですね。
ほんとうは、二枚目の写真は横位置で、もっとレンゲを前面に広く取り込んでみたかったのですけど、その車とステージが邪魔になって、このようなアングルしか取れませんでした。
気働きが足りないのかな~



それにこれは好みの問題でしょうけど、PAは何かあったときの連絡のために必要でしょう。でもBGMを流すなんて、自然を楽しみにしてきた人にとって邪魔になるだけじゃないかと、、、、
BGM、がんがんなんてもう30年も40年も前の流行ですよ。今や、どんどん少なくしていくのが普通なのにと思いましたね~