夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

ボクちゃんイケメン 貢いでくれる人募集中

2009年11月07日 23時26分45秒 |   私の小さな恋人たち


ボクちゃんイケメン。
貢いでくれる人募集中。





容姿端麗、優しい人
お金持ちであること
旦那、爺婆、子供抜き
冷暖房完備の豪邸
アメ車のフルサイズセダン、もしくはリムジン、ショーファー付き
三食昼寝付。
夜遊びを認めること

以上、心当たりのある方はメールください。

当方、年齢一か月、間もなく乳離れ、、、

コハクチョウが戻りました

2009年11月07日 17時15分39秒 |  岬な日々
知人から聞かされた時にはびっくりしました。
1月以上も早いのです。
さっそく、日没を待ってスポットに行ってまいりました。
管理人さんのお話では11月1日に見たとのこと。
近隣の人はそれよりも少し前に6羽を確認されているとも聞きました。
でも、そのあとの飛来がないとのことで、斥候部隊だったのかなと思いましたが、念のために夕暮れまで待ちましたら、一羽だけでしたが、コハクチョウが飛んできました。
写真はあまりにひどくって、証拠になりません。
明日の朝トライしてみます。

恋人たちの英才教育 ミャー

2009年11月07日 15時33分12秒 |   私の小さな恋人たち
 

たくさんの猫たちが子供を産み、子育てを繰り広げた。
もちろん、私の頭痛は、その子たちの里親探し。
毎回、毎回、里親を見つけるのに電話をかけまくり、子猫を見せに行き、里親(多くの場合は、その子供たち)への買収工作に裏金を使った。

その無限に続く努力に報いるものが、彼女たちの子育ての観察だった。

10の親猫がいれば、10の育て方がある。

たとえば前回の「ミャ~」は、子猫たちが歩けるようになると、部屋の中に連れ出し部屋の中で遊ばせていた。
もう大丈夫と思うと、家のそとに連れ出し、太陽の下で子供たちの遊ぶのを誇らしげに、嬉しげにじっと見守っていた。
でも叱るのもかなりきつく、悪さをした子猫がミャ~に噛まれて、ギャッと声を上げるのも、何度も見た。
叱った後は、ミャ~はいつもまでもその子猫を舐めていた。
ミャーは子供の成長が嬉しいらしく、子猫と遊ぶときには、ミャ~って私に声をかけ、私にも見てくれと誘いをかけていた。
確かに子猫の遊ぶ姿、そしてそれを見守っているミャ~の姿は何十年たった今でも心に残る暖かいシーンだった。

素晴らしい勉強をさせてもらった。


2005年12月3日に以前のブログからこちらへ引っ越しました。
2009年11月7日に写真を加えて、タイムスタンプも新しくしました。

写真はいすみ市岬町 だるま庵のネコちゃん。

我が名はミミ

2009年11月07日 11時59分47秒 |   私の小さな恋人たち


犬も欲しかったけど、下宿やアパート住まいでは犬は飼えない。
ということで東京ではほとんどが猫たちとの生活だった。
東京での最初の猫はミミ。


私がミミにあったのは冬の寒い雨の日だった。

箱に詰められた7匹ほどの子猫たち。
まだやっと目が開いたくらいの子猫たちだった。雨に濡れて、寒さに震えながら身を寄せ合っていた。
一匹を抱き上げ、さすってやったが、お腹がすいているのかしきりにか弱い声で鳴いている。
道に下ろすと、私のほうへよたよたと歩いてくる。
数歩歩んで後ろを見ると、よたよた、よたよたと必死になって着いてこようとしている。
それで負けてしまった。

当時は学生で大家さんの家の離れを借りて下宿をしていたのだけど、大家さんのところにも猫がいて、猫好きな人なので、快く猫を飼うことを許してくれた。



でもそれからが大変。まだ乳離れをしていない子猫なので、餌をやっても食べない。
ミルクを温めて皿に入れて出してやっても、匂いをかぐだけ。
仕方ないのでミルクに指を入れ、その指を舐めさせてやった。
毎日、毎日、乳離れができるまで、私の指はミミのものだった。

食事を出すようになってもミミには私は母猫なのだろうか、ミミが食べている皿に顔を近づけ、「餌をくれ」っていう風にそぶりを見せると、鼻で皿を私のほうへ押し出して、食べさせようとする。ちょっと大きくなってから飼いはじめた猫だとここまではしない。私のものよって威嚇するのが普通だけど。
でも家の猫や犬は大体ミミと同じような行動をしていた。



問題はトイレの問題。
でもミミは人間の赤ん坊よりも賢いことを証明した。
一番最初は部屋の隅に砂の入った箱を置いて、ここでするんだよって教えた。
翌日からはちゃんと言いつけを守って、そこでやっている。

でもなんとなく部屋が匂う。
それで入り口の土間の隅に箱を移したが、それでもちゃんとやっていた。
でも毎日帰宅するとウンチの匂いがするのはちょっと困るので、どうしようと考え、裏庭に面したドアを少し開け、外でやってきなさいっていうと、これもちゃんと守るようになった。

ある日、起きてみると部屋が妙に寒い。外を見ると真っ白の雪。
東京が20数年ぶりの大雪だった日だった。

さてミミはどうするのかって見ていたら、私と一緒にドアのところまで来て、外をみて、驚いてすくんでいたが、生理現象に耐えられなくなったのか、一躍、体をジャンプさせて雪の中に飛んでいった。
一面の新雪の上にはミミの跡がぽつん、ぽつんとトイレの場所まで続いていた。



飼い始めて一月もしないうちに学校が休みになった。郷里に帰るのに大家さんにミミの世話を頼んで帰ったが、一月後に帰宅してみるとミミは大家さんのところの猫と遊んでいる。
ミミって呼ぶと、飛んできて人の胸までジャンプしてきた。慌てて抱きとめて、よくよく見ると体中が蚤だらけ。
家に入れて、洗面器にお湯を張り、ミミを浸けてやると、水面が真っ黒になるほどの蚤。それから何度も、何度も蚤取りをしてやっと蚤から開放された。



ミミの癖で困ったことは、狩。
朝起きると枕の前に獲物のバッタやカマキリなどがずらっと並べられている。半殺しの獲物たちが逃げていかないように、両手を使って、あっちこっちと押さえている。そして私が起きだすのを待っているのです。
私が起きると、ミミは得意そうに、どう上手でしょうって顔をしてこちらを見ている。
「上手だね。よかったね。ありがとうね。」って言いながら頭をなで、昆虫たちを掃きだすのが春から秋の間の私の朝の日課となってしまった。



ミミもいなくなってしまった。
大家さんの話では、家からちょっと離れたところで、車に轢かれて死んでいたのを見たとのことだった。
走って行って見たけど、何の痕跡も残されてはいなかった。



       2005年12月2日  以前のブログからの転載です
       2009年11月7日  写真を追加しタイムスタンプを今日に変更しました。




ミャ~

2009年11月07日 11時33分06秒 |   私の小さな恋人たち
                 


清水の次郎長の女たちの名前は全部がお蝶だったそうだけど、私も寝言に何か言って問題を抱えるのがいやなので、恋人たちの名前は全部似たものにした。

そうそれが次なるミャ~。
ミミは可愛かった。最初の異性は忘れられるもんじゃないってことを今になって痛感している。
でもミャ~もまた可愛かった、そして凛としていた。

ミミとミャ~。多分私の記憶の中にはだいぶごっちゃになった部分があるかもしれない。

ミミはまだ母親になる前に消えていったから可愛いだけだったけど、ミャ~は母親になり、私をその子達の育ての親に指名して、そして消えていった。
人間でも、動物でも母親としての気持ちが通じると男には畏敬の存在。



ミャ~も渋谷の下宿の離れに住んでいた。
ここも家へのアプローチがL型に曲がった階段を上がっていくようになっていて、間に母屋があり、アプローチをあがってくるのは見えないはずなのだけど。
彼女は私が帰るころになると屋根の上にいて、私の足音を聞き分けて、屋根から裏庭、そしてドアを通り、玄関のドアの前にすっ飛んできて、ちゃんと三つ指就いて待っている。
私が帰宅しドアを開けると、必ずミャ~って迎えてくれた。
これが彼女の名前の由来になった。

今まで付き合った女性でここまでやってくれた女性がいただろうかって、、、
女性は何もしない割りに、文句ばかり。
やはり私には動物のほうがいいのかもしれない。
てなことは、口が裂けてもいえないね、ご同輩。



さて彼女にも問題があった。
コックの私としては、私の残飯を食べてもらうのが一番手っ取り早いのだけど、これにはあまり食欲がないよう。
ためしに魚のソーセージを与えてやったら、なんと食通にフォアグラ状況。
それ以降、子供が生まれて、子供は残飯を食べていても、彼女は絶対に食べない。
魚のソーセージ以外はお口に合わないことになってしまった。



彼女のお腹が大きくなり、まもなく産まれそうというので、ダンボールの箱を押入れにいれ、ふすまを少しだけ開けて、ここで産めばって、彼女を箱に入れた。
数日して、彼女は産まれた子供たちを一匹、一匹と口に銜えて私の前に連れてきて、
人の目を覗いて、
「ミャ~」
「見ててやってくださいね」ということらしい。

そして外へ出て行き、しばらくして、ミャ~って声を出しながら部屋に帰ってきて、また一匹、一匹、口に銜えて箱に戻して、押入れの産室に戻った。

子供が少しづつ大きくなってくると、食事の時に、だんだん私のところに来て、時々はふぅってため息をつきながら、人のひざの上に上り、まどろむようになった。



そして子供たちが箱から出てきだし、家中が幼稚園状態になっていった。



でも彼女は子育てに関してはほとんど私の手を煩わせなかった。
この辺も、その辺の女性とは雲泥の差ってことは言わないけど。
子供たちが、特に庭で遊ぶようなときには、私のそばに座って、子供たちが遊んでいるのを背筋を伸ばして満足そうに、見ていたのを覚えている。
子供たちが安全だとわかると、私の膝の上で半分眠りながらも視線は常に子供たちの上にあった。
母親の優しさと、温かさ、そして母親としての芯のようなものを感じて、ミャ~には密かに尊敬さえ覚えていた。



子供たちの里親を探すのは大変だった。
一匹、一匹、人に託していき、やっと子供たちがいなくなって、人心地ついたと思ったころに、彼女は家出をしてしまった。
彼女にしてみれば、恋人に裏切られたと思ったのだろうか、、、
もしそうだったら、今でもほんとうに悪いことをしたと、心が痛むのだけど。




2005年12月2日以前のブログから転載しました。
2009年11月7日新しく写真を追加し、タイムスタンプも新しくしました。

思い出 メ~  写真を追加し、タイムスタンプを変更しました。

2009年11月07日 11時06分06秒 |   私の小さな恋人たち

初恋は、犬や猫じゃなかった。
山羊。
そうそれが私の最初の恋人。

もう記憶の底に沈んでしまって、名前も思い出せない。
確かメ~とだけ呼んでいたのかもしれない。

当時同じ家にいた従兄弟たち(私よりずっと年上だったけど)は山や森に行って、目白や、鶯などを捕ってきて、竹で鳥かごを作り飼っていた。彼らは野うさぎも捕ってきていたが、人の手で与えた餌をどうしても食べないので、死んでしまう。だからそれはすぐに彼らの遊びのメニューからは消されていった。

私は彼らに比べると体が弱く、心配した母親が山羊の乳を飲ませるために、近くの農家から子山羊をもらってきた。



まだ小さくて、やせこけていたメ~だった。
最初にうちに来た日に、私が抱いてやると、震えながらもじっと私の腕の中で静かにしていて、そのうちに眠ってしまった。
そしてメ~と私は恋人になった。

最初は家の敷地の中だけで一日中メ~と遊んでいたのだけど、私が学校へ行きだしてからは朝の挨拶をして、後は学校から帰ってからの遊びだけになった。

今でも不思議だけど山羊小屋からは私が帰ってくるのは見えないはず。なのに私が家に近づくと、数百メートル先の私をかぎつけて、メ~は声を上げ、足で山羊小屋の囲いを蹴って、出してくれって騒ぎ出す。
家の人たちは、メ~のそんな行動を見て、もうすぐ私が帰るって判ったのだという。

一年もすると体も大きくなり、学校から帰るとランドセルを放り投げて、メ~のところに駆けつけ、彼女を連れ出して、家の外へと遊びに出かける毎日だった。
私には学校の友達よりも、メ~が世の中の全てだったのです。
弱かった体も、メ~とのデートのお陰で、風邪も引かないように元気になっていった。

それでもメ~のためにはもう少し運動させたいと思って、散歩を自転車でするようになった。おかげで町の中心部全域が私の行動範囲になっていった。
天気の日にはほとんど毎日、小さな小学生が大人の自転車に乗り、町を走り回る。
後ろからは首輪も、紐も付けていない山羊がとことことついてくる。
おそらく今そんな風景を私が見たら吃驚するだろうけど、それが私の幸福な初恋の物語だった。



この幸福な日々は、突然に終わった。
お正月。
私が起きてきてもメ~の声が聞こえない。家人も何か変な顔をしている。
急いで山羊小屋に行ってみると、メ~はもういなかった。
お手伝いに来ていた人が、メ~にもお正月を味あわせてやろうとお雑煮を食べさせた。そしてもちを喉につめて、メ~は死んだ。

「お手伝いの人もメ~のためにと思ってやったことだから、」っていう母の言葉に他の人のために、怒っちゃいけないんだ、悲しんじゃいけないこともあるんだということを、小さいながらになんとなく納得させられたことを覚えている。

 

      2005年12月2日  以前のブログからの転載です
      2009年11月7日  写真を追加しました。近所の山羊の親子です。
              タイムスタンプも今日に変更しました。