昔、ある都市の文化政策を審議する委員会にいた時に、普通に言われて、誰もが疑問を抱かなかったことに、「生きがいのある社会」ってスローガンがありました。私もそのことに何の疑念も抱かなかった。
でも、知人たちと話をしていて、それって意外と難しいことなんだって思い知らされています。
個人がそれぞれの生きがいを見つけられること、、、
そして社会がそれを推進して行けること、、、
多くの人たちは、大人になるととにかく自力で生活をしなければならない。
そしてそのことで手いっぱいになって、自分が本当にやりたいことを見つけるゆとりがないのが現実。
昔のその昔、「仕事が面白くない」なんて愚痴りましたら、「なんで面白くない仕事をしているの」って不思議そうに聞かれたことがあります。
その時には、自分の生きがいになるような仕事や趣味を持てる幸運な人なんて、はたして何人いるんだろうなんて思いました。
賢い私は(?)、自分の仕事が有意義で、面白いものだって自己暗示をかけることに成功して定年まで勤め上げましたが、そんなことすら意外と難しいのですね。
以前にも書いたことがありますが、「あなたと仕事をする人にどんな人がいいですか」って質問に、「仕事を遊びでする人」って答えましたら、相手の市長さんはびっくりして、「その訳は」って聞き返されたので、「言われたことをいやいややるような人と仕事をしても面白くないでしょう。仕事が楽しいって思っている人なら、きつい仕事でもどんどんやってくれるから」って答えましたら、納得してもらえました。
そう、面白くてやる仕事、楽しんでやる仕事、自分が意義を認めてやる仕事、そんな仕事を見つけられれば、生きがいを感じますよね。
あるいは、仕事を、趣味に広げてもいい。そんな趣味を見つけられれば、いい人生を送れるのじゃないでしょうか。
でも、好きでもない毎日の仕事をこなすことでいっぱいで、他を見る余裕もなくなってしまう。生きて行くってこんなことなんだなんて自分を慰めながらね。
やっぱり、ちょっと悲しいのかな。
でも、その悲しさが充満しているのが今の社会かな?
周りを見回すゆとりを持つことって、そんなに贅沢なことでしょうか?