夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

岬の花火

2011年08月28日 10時17分35秒 |  岬な日々


昨夜、墨田の花火をやってましたね。
きれいでした。日本最大規模の花火の一つですから当然でしょうけどね。
知人が誘ってくださったんですけど、残念、行けなかった。
テレビで眺めるだけ。


NHKでは大曲の花火。
これまた、素晴らしいですね。
墨田の花火の豪華さとはちょっと違う花火。
日本の花火師が課題と自由の二つの花火を上げるんです。
名前がかかっていますし、総理大臣賞もでるんですからね。


ところで、いすみ市。
近くでは一宮や、御宿や鴨川、勝浦などでも花火大会があります。
今年の花火は一宮のもの。去年と一昨年は御宿の花火を日記にアップしていましたね。
いすみ市では国吉というところで花火がありますが、今年は中止になりました。


なので、花火の代わり。
ベランダの花火をご紹介。



以前ご紹介したオクラの花。
実物はこんな風ですね。



いかがですか?
ちょっとは、花火に見えますでしょうか。

テレビで見るか、見立てで見るか、、、、
割れ鍋だって綴じ蓋があるじゃないですか。
花火がなくとも、オクラがあるさ。





札幌交響楽団 悲愴

2011年08月28日 09時13分47秒 | 芸術・文化


NHKで札幌交響楽団の悲愴をやっておりました。尾高忠明の指揮で6月4日に収録されたものだそうです。

これを聞きながら、ふと自分の評価って言うのが、自分のもっているデフォルト・スタンダードに如実に影響されるんだ、それとの対比で評価するんだって、当たり前のことを痛感していました。

「悲愴」 もう50年近く前に、私が前髪紅顔の美少年だったころ(????)大好きな曲でした。指揮者として、その頃の私の神様は、トスカニーニとフルトベングラー。この全く異なる性格の二大指揮者にまいっておりましたんですよ。

だから、悲愴を聞くときは、トスカニーニのあの早い、リズミカルな、ダイナミックな演奏と、フルトベングラーの重厚な演奏がともにデフォルトにあるという分裂症ぎみの立場に置かれるんです。

スコアーを手元に一生懸命、ここは第一主題の再現だからとか、ああだとか、こうだとかって自分なりの評価基準を見つけようとはしておりましたが、いかんせんまだ子供ですからね~ 自分にあの二大巨匠に文句を付け、あちら、こちらに軍牌を上げるほどの実力のなさに打ちのめされておりました。
懐かしいですね~

ところで尾高さんの指揮。
大人しいし、柔らかいですね。全体にもっとダイナミックに、6連譜のマーチのところでももっと歯切れがあってもいいんじゃないかって思うくらい。全体として、追憶の悲愴って感じがしてならなかった。
でも、とてもしっくりした、綺麗な演奏でしたよ。

そして札幌交響楽団、弦と木管がとても綺麗ですね。
ここまで素晴らしい交響楽団だとは、、ごめんなさい、、知らなかった。
ここまで来るのに、郡山のお菓子屋さんの息子さんの力も大きかったんでしょうね。
震災後、石巻からの帰り、郡山を通りながら、彼は今何をしているんでしょう、少し前までは東南アジアにいたみたいだけど、なんて思っておりました。



京都にお嫁に行けないや

2011年08月28日 08時34分50秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


京都にお嫁に行く時、ご両親を初めて訪ねる時、よく魚の料理がだされるのだそうです。綺麗に食べられれば合格。そうでないと、躾がなってないね~ってあの、京都風のにこにこした顔で駄目をだされちゃう。。。なんだそうです。
なので、おいちゃん、最近ものすごく気にしているんですけど、
でも、やっぱりこんな風になっちゃいました。
おいちゃん、京都にはお嫁に行けないや。

でもね、、、おいちゃんは長崎の出身。魚の町なんですよ。あそこで生まれ、育ったんですから、ほんとは綺麗に食べられるんです。でも、チビ太にも残してあげよう、身もたくさんあったほうがいいからって、、、、、それで、こんな風になっちゃうんです。

チビ太、感謝感激。