今日の多摩川散歩。
散歩を終わって帰りしなに鳥の師匠とお会いしました。
で、またまた師匠のお散歩のお供をさせていただきました。
丸子橋を過ぎても、とぼとぼ、とぼとぼ。

ふと左を見ると、等々力緑地が川の反対側に見えます。
自転車で行ってもけっこうあると思っていましたけど、話し相手のいる今日は意外と近く感じるな~なんて思いながらも、とぼとぼ、とぼとぼ。

鳥の師匠はガス橋から丸子橋までが一日のノルマなのだそうで、毎日16000歩を歩かれているそうです。
先日、散歩の終わりに師匠とお会いして、引き返してガス橋、丸子橋間を2往復したときは17000歩でした。
死んだら神社と銅像を作ってもらうために、薪を背負い、本の代わりにカメラを両手に持って歩いておりますけど、普段は8000歩くらいしか歩いていないのです。
師匠とお話をし、いろんなことを教えていただきながら歩いていると、気がつかないうちにゴルフコースの渡船場に来ておりました。
第三京浜の橋は目と鼻の先。
なんだか恋をした女の子か、タランチェラにかまれて熱をだして自分がなにをしているのか見えなくなってしまったような気分。
いや、そうじゃない、師匠は「さそり」さんでした、サソリの一刺しなのでしょう、、、

いや、さすがに疲れましたよ。背中が重い。
でがけに、ズームをやめて単体レンズを何本か持って行こうかなんて思っていましたけど、ズームにしておいてよかった。単体レンズだったら完全にへばったでしょうね。ユリカモメの体がアオサギになったみたい。重いよ~

100円ショップで購入した万歩計はまた誤動作しておりました。でも、丸子橋2往復が17000歩だとすると、それから先が長かったのです。多分8000歩くらいは、いっているのではないかと疲れた足が言っておりました。
家に帰りついたら、半分死んだようになって寝ておりました。
今も、生き返っているのか、死んでいるのか、定かではありません。
池神の力士舞かも白鷺の
桙啄ひ持ちて飛び渡るらむ
万葉集
長忌寸意吉麻呂 (ながのいみきおきまろ)
力士舞 りきしまひ
桙 ほこ
啄 く
池の神様の力士の舞みたいに
白鷺が枝を咥えて飛んでいる
白鷺を詠んだ詩って万葉集にはこれ一つしかないって言われているのですけど、確かにシギは万葉にも古今にも結構出てくるけど、白鷺は覚えがないですね。
白鷺が近くを飛ぶと、その白い羽の持つ美しさもさることながら、とにかくでかいな~って感じがします。多摩川の私の散歩コースではほとんどがコサギですけど、ここいすみ市ではダイサギやチュウサギが多く、余計にそのボリュームに圧倒されます。池の神様の力士の舞っていうのも白鷺が身近に飛んでいく姿に、そのボリュームをニュアンスに持たせているのでしょうね。
サギは私の身近な被写体なので、この詩の持つ面白みがよく分かります。
この前に「報われないもの」って書きましたけど、今度はかわいそうなもの。
臭木。クサギ、、臭い木。
ひどい名前をつけられたものって結構多いのですよね。
屁糞蔓(ヘクソカズラ)、オオイヌノなんらた、、
かの大学者さんも、ハキダメギクなんて名前をつけたりして、、、
これも臭い木なんて、 なんで~ってことですけど、葉っぱが臭いんだそうですよ。私は、意識して嗅いだことがないので分かりませんけど、
でも、花はいい匂いだっていう人もいましたね。
写真では実は黒くなっていますけど、一月ほど前はきれいなブルー。
この実で布を染めるんです。見事な空色が染まります。
これまた、在来種のはずなのですけど、万葉集から新古今まで、ちょっと調べましたけど、昔の歌人たちには無視されていますね。
かわいそう、、、、
クマツヅラ科クサギ属。
クマツヅラ科にはムラサキシキブなどが親戚でおります。
公孫樹、銀杏、鴨脚、、、
イチョウは日本の在来種ですよね?
以前の仕事場は昔の大名の下屋敷でした。今でも大きなイチョウの木が10本近くそびえていて、これからは黄色に色づいた葉っぱが地面をカバーしていきます。
でも、今はまだ青い葉っぱのままだそうです。
昨晩、いすみに来て、今日は自転車で岬を走り回って見ましたが、ほとんどのイチョウはこちらでも青いまま。
でも一本色づき始めたイチョウの若木を見つけました。
まだ緑を残し、曇りの日の下で広げている鴨の脚(イチョウの葉)になんとなくおずおずとした感じを受けたのは思い過ごしでしょうね~
大きな木、そして見事な黄葉。銀杏、、、
どこをとっても存在感のある木のはずなのですけど。
不思議に、万葉集にも、古今集や新古今にも公孫樹を詠った詩は覚えがないのです。
思いついて、唐詩選を見てみましたけど、不思議なことにこちらにも見当たりません。(ちゃちゃちゃって見てしまったので、あるいはどこかに隠れているかもしれませんね)
それにしても、ずいぶんと冷遇されているというのか、無視されていますね。
なぜなのでしょうか?
ものごとに秋ぞかなしきもみぢつつ
うつろひゆくをかぎりと思へば
古今集
詠み人知らず
それでも万葉の時代にはもみじは黄葉のことだったんですね。
それがだんだんと紅葉のことを指すようになってきて、、
黄葉は忘れ去られたのかな?
歸去來兮 田園將蕪胡不歸
既自以心爲形役 奚惆悵而獨悲
。。。。
歸去來兮(かへりなん いざ)
田園將(まさ)に蕪(あ)れなんとす
胡(なん)ぞ歸らざる
既に自ら心を以て 形の役(えき)と爲し
奚(なん)ぞ 惆悵して 獨り悲しむ
はよ家に帰らんば 田んぼも畑も荒れてしまいよる
自分の気持ちを形のために犠牲にして 一人でめそめそしとってもいけんじゃろう
。。。。
陶淵明の有名な歸去來兮辭ですよね。
これは前文(序)があり、この詩自体も、ずいぶんと長い詩です。
形ばかりで実のない役人生活に無理に自分を合わせていることに絶望し、家に帰ろうと述べている詩。序にはその辺が述べられています。
そのうち、気力がありましたら、序と全文をご紹介したいですけど、今はここまで。
いすみ(岬)にはもう一月以上も来ていませんでした。
昨夜、こちらに来て、のんびりとベッドに横たわり、体だけでなく、心まで広くなるような気がします。東京の生活が陶淵明のような自分を無理に何かに合わせているということではないのですけど、やはり自然の中にいるという気分がなにか心をくつろがせるのでしょうね。
散らねどもかねてぞ惜しきもみぢ葉は
今はかぎりの色と見つれば
古今集
詠み人知らず
紅葉のピークに圧倒されながらも、その先を読んで悲しみを覚える、、、なんて別に日本人の専売特許ではないですけど、でも日本人らしい感覚ではありますよね。
先日、レンズのテストをしておりましたが、三脚をつけて撮影しているのにどうもぼけたようになっていて、ブレがでているのかと心配になりました。
トップの画像を見てくださいね。
D300
Nikkor ED 400mm F5.6
もちろんフォーカスはマニュアル
ライブビューで拡大して上の花弁のしべにあわせてあります。
ライブビューの画面ではしべがきっちりと写っていました。
でも、撮影した画像を見るとオリジナルの画像でも、なんとなくぼけている。
まさかライブビューの画像が狂っているわけではないと思いますけど?
となるとブレなのでしょうかね?
今日は満月。
月を撮ってブレを見てみました。
月は夕方の5時15分、本来はもっと遅くなって、月が高くなってから撮るべきでしょうけど、、、
もし遅くなってもまだ元気がありましたら撮影しなおして差し替えます。
D300
タムロン200-500ミリ 500ミリ
1.4倍テレコンバーター
ISO800
1/320 F. 9
マイナス3補正

こちらは同じデータですが、ミラーアップして撮ったもの
変にコントラストが落ちていますね。これはなぜだろう?

ブレに関しては、ほとんど違いが分かりませんね。
リサイズする前のオリジナルでも判断つかない。
でも、どちらもなんとなくぼけている。
もっと月があがったときでないと駄目でしょうか。
午後9時15分に撮った写真です。
色の違いは露出補正の違いだと思います。
こちらは露出補正なし。

なんだか久しぶりに晴れ上がったような気がします。
すばらしい秋の一日。
3日ぶりに散歩に出ました。
ユリカモメはのんびりと空を舞っています。
カワウの大編隊を見ました。ちょうど雁の渡りのように大きなV型の編隊が3っつも、4っつも飛んでいっていました。こんな数、こんな編隊飛行は初めてみました。
鴨たちも今日はおおはしゃぎ、
今日が満月なのと関係があるのでしょうか?
満月になると狂うのは人間だけではないみたいですね。

でも、なかには、呼びに来るのが早すぎて、アイシャドウがうまくのらなかったってぶつぶつ言っているのもいましたけど、、、
これまた、何事にも文句を言うのは、鴨だけではないですね。
ところで、この手の混血、鴨には多いんですけど、ルーツ探しは大変。どこかの次期大統領みたいに、アフリカにまでは行かなくてもいいのですけど。
今日もアメリカヒドリを探していましたけど、見つかりませんでした。
