夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

今日の散歩

2008年12月21日 21時09分32秒 |  多摩川散歩

午後から雨という予報が出ていたと思ったのですけど、間違いだったのでしょうか。
今日は暖かいいい天気。

多摩川から六郷用水のほうへ迂回し、さらに丸子橋から二子玉川まで距離を伸ばしました。といっても二子玉川へは一度歩いていって懲り懲りしていますので、今日は自転車。
それでもかなり疲れて帰ってまいりました。

六郷用水は相変わらず水が綺麗だし、鳥の声はうるさいほど。
特に新幹線の下からの最初のスパンは緑が濃い性でしょうか、いつでも鳥がたくさんいるようですね。
ただそれが見れるか、そして写真に撮れるかは別な問題ですけど。



用水のほうから二子玉川へ抜けるとなると、新しく作られている歩道を使えません。
あの狭くて怖い道路端を行かなければならないのがちょっとつらいですね。
駐車場のところから川傍の道をあがって行きます。やはりこちらはガス橋から丸子の間に比べれば鳥の数が多い。
でもセキレイはちょこまかとすばやくて、撮りにくい鳥ですよね~
「止まれ!」って怒鳴りましたら、びっくりして止まってくれました。



二子玉川の駅の近くに河川敷にレストランと食器などを売るお店がありましたので、こちらで休憩。




「かもめ食堂」ではなかったです。名前は忘れてしまいました。



トップの写真は、こちらから大きくトリミングしたもの。これはノートリですけど、



ずいぶんと親しげに、傍によってくれるのは嬉しいけど、あまりより過ぎるとフレームに入らなくなるので、過ぎたるは及ばざるが如しって言葉を教えてあげました。



さて、お家に帰って、化粧を落としたら、



ゆっくりとお茶でも飲んで、休むといたしましょう。




晩秋

2008年12月21日 18時49分55秒 |  多摩川散歩


東京には冬がないって何度も書いています。
いすみにも冬がない。



人の一生に冬がないのは不幸なのかもしれないとは、厳しすぎる、長すぎる冬を味わったことのない幸福な人だけが考えられることなのかもしれませんね。



その意味では東京には人の数ほど冬はあるのかもしれないけど。


ふん、そんなもんで喜ぶか

2008年12月20日 22時36分46秒 |  多摩川散歩


昨日は散歩の途中で再度、六郷用水へと迂回しました。
途中の看板を見ていましたら、六郷用水はかっては多摩川のあたりから発して、途中分岐され六郷と大森へと通じる用水だったのですね。
昨日の鳥は鶯。
鳥はたくさん鳴いていたんですけど、こんなものしか撮れませんでした。
やっと鳥を見つけても、相手はすばやく動いています。こっちの枝、あっちの葉っぱの影にあっという間に隠れてしまいます。
木の間にいる鳥を皆さんはどうやって撮られているのでしょうね。
鳥にピントを合わせるだけでも、私には難しすぎる。



町にはこんなクリスマスの飾り付けをした家もありました。年も押し詰まったのですね~




猫君がおりましたので、猫ジャラシを差し上げましたけど、
「ふん、そんなもんで喜ぶほど子供じゃないよ」って馬鹿にされました。



オカメザサと  君こずばひとりやねなんさゝのはの  そして風車の詩の追加

2008年12月18日 09時33分57秒 |  気になる詩、言葉
 

             さきほど追加しました一番下の風車の詩。また変更しました。


君こずばひとりやねなんさゝのはの
     み山もそよにさやぐ霜夜を
            新古今集
            清輔朝臣

詩そのものはすぐにお分かりになるはずで、どうってことない詩なのですけど、ここでの問題は笹。
上代の詩にはけっこうたくさん竹や笹、篠などが詠われています。

竹のはに風ふきよわる夕暮れの
     物のあはれは秋としもなし
            新古今集
            宮内卿
   (宮内卿のことは以前、すばらしい歌人だと書いていますよね)

風そそぐしののをざさのかりのよを
     思ふねざめに露ぞこぼるる
            新古今集
            守覚法親王
   
でも当時でも、その間の区別があまりはっきりしていないようです。
植物分類が発達した今、それが余計に混乱を招いています。
植物学者は「成長後に皮を落とすものをタケ、落とさないものをササ、(アズマ)ネザサを篠という」なんて簡単に言います。

でも、私に言わせればそんなのは学者の寝言。カメラを構えている私には、そこに居ついて、皮を落とすか落とさないか見極めなければ笹か竹か分からないなんて、意味ありませんよね。
それにそれが現代的にはササなのか、タケなのか分かったとしても、上代の詩人の間では混同されているのですから、、


おまけに、スズタケや、メダケはタケがついてもササ。
オカメザサはササがついてもタケなんてのたまう。
それに竹の象徴みたいなモウソウダケは徳川時代に中国から入ってきたそうなので、上代の歌人が竹というときにはマダケの類が頭にあったのでしょうね。

ということで今日のトップの写真はオカメザサ。
ササがついているけど、タケなのだそうです。
どこが違うなんて私に聞かないでくださいね。

世の中分からないことばかり。



ほんとの蛇の足
これを追加しましたので、タイムスタンプも新しくしました。

トップの清輔朝臣の詩を読み返していて、ふと一首浮かびましたので、、、、

君来ぬと思えど聞こゆ笹の葉の
    さざめきやまぬ冬の夜長や
           風車

また、やってみたい。
嫌がられるのは分かっているけど、
えぃ、やっちゃえ、、、

「よっ、ボクちゃん、大統領! 天才!!」

 

バラ

2008年12月17日 17時14分47秒 |  あなたの鼓動、華


雨が降っています。
これは恵みの雨なのでしょうか。

月曜日、散歩に出ました。久しぶりということで、いつもの薪の半分も背負っておりませんでした。量が少ないので、バッグは小さ目を肩に担ぎ、70-500ミリと、三脚、カメラを首にぶら下げました。首に全部をかけて出かけたのですね。
歩いているときに骨盤やお尻の上辺りが痛くなり、帰ってからは腰から背中にかけて、椅子に座るのもきついくらいに痛みがありました。

久しぶりの運動だから筋肉痛だろうということで、筋肉の痛みは使って治す。火曜日にも散歩に出ました。今度は、反省してリュックにすべてを入れて歩きました。月曜日よりも5割り増しくらいの行程。いや、疲れました。普段、レンズを出し入れするとき以外はリュックは下ろさないのですけど、昨日はたまらず、川の堤防に横になり、タバコ休止。それでもやっとのことで家までたどり着きました。

今日、晴れ上がったら、多摩川が魂川になって、三途の川になったでしょうね。とにかく、やるとなると、意地でもやるってところがある人なので、こんなときには困ってしまいます。



今朝は昨日の写真をアップし、今日の写真は、花瓶のバラ。
私の写真は散歩の記録ですから、家の中で活けてある花を使うというのは私としては危機的状況。写真のストックもないということなのですね。
もちろん、いろいろ試したいことや、調子を見たいことがありますので、まったく無駄ではないのですけど、、、


ただバラの花を撮って、アップするだけなのに、いろいろとぐじぐじがありますね~


トップと下。
マイナス補正をかけたものもありますが、補正0の方がカメラのディスプレイではちょっと明るすぎと思いましたけど、綺麗に行っているようです。こちらは両方とも補正なしのもの。
もう少し、被写界深度が欲しいけど、これ以上絞ってもあまりいい影響は出ないはずですね。さてどうしたものか。
それに、フルサイズだと、被写界深度が浅くなる傾向があるのだそうです、その辺フルサイズにしたときに、もしかしたらちょっと困るかも。


シロ

2008年12月17日 12時41分23秒 |  多摩川散歩


先ほどの日記で、「シロ君については後述」と書いていますね。
こちらがシロ君です。

昔、シロ君は有名な野良でした。
多摩川のガス橋あたりを棲家にして、自由気ままな生活を謳歌していたのです。
彼の王国では入るものは誰でも温かい、心からの歓迎を受けました。
小さな子でも、大きな子でも、それなりに、彼の手厚いホスピタリティを受け、楽しい時間を過ごすことができたのです。
彼が有名になったのはそんな彼の行動がこのあたりの人々に広く知られていたからなんですね。



今になって思います。
彼に、破れ風炉と釜、欠け茶碗を渡していたら、その辺のエセ茶人ではなく、本物のお茶人が生まれたでしょうね。
表に出ない、客へのもてなしの心、客に自然に楽しんでもらえるようなしつらい。
これこそお茶の心だと思うのですよね。
なにやら道具や、格好ばかりに気を取られているお茶人たちがあまりにも多いこと。。。


シロは、ある日悪い人の手でロープに繋がれ、食事も取れないような日々を送ることになりました。それからやっと逃げ出した彼は、決して人間を信用しようとしなくなりました。

そんなある日、彼を見つけてほれ込んだ人がおりました。
家に連れて行きたいと、何度も彼に声をかけたそうですけど、彼はいつもするりと逃げてしまいます。彼はとっても賢こかったのですね。
そこで、その人は毎日決まった時間に、彼にご飯を届けることにしました。
毎日、毎日。
彼も、その時間に必ずその場所に姿を現しました。
そして2ヶ月がたったある日。その人は「家に来る?」って聞きました。
シロは三つ指を突いて「末永くお願いいたします」って答えたそうです。

翌日から、シロ母さんと、シロの毎日の散歩が多摩川の河川敷で見られるようになりました。


私は、野良時代のシロを知りません。
でも、この辺はマンションが多く、小さな室内犬が多いのです。
シロはレトリバーと並んでも見劣りしないくらいの大きさの犬なんですけど、彼に対して小さな子達が恐れを感じるようなことは見たことがありません。
小さな子達の間に目を細めて座っている彼の姿をいつも見ていました。

そんなとき、大きな子達が来ると、普通は、小さな子も大きな子も入り混じって遊んでいるのです。ここではそれがむしろ当たり前の状況なのです。
でもたまには、小さな子が怖いとか、威嚇するようなときがあるのです。
そうすると大きな子も反射的に構えてしまう。
そんなときにシロは、すっと間に体を入れていきます。
どちらに味方するわけでも、意見をするわけでもない。ただ体を間に入れるだけ。
そうすることで、小さな子は安心して、威嚇を解きますし、大きな子も間の悪い思いをしなくてすむ。
そのうちに気がつくと、みんなで遊び始めています。
そんな光景はなんども見ました。

シロは賢い、そして頭のいい子なのですね。

別れ際にシロがシロ母さんのことについてこういいました。
「信頼ですよ。2ヶ月の間、毎日ずっと、同じ時間、同じ場所に餌を運んでくるその気持の底にあるもの、、、それに対する信頼ですよ」



どこかの宇宙では、毎日、何十年もの間、生きる糧を運んできてあげても、用済みになると「はい、さよなら」というのがはやっているのだそうです。


ゴールデンレトリバー

2008年12月17日 11時10分11秒 |  多摩川散歩


今日は雨。昨日の写真の整理をしています。
今日の日記は珍しくゴールデンレトリバーのオンパレード。
昨日は、アンディ君を始めとする3頭のゴールデン君たちに会いましたので、、、
もう1頭、シロ君もおりましたけど、シロ君はこの後にワンマンショーに出演予定なので、こちらには掲載はしておりません。



ほらほら、アンディ君。
「これがケーキならよかったのに」なんて考えないで。
たらねばじゃ、この浮世は生きていけないのですよ。



そうそう、気を取り直して、、



ちゃんと最後まで、アンディママのところへ持っていかないと駄目ですよ。



そんな~ 
可愛い子が傍を通ったからって、お勉強を忘れちゃ駄目じゃない。



ほら、この子はこんなに一生懸命に励んでいるのに。



お勉強はちゃんと最後までやらなきゃね。



ほうら、あの娘も行っちゃった。



六郷用水     シメ、コゲラ、メジロ

2008年12月16日 23時20分40秒 |  多摩川散歩


六郷用水にいろんな小鳥が飛んできているって聞きお話を伺っていましたが、どうもピントこない。私の記憶だと東横線の多摩川から中原街道の下をくぐるトンネルからお寺までの間だと思っていたのです。用水は一度ここで切れているのです。

でもこれは間違っておりました。沼部の駅を過ぎてから鵜の木まで、その後ずっと続いていたのです。この用水のことを書いたブログを見つけましたので興味がある方は参照してみてください。

水は本当に綺麗です。



多摩川から沼部までの間の鳥や大きな鯉は以前紹介していますけど、今日話を聞いたのは、その先の部分。もう一つお寺があって、そこからずっと用水がつついています。お話では風呂屋があってその裏手の茂みなどにはいろんな鳥が来ているとのことでした。確かに鳥の声はしますし、潅木の茂みをちょこちょこと歩き回っている鳥もいました。

ところで、今日は新しい部分では鳥の写真が撮れませんでした。
多摩川に近いほうでは、メジロがたくさん群れをなしていましたし、シメやコゲラなどもおりました。近くの方の話では、そこに、ちょっと前にカワセミがいたよ。まだいるかも」なんてことでした。残念ながらカワセミちゃんは出てくれませんでしたけど、、







これはなんどか来て見る価値がありそうですね。


こちらはいすみ以上にまだ秋が居座っていますね。


雨の一日  雑感

2008年12月14日 11時02分00秒 |  岬な日々


雨が降っています。
外に出る気がしないせいでしょうか、なんとなく落ち着いた気持ちで、杉の葉っぱに降り注ぐ雨を見ています。

今日は東京に帰る日。
夕方遅くには雨は上がる予報ですが、多分その前にこちらを出発ということになるでしょうね。
山側にお住まいの方からは、「一面の銀世界」なんて日記が飛び込んできています。途中の山側では雪が積もることはありますけど、こちらではそんなことは何十年に一度歩かないかの大事件です。

年末に東北に行こうかと思っていますけど、この風景を見ているとタイヤをスタッドレスにかえるのがなんとなく実感がわきません。
おまけに、ジムニーのタイヤはあまり一般的ではないサイズなので、大安売りの恩恵を受けられないのですね。
懐を見ながら、考え込んでいます。

ところで暖房は20度に設定してあるのですが、なんとなく薄ら寒いのです。つい数年前まではこれでも暖かいと感じていたのですけど、歳を取ってくると基礎代謝が少なくなり、寒さを感じるようになるのでしょうか。それにしても数年で体に感じるようになるというのはちょっと急激過ぎ、これから先が思いやられます。



外に出ませんので、今日の写真がありません。
昨日のお蔵入りした写真をトップに使いました。
今日の雨の予兆でしょうか、なんとなく事件を予感させるような夕日ですね。

昨日のコハクチョウ。
いつもは布施というところに飛んでいって、餌を食べています。
朝一度、布施の方向へ飛んでいきました。
Mixiに子供に白鳥を見せたいという方からのメッセージが届き、日の出、日没時のトンボの沼のほうが飛んでいる白鳥を見られて綺麗だけど、日中、見たいのであれば布施にいますって書いていましたので、訂正を送りました。

この写真を撮ったトンボの沼では、昨日の朝、仲間を見送りながら、傷ついた白鳥は悲しげな声で悲鳴ともつかない声を上げていました。大丈夫なのでしょうか。
いすみ市の手で保護をされればいいのですが。



一度、布施に飛んでいった白鳥たちはすぐにトンボの沼の近くまで戻ってきて、そこで昼の間過ごしたようです。布施でなにか異常を見つけたのでしょうか、それとも傷ついた仲間(灰色でしたから、幼鳥だったのですね)を気遣って近くに移動したのでしょうか。なんとなく後者であれば嬉しいなって感じがしますけど。

人が集まって、誰かにお金を渡し、権限を与えて、政(まつりごと)を任せるというのは、そんなことなのじゃないかなと思えます。
力があるとき、元気なときには、むしろ誰かに制約されることは煩いはず。
それがなくなったとき、どうみんなの生活ができるように保障してくれるのか、政の大事な基本なのだと思います。
それを忘れた政治は、国は、白鳥以下。その存在理由をなくしたも同然なのでしょうね。



外の雨を見ながら、そんなことをふと、思ったりしております。