旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

十年目の台湾 總爺藝文中心

2017-06-04 09:00:00 | 台湾日記

總爺藝文中心 (台南市麻豆區南勢里總爺)

隆田駅前のバス停で待っていると、子供連れの女性がやって来た。運休とかではないようだ。程なくバスがやって来た。思っていたよりバスが小さい。車内には数人の先客がいる。出発したバスは広い道ばかりでなく、集落の中の道幅の狭い所も走っていく。対向車が少し広い所で待っていないとすれ違えない。バスが小さくなくてはいけない訳だ。お客も少ないけど。立派な道教廟があったり、家の前にイスを出して座って話しに興じる爺様婆様方を見たりと、台湾の地方の街の様子を垣間見るようで、バス旅もなかなか楽しい。

大通りに出て、台灣高鐵(新幹線)の高架線と交差したり、高架道路の下の道を通ったりしていると、大きな学校が出てきた。台灣首府大學という。バスは大学構内に入り、守衛はバスを通す。大学内の建物を車窓に見て、しかし大学内では乗降客はなく、構内から出てゆく。次は目的地の「總爺糖廠」である。文字では分かっているが、これを何と読むのか知らない。「そうやとうしょう」ではあるまい。しかしバス車内では次の停留所が漢字で電光表示されるので心配はない。バス運賃も悠遊卡で支払うので、小銭を用意する必要もない。無事に總爺糖廠で降車する。

興南客運 橘10線 隆田火車站(14:55)→總爺糖廠 票價33元(刷卡33元)



總爺糖廠、昔の製糖工場である。總爺はここの地名。かつての工場の敷地に入ってゆく。現在は總爺藝文中心として公開されている。




老火車頭

砂糖黍を運んだ軽便鉄道で活躍した蒸気機関車。民國37年(1948)の製造。




紅樓

日本時代の大正元年落成の建物。總爺糖廠はかつては明治39年創業の明治製糖(平成8年に大日本製糖と合併し、現在は大日本明治製糖)の工場であり、この建物は明治製糖本社だったそう。昭和14年11月に台湾を訪れた内田百先生は、ここ蔴荳の明治製糖の本社に滞在している。


招待所

もとは社員クラブだそうで、百先生が落ちつかれた倶楽部というのはここかと思う。


石燈籠

「洗石子的石燈籠 刻工非常精緻 石燈籠的文化可追溯到中國唐代 日本西渡學習中土政治 經濟 社會 文化 藝術 宗教及文字典籍 隨著佛教東傳到日本 復因茶道盛行 遂成為庭院中不可或缺的装飾品 石燈籠的獨特風采與多様造型 為庭園景観増添了動人的美感」

本社の建物の北側には日本庭園があったそう。今も石灯籠が残る。


それでは紅樓の内部へ

中の様子を紹介したいところだが、現在は藝文中心といい、芸術作品の展示に使われている。撮影は禁止である。正直なところ建物に興味はあっても、作品に興味はない。それでもせっかくなので見学する。靴を脱いで屋内へ。ここへはコインロッカー等で荷物を預けてきていないので、大荷物である。スタッフに荷物を階段下の場所に置いておくよう言われる。それはいいが、海外では命の次に大切なもの、旅券を荷物から取り出していると、スタッフに自分が日本人である事が判る。遠来の訪問客にいろいろ説明してくれるのだが、自分は中国語はほとんど判らないし、英語も大して判らないので、スタッフの方も困惑される。ここの施設が入場無料だという事と、現在この建物で9人のアーティストの作品が展示してある事は判った。芸術もよく判らないのだが見てまわる。宇宙船が着陸したという音と光を出す大きな作品もあって、なかなか楽しかった。




樟樹緑隧(緑色隧道)

敷地を縦貫する並木道。


それでは招待所へ

倶楽部の建物は京風の木造二階建。



先生が夕食に水牛の鋤焼を所望し(無かったので黄牛の鋤焼に)、製糖会社の人と款話しながら麦酒を飲み、鴨居の辺りにいた守宮の啼き声を聞き、持病の結滞の発作が起こってしまった倶楽部はここなのかと思う。本当にこの建物か確認するすべは無いが。


換展中

展示入れ換え中で、中には入れないぞ。もとよりここも撮影禁止だが。白い守宮の這っていた鴨居だけでも確認したかった。残念。これは倶楽部に入るだけのために再訪か。


倶楽部の側にも芸術作品が!


自由廳


舊圖書館


本社の他にも赤煉瓦の建物が!

正門はバロック式。


紅磚工藝館

かつての食堂。幹部用の小部屋と、一般社員用の広い部屋に分かれていたそう。ここも何かを展示していて、中はよく見ていない。






蓮花池


廠長宿舎(社長宿舎)

「木造社長邸宅 社長邸宅は木造で、高くて広い建物です。庭が二千坪余り、花や草木がたくさん植えられ、さらに南側には日本庭園もある、立派な住まいです。以前は、普通の人は立ち入り禁止でした。」

日本家屋なので、もちろん靴を脱いで屋内へ。今日は靴を脱ぐ回数が多いな。例によって屋内の写真は無いが、社長宿舎とあって立派なお屋敷でした。お庭の方から建物の外観でも。










古井(古井戸)

ここで別のスタッフの方に話し掛けられる。中国語のみで会話は成り立たず。「我是日本人」「我不知道中國語」と言ってみる。スタッフの方は納得する。


お庭の樹木と建物を撮影する女性を見掛ける!




總爺藝文中心自行車道



自転車道を見て、廃線跡かと思ってみたが、これは違うかな。そもそも軽便がどこを走っていたか知らない。本社前駅があったそうである。


枝から垂れ下がっている木が何なのか知らない!

南国的ではある。


總爺國小 (台南市麻豆區南勢里總爺)

かつて神社のあった場所は小学校になっている。さて、ちょっと總爺藝文中心の敷地から出て、付近に出掛けてみる。見ておきたいものがある。


道端で昼寝するワンコを起こしてしまった!

黒い犬は台湾でよく見掛ける。動物には疎いので犬種は知らない。


清代南北官道

そんなに由緒ある古道だったのか。


嘉南大圳麻豆支線

見ておきたかったのは嘉南大圳。今日は烏山頭水庫(ダム)には行かないけど、せめて水路だけでも見ておく。昭和5年竣工の嘉南大圳は、今も嘉南の田畑を潤している。






台灣首府大學を望む!




碑文

藝文中心に戻ってきた。製糖工場跡を臺南縣縣定古蹟として保存した経緯が、臺南縣縣長(当時)の署名入りで記されているのだと思う。日本なら巨大ショッピングモールにでもなっているだろう。なお民國99年(2010)、臺灣省臺南縣と同省臺南市は合併し、臺灣省を離れて直轄市の臺南市となっている。さて、總爺藝文中心の見学は1時間程でよかったが、帰りのバスまでまだ1時間弱ある。敷地内は古い建物だけでなく、公園のようになっていて、ステージからは音楽が聞こえてきて、ここを訪れている人も多い。売店や飲食するところもあるが、駅前でソフトクリームとアイスコーヒーを平らげてあまり間がない。ここでバスを待つのをやめて、麻豆の市街地の方へ歩いてみる。中学校の前までやって来た。バス停があるけど、隆田行のものではない。隣の停留所から乗ってみるつもりだったが、目的のバスに乗れないと困る。7-ELEVENで水分補給に寶礦力水得(25元)を買って、總爺糖廠のバス停に戻る。


南瀛總爺藝文中心 Nan-Ying Tsung Yeh Arts and Cultural Center

戻ってもまだ時間がある。時刻表にはバスの始発の停留所の発車時間のみが書かれ、そこからここまで約何分掛かるという書き方をしている。日本のように通過予定時刻を書いてくれた方が分かりやすい。夕方になっても總爺藝文中心を訪れる人が多い。車を止めて親子連れも降りてくる。この日は音楽会があるようだった。


無料のバスがあったのか!
いずれも中華民國104年7月25日撮影

15時45分に無料のバス便があったようだ。それでは見学時間が短すぎる。先程乗ったのと同じ小さなバスに乗車。總爺糖廠をあとにした。 (つづく)