旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

カリフォルニア紀行2000 バンクーバーへ

2005-01-26 09:05:53 | 帰国5周年記念
2.バンクーバーへ

2度目の北米大陸に向かってカナディアン航空の2便に搭乗している。機内放送は英語と仏語、そして日本語である。座席は窓の遠い中央部だったが通路側で便所に行くには便利である。白人女性の客室乗務員が茶菓子(おかき)を配り、飲み物の注文を聞いてくる。さっそくだがウイスキーの水割りを頼む。空気の乾燥した機内での一盞はうまい。やがて食事も配られる。2種類から選べる。何を選んだか忘れたが、日本人向けの味だったと思う。全く口に合わないビーフストロガノフを出したノースウエストとは違う。ワインやビール、コーヒーも頼んだ。映画を放映している夜間も頻繁にコーヒーやジュースを提供する。ノースウエストは男性の客室乗務員が水ばかり持ってくる。頼めば他の飲み物も持ってきたのだろうが。

何やらカードが配られる。カナダ入国に関するものらしいが、英文・仏文表記なので辞書をひきながら苦戦していると、通路を挟んだ席の日本人女性が旅行会社作成の記入方法のコピーを見せてくれた。どうも乗り継ぎだけの私には記入不要と思われる。日本人客室乗務員が通りかかったので聞いてみると、やはり不要との事。乗り継ぎのバンクーバーでカナダ入国はしなくてよいようだ。しかし荷物は受け取らねばならない。あとは居眠りしたり、文庫本を読んだりして過ごした。夕食からあまり間もないし、座っているだけだから腹も空かないが、朝食も残さず頂戴し、雲の下に入ると海と島々を見て YVR - Vancouver International Airport に、27日午前9時45分(日本時間28日午前2時45分)に到着した。

晩香坡(Vancouver, BC)、かつて氷川丸がシアトル(Seattle, WA)とともに日本とを結んでいた港町である。ちなみにシアトルは沙市と書くらしい。氷川丸は横浜船渠、のちの三菱重工業横浜造船所で昭和5年(1930)竣工、同年シアトル航路に就航している。昭和16年(1941)より航路は休止され、戦時中は病院船、戦後は復員輸送にあたり、昭和28年(1953)にシアトル航路に復帰している。私が初めてアメリカ(海外)の地を踏んだ桑港(San Francisco, CA)とともに、晩香坡は太平洋を渡ってきた者には相応しい地ではないか。

客船から上陸した訳ではなく残念だが、到着した空港はなかなか奇麗である。アメリカ乗り継ぎの表示にしたがって進む。カナダ入国の旅客とは別れる。やがて手荷物を受け取るターンテーブルがある場所に着いた。カナディアン航空の日本人スタッフがいたので聞くと、ここで手荷物を拾って、この空港内でアメリカの入国審査を受け、再度手荷物を預けてアメリカ行きに搭乗するのだという。審査後はアメリカ国内線のようなものである。ようやく手順が解った。しかるに私の手荷物が出てこない。とうとうターンテーブルは止まってしまった。先ほどの日本人スタッフに調べてもらう。カナダ入国のターンテーブルに行った可能性があるからだ。しかし見つからなかった。つまりカナディアン航空2便には私の手荷物は積み込まれていなかった。後続便で送られるだろうが、最悪、世界のどこかの空港に行ってしまったとも考えられる。今までこんなトラブルはなかったし、成田だから大丈夫だろうと思っていた。手荷物紛失に関する手続きは最終目的地で行うらしい。更に格安航空券なので予定の便で最終目的地に行かねばならないらしい。手荷物問題が解決しないままバンクーバーを離れなければならない。不安である。取りあえず盗難にあったわけではない。しかし着の身着のまま過ごさねばならない。呆然としたまま、日本人スタッフに見送られてアメリカ入国審査に向かった。

飛行機の到着から2時間近く経っている。もう審査を受けるものなど誰もいない。審査官も暇そうである。出入国記録カード (I-94W) 、関税申告書(何もないが)に記入して入国審査を受ける。行列無しであっさりと、あっけなくアメリカ入国できた。入国審査は緊張するものだが、とほほ気分での入国は初めてである。旅券を見ると、赤のスタンプで

U.S. IMMIGRATION
VANCOUVER, B.C. 232
JAN 27 2000
ADMITTED________
UNTIL    CLASS

黒のスタンプで

WT/WB
APR 2□ 2000

とある。きちんと押されていないのが有効期限は4月の何日迄かなのだろう。WT/WB とは何だろう(後日判明したがWTは観光、WBは商用との事、何で両方書いてあるのか不明)。ロサンゼルス行きの搭乗口に向かう。日本人もいないようだ。ふと見ると出張風の白人男性は手荷物は携行している。私もそうするべきだったと悔やむが、後の祭りである。待合室にはコーヒースタンドや雑誌などの売店がある。果物が豊富に並べられているのを見て、外国にいるのだと実感した。時間はあるのでコーヒーくらい飲んでも良いのだが、ショックから立ち直れないのと、カナダドルを持っていないので(米ドルも使えたのだろうが)、何もせずに飛行機の出発を待つ。次に乗るのはカナディアン航空503便で12時25分発である。昭和63年(1988)に札幌(千歳)-東京(羽田)間で初めて飛行機に乗って以来、12年間で利用したうちで一番小さな飛行機である。中に入ると通路が1本あって左右に3列ずつである。新幹線の車内のようである。さえない気分のまま大事件のあったバンクーバーを後に、南カリフォルニアに向けて出発した。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 成田空港へ

2005-01-25 10:25:00 | 帰国5周年記念

Golden Gate Bridge, San Francisco, California
January, 30th, 2000


1.成田空港へ

英語はとても話せるとはいえない。しかし話せるようになってから海外へ行くのでは、自分の寿命の方が持たない。別に英語で弁論大会をする訳ではなし、それでも清水の舞台から飛び降りる気持ちで初めて行ったのはサンフランシスコで平成8年(1996)の事である。それから返還前の香港、澳門(マカオ)と広東省深セン【土偏に川】、韓国と出かた。時差が少なく(韓国はなし)楽しい旅だったが、たまには太平洋を渡ってカリフォルニアの風に吹かれてみようと思い、成田からロサンゼルスまでの往復航空券(乗り継ぎ・ 38,000円)を買い、再び渡米することにした。しかし東京-広島線の普通運賃(往復)より安いとはどういうことか。国際線だから食事も酒も提供される。

平成12年(2000)1月27日木曜日。まずは新東京国際空港(成田空港)へ。新松戸駅で空港第2ビルまでの乗車券(950円)を購入。ここから常磐線→我孫子→成田線→成田→成田線→空港第2ビルが最短距離だが、東京近郊区間内のみの乗車券となるので乗車経路は自由である。船橋から快速「エアポート成田」に乗るべく、13時56分発の武蔵野線で西船橋へ。14時22分発の中央・総武緩行線に乗り換え次の船橋へ。この乗車券では途中下車は出来ないので改札内の自動販売機で船橋-空港第2ビル間の普通列車用グリーン券(950円)を購入。成田空港行きの快速には2階建てグリーン車が2両連結されており、座席は自由席となっている。我孫子経由でなく船橋経由で空港を目指す理由はこれに乗るためでもある。

千葉行の快速を見送って、ようやく快速「エアポート成田」の入線である。2階建て部分には網棚はなく大きな荷物は持て余すので、車端部の平屋部分(座席数12)の席に座る。船橋発14時31分。すぐに車掌が検札にくる。船橋から千葉までの短距離でもグリーン車を利用する客もいる。途中、特急成田エクスプレスを通過待ち。成田エクスプレスに乗ってみたいが、船橋には停車しないので仕方がない。成田線分岐点より成田新幹線になるはずだった路盤を利用した成田空港高速鉄道を走る。なんと単線である。ちなみに快速は1時間に1本の運転と利用しづらい。我孫子経由としても成田から乗る列車は快速「エアポート成田」しかない。終着の成田空港のひとつ前の空港第2ビルに15時35分着。

JRの改札を抜け、京成の改札を抜け(ちょっと複雑な構内だが)、検問所で空港に入る前に係官に旅券を見せ質問を受ける。旅客でなくても身分証明書の提示を求められるので、送迎や見学の人も運転免許証等の携行を薦める。空港第2ビル駅は成田空港の第2ターミナルにある。第1ターミナルなのに間違えて下車してしまったら、両ターミナルを結ぶバス(無料)を利用すれば良い。再度、検問所を通る事もない。

さっそく団体カウンターで搭乗手続き。ちなみに手配旅行だから、団体のカウンターでも団体旅行をする訳ではない。検査を受けて手荷物を預ける。ここのおかげで大変な事となるのだが後の話。手荷物を最終目的地で受け取るのではなく、乗り継ぎ地バンクーバーで手荷物を受け取り、 ロサンゼルス行きの飛行機に再度預けるのだという。カナダに入国するのか、よくわからない。第一勧業銀行本店営業部成田空港出張所で3万円を米ドルに両替する。レートは1ドルが108円75銭で、USD 275.00(29,906円)となった。郵便局ではがきを投函(最後の手紙とならなきゃいいが)、郵貯ATMで払戻して少し日本円も持っておく。海外旅行傷害保険は死んだらそれまでなので、一番安い5,000円のものにする。書店で英和・和英辞典(2,853円)を購入(いまさらの感が)、売店でアルカリ電池(315円)を購入し、日本円を封筒にしまい込んだ。

日本人出帰国記録カードに記入して出国審査。間違いなく日本国千葉県成田市にいるのだが、もう出国してしまったことになっている。シャトルでサテライトへ移動。このシャトル、ゴムタイヤの新交通システムのようだが、乗り場は1編成が発着できるだけで、これから向かう反対側の乗り場にも1編成がおり、それぞれの乗り場の中間点で左右に軌道が膨らみ走行中のまま交換している。まるで比叡山のケーブルのようである。これから搭乗するのはカナディアン航空(Canadian Airline)の2便バンクーバー行き17時55発である。以前、ノースウエスト航空(Northwest Airlines)で渡米した時は、隣接する搭乗口から米本土行きの数便が前後して出発するため、サテライト内は座るところもない有様だったが、こちらは定員の少ない機種でもあり、搭乗口の前には充分に席に余裕がある。

格安航空券の経路は、カナディアン航空で往路が東京(成田)→バンクーバー→ロサンゼルス、復路はサンフランシスコ→バンクーバー→東京(成田)となっている。ロサンゼルスとサンフランシスコの間は陸路で移動するつもりなのでオープンジョーである。ロサンゼルスに到着するのは今日の15時15分の予定だが、日本標準時(JST: GMT+9)と米国・カナダの太平洋標準時(PST: GMT-8)との間には-17時間の時差があってわかりづらい。公衆電話の時報(117番)で腕時計を PST にしておく。外国において時報(117番)のサービスがあるのか知らない。

- Thursday, January 27th, 2000 -

初めてのカナダの飛行機に搭乗する。航空機や船舶の中は、その国籍・船籍の国の扱いである。日付も英文表記にしてみた。さて、機内はカナダで冬のスポーツを楽しもうという日本人が多い(当たり前か)。第2ターミナルから第1ターミナルの南側にある滑走路まで移動すると、夜の闇の中へと離陸した。 (つづく)