2.バンクーバーへ
2度目の北米大陸に向かってカナディアン航空の2便に搭乗している。機内放送は英語と仏語、そして日本語である。座席は窓の遠い中央部だったが通路側で便所に行くには便利である。白人女性の客室乗務員が茶菓子(おかき)を配り、飲み物の注文を聞いてくる。さっそくだがウイスキーの水割りを頼む。空気の乾燥した機内での一盞はうまい。やがて食事も配られる。2種類から選べる。何を選んだか忘れたが、日本人向けの味だったと思う。全く口に合わないビーフストロガノフを出したノースウエストとは違う。ワインやビール、コーヒーも頼んだ。映画を放映している夜間も頻繁にコーヒーやジュースを提供する。ノースウエストは男性の客室乗務員が水ばかり持ってくる。頼めば他の飲み物も持ってきたのだろうが。
何やらカードが配られる。カナダ入国に関するものらしいが、英文・仏文表記なので辞書をひきながら苦戦していると、通路を挟んだ席の日本人女性が旅行会社作成の記入方法のコピーを見せてくれた。どうも乗り継ぎだけの私には記入不要と思われる。日本人客室乗務員が通りかかったので聞いてみると、やはり不要との事。乗り継ぎのバンクーバーでカナダ入国はしなくてよいようだ。しかし荷物は受け取らねばならない。あとは居眠りしたり、文庫本を読んだりして過ごした。夕食からあまり間もないし、座っているだけだから腹も空かないが、朝食も残さず頂戴し、雲の下に入ると海と島々を見て YVR - Vancouver International Airport に、27日午前9時45分(日本時間28日午前2時45分)に到着した。
晩香坡(Vancouver, BC)、かつて氷川丸がシアトル(Seattle, WA)とともに日本とを結んでいた港町である。ちなみにシアトルは沙市と書くらしい。氷川丸は横浜船渠、のちの三菱重工業横浜造船所で昭和5年(1930)竣工、同年シアトル航路に就航している。昭和16年(1941)より航路は休止され、戦時中は病院船、戦後は復員輸送にあたり、昭和28年(1953)にシアトル航路に復帰している。私が初めてアメリカ(海外)の地を踏んだ桑港(San Francisco, CA)とともに、晩香坡は太平洋を渡ってきた者には相応しい地ではないか。
客船から上陸した訳ではなく残念だが、到着した空港はなかなか奇麗である。アメリカ乗り継ぎの表示にしたがって進む。カナダ入国の旅客とは別れる。やがて手荷物を受け取るターンテーブルがある場所に着いた。カナディアン航空の日本人スタッフがいたので聞くと、ここで手荷物を拾って、この空港内でアメリカの入国審査を受け、再度手荷物を預けてアメリカ行きに搭乗するのだという。審査後はアメリカ国内線のようなものである。ようやく手順が解った。しかるに私の手荷物が出てこない。とうとうターンテーブルは止まってしまった。先ほどの日本人スタッフに調べてもらう。カナダ入国のターンテーブルに行った可能性があるからだ。しかし見つからなかった。つまりカナディアン航空2便には私の手荷物は積み込まれていなかった。後続便で送られるだろうが、最悪、世界のどこかの空港に行ってしまったとも考えられる。今までこんなトラブルはなかったし、成田だから大丈夫だろうと思っていた。手荷物紛失に関する手続きは最終目的地で行うらしい。更に格安航空券なので予定の便で最終目的地に行かねばならないらしい。手荷物問題が解決しないままバンクーバーを離れなければならない。不安である。取りあえず盗難にあったわけではない。しかし着の身着のまま過ごさねばならない。呆然としたまま、日本人スタッフに見送られてアメリカ入国審査に向かった。
飛行機の到着から2時間近く経っている。もう審査を受けるものなど誰もいない。審査官も暇そうである。出入国記録カード (I-94W) 、関税申告書(何もないが)に記入して入国審査を受ける。行列無しであっさりと、あっけなくアメリカ入国できた。入国審査は緊張するものだが、とほほ気分での入国は初めてである。旅券を見ると、赤のスタンプで
U.S. IMMIGRATION
VANCOUVER, B.C. 232
JAN 27 2000
ADMITTED________
UNTIL CLASS
黒のスタンプで
WT/WB
APR 2□ 2000
とある。きちんと押されていないのが有効期限は4月の何日迄かなのだろう。WT/WB とは何だろう(後日判明したがWTは観光、WBは商用との事、何で両方書いてあるのか不明)。ロサンゼルス行きの搭乗口に向かう。日本人もいないようだ。ふと見ると出張風の白人男性は手荷物は携行している。私もそうするべきだったと悔やむが、後の祭りである。待合室にはコーヒースタンドや雑誌などの売店がある。果物が豊富に並べられているのを見て、外国にいるのだと実感した。時間はあるのでコーヒーくらい飲んでも良いのだが、ショックから立ち直れないのと、カナダドルを持っていないので(米ドルも使えたのだろうが)、何もせずに飛行機の出発を待つ。次に乗るのはカナディアン航空503便で12時25分発である。昭和63年(1988)に札幌(千歳)-東京(羽田)間で初めて飛行機に乗って以来、12年間で利用したうちで一番小さな飛行機である。中に入ると通路が1本あって左右に3列ずつである。新幹線の車内のようである。さえない気分のまま大事件のあったバンクーバーを後に、南カリフォルニアに向けて出発した。 (つづく)
2度目の北米大陸に向かってカナディアン航空の2便に搭乗している。機内放送は英語と仏語、そして日本語である。座席は窓の遠い中央部だったが通路側で便所に行くには便利である。白人女性の客室乗務員が茶菓子(おかき)を配り、飲み物の注文を聞いてくる。さっそくだがウイスキーの水割りを頼む。空気の乾燥した機内での一盞はうまい。やがて食事も配られる。2種類から選べる。何を選んだか忘れたが、日本人向けの味だったと思う。全く口に合わないビーフストロガノフを出したノースウエストとは違う。ワインやビール、コーヒーも頼んだ。映画を放映している夜間も頻繁にコーヒーやジュースを提供する。ノースウエストは男性の客室乗務員が水ばかり持ってくる。頼めば他の飲み物も持ってきたのだろうが。
何やらカードが配られる。カナダ入国に関するものらしいが、英文・仏文表記なので辞書をひきながら苦戦していると、通路を挟んだ席の日本人女性が旅行会社作成の記入方法のコピーを見せてくれた。どうも乗り継ぎだけの私には記入不要と思われる。日本人客室乗務員が通りかかったので聞いてみると、やはり不要との事。乗り継ぎのバンクーバーでカナダ入国はしなくてよいようだ。しかし荷物は受け取らねばならない。あとは居眠りしたり、文庫本を読んだりして過ごした。夕食からあまり間もないし、座っているだけだから腹も空かないが、朝食も残さず頂戴し、雲の下に入ると海と島々を見て YVR - Vancouver International Airport に、27日午前9時45分(日本時間28日午前2時45分)に到着した。
晩香坡(Vancouver, BC)、かつて氷川丸がシアトル(Seattle, WA)とともに日本とを結んでいた港町である。ちなみにシアトルは沙市と書くらしい。氷川丸は横浜船渠、のちの三菱重工業横浜造船所で昭和5年(1930)竣工、同年シアトル航路に就航している。昭和16年(1941)より航路は休止され、戦時中は病院船、戦後は復員輸送にあたり、昭和28年(1953)にシアトル航路に復帰している。私が初めてアメリカ(海外)の地を踏んだ桑港(San Francisco, CA)とともに、晩香坡は太平洋を渡ってきた者には相応しい地ではないか。
客船から上陸した訳ではなく残念だが、到着した空港はなかなか奇麗である。アメリカ乗り継ぎの表示にしたがって進む。カナダ入国の旅客とは別れる。やがて手荷物を受け取るターンテーブルがある場所に着いた。カナディアン航空の日本人スタッフがいたので聞くと、ここで手荷物を拾って、この空港内でアメリカの入国審査を受け、再度手荷物を預けてアメリカ行きに搭乗するのだという。審査後はアメリカ国内線のようなものである。ようやく手順が解った。しかるに私の手荷物が出てこない。とうとうターンテーブルは止まってしまった。先ほどの日本人スタッフに調べてもらう。カナダ入国のターンテーブルに行った可能性があるからだ。しかし見つからなかった。つまりカナディアン航空2便には私の手荷物は積み込まれていなかった。後続便で送られるだろうが、最悪、世界のどこかの空港に行ってしまったとも考えられる。今までこんなトラブルはなかったし、成田だから大丈夫だろうと思っていた。手荷物紛失に関する手続きは最終目的地で行うらしい。更に格安航空券なので予定の便で最終目的地に行かねばならないらしい。手荷物問題が解決しないままバンクーバーを離れなければならない。不安である。取りあえず盗難にあったわけではない。しかし着の身着のまま過ごさねばならない。呆然としたまま、日本人スタッフに見送られてアメリカ入国審査に向かった。
飛行機の到着から2時間近く経っている。もう審査を受けるものなど誰もいない。審査官も暇そうである。出入国記録カード (I-94W) 、関税申告書(何もないが)に記入して入国審査を受ける。行列無しであっさりと、あっけなくアメリカ入国できた。入国審査は緊張するものだが、とほほ気分での入国は初めてである。旅券を見ると、赤のスタンプで
U.S. IMMIGRATION
VANCOUVER, B.C. 232
JAN 27 2000
ADMITTED________
UNTIL CLASS
黒のスタンプで
WT/WB
APR 2□ 2000
とある。きちんと押されていないのが有効期限は4月の何日迄かなのだろう。WT/WB とは何だろう(後日判明したがWTは観光、WBは商用との事、何で両方書いてあるのか不明)。ロサンゼルス行きの搭乗口に向かう。日本人もいないようだ。ふと見ると出張風の白人男性は手荷物は携行している。私もそうするべきだったと悔やむが、後の祭りである。待合室にはコーヒースタンドや雑誌などの売店がある。果物が豊富に並べられているのを見て、外国にいるのだと実感した。時間はあるのでコーヒーくらい飲んでも良いのだが、ショックから立ち直れないのと、カナダドルを持っていないので(米ドルも使えたのだろうが)、何もせずに飛行機の出発を待つ。次に乗るのはカナディアン航空503便で12時25分発である。昭和63年(1988)に札幌(千歳)-東京(羽田)間で初めて飛行機に乗って以来、12年間で利用したうちで一番小さな飛行機である。中に入ると通路が1本あって左右に3列ずつである。新幹線の車内のようである。さえない気分のまま大事件のあったバンクーバーを後に、南カリフォルニアに向けて出発した。 (つづく)