仕事で秋田に関係するようになって、東北--特に北東北をかなり旅した。その中で、どうしても訪ねたい二つのコースが残っている。一つは東の海岸線「三陸の旅」で、もう一つは西の海岸線「五能線の旅」である。
その一つ五能線の旅を、今回ようやく実現することができた!、かに見えた。しかしそれは、列車に乗り込む直前にキャンセルすることになり、夢は無残に消えた。
今回の秋田出張は、9日(金)に会議、11日(日)に町の行事に終日参加、という日程で、10日(土)が完全に空いた。しかもその日、同行者はそれぞれ別の予定が入っていたため、私一人が空いたのだ。私はこの絶好の機会を捉えて、かねてから暖め、狙っていた五能線の旅を実現することにした。
事前調査により、列車のどちら側が海岸線の席かなど調べ上げ、どこで降りて何をして、帰りの五能線にいつ乗り込むかなど、綿密な計画をたてて予約した。(同線は全席指定席)
その計画は……、8時52分八郎潟駅で下り五能線に乗り込み、海岸線を満喫して五所川原まで往き、そこで降りて津軽鉄道で金木に行って、太宰治記念館「斜陽館」をゆっくり楽しみ、15時11分の上り五能線に乗り込み18時33分八郎潟に帰り着く…、途中、十二湖駅あたりで日本海に沈む夕日を眺めることになっていた。
ところが、金曜日の会議が予定通り終わらず、翌土曜日の午前中にずれ込むことになった。私は予定外のずれ込み会議を無視しようかとかなり悩んだのであるが、考えてみれば、今回の出張はその会議の重要性によるものであっただけに無視しえず、ついにその朝8時30分、乗車予定の22分前に五能線切符をキャンセルしたのであった。
それにしても惜しいことをした(付け加えておくが、昨夜から雨になったが私の乗車予定時間のその地は晴れていた)。私は読みたい本を3冊ばかり持ち込み、列車の窓側で秋田、青森の酒などをちびちびやりながら、日本海をゆっくり楽しむつもりでいた。五能線についての資料もそれなりにそろえておいた。たとえばWikipediaによれば・・・、
・五能線は、1908年開業した秋田側の「能代(現在の東能代)~能代町(現在の能代)間」と、1918年の青森側の陸奥鉄道「川部~五所川原間」の開業に始まり、やがてこれがつながった1936年に全通した
・従って、五能線は「東能代~川部」間を言う。(私はてっきり「能代~五所川原」間と単純に思い込んでいた)
・営業キロ数は147.2km、全線単線(複線区間も電化区間もなし)
などなど、となっている。楽しいのは、眺めの良い箇所は列車のスピードを落としてゆっくり走るというのだ!
これらの資料も、とりあえず不発に終わったようなものだが、まあしかし生きていれば必ず乗る機会もあるだろう。もしかして、神は「お前ももう少し生かしてあげよう」と計らってくれたのかもしれない。