上高地をはじめ北アルプスの魅力を広く世界に知らしめたのが、イギリス人宣教師ウォルター・ウェストンであることは私も知っていた。(彼の名著と聞く『日本アルプスの登山と探検』を未だ読んではいないが) しかし今回いろいろと読んだり聞いたりして、もっと古い歴史があることを知った。義兄の話や、『るるぶ「上高地、乗鞍、高山、奥飛騨」』などによれば
・ 最古のアルプス登頂記録は、文政11(1828)年で、富山の僧侶播隆上人。彼はもちろん信仰のためで、阿弥陀如来、観世音菩薩、文殊菩薩の三体を槍ケ岳に祀った。
・ 外人ではウェストンの15年も前(明治10年、1877)にウィリアム・ガウランドという英国人冶金技師が槍ケ岳に登った。
・日本人としてはじめて穂高に登ったのは鵜殿正雄・・・などなど (同書68ページより)
そして何よりも、これらの人たちの大半を案内したのは、上条嘉門次という猟師で、これが大変な名ガイドであったということだ。明神池のそばに嘉門次小屋としてその名が残り、その栄誉をたたえてレリーフも立てられている。嘉門次小屋で名物と聞く「岩魚の塩焼き」を食べたかったがその時間がなかったし、この人物については不思議な魅力を感じるので、やがて義兄に詳細を聞き出すつもりだ。
加えて驚いたことは、昭和10(1935)年(私の生まれた年)には、河童橋までバスが乗り入れられたこと、それより前の昭和8(1933)年には「上高地帝国ホテル」が開業しているという。帝国ホテルさんもやるもんですなあ。
このようなことを考えながら、明神池から上高地温泉ホテルまで、右岸の木道を歩いた。左岸に比べ右岸は木道が多く、白樺とだけかんばの黄葉を漏る木漏れ日がその木道に揺らいでいた。実に久しぶりに気持ちよく歩いた。
上高地温泉ホテルの二階の部屋の窓を開けると、梓川をはさんで「六百山、三本槍、霞沢岳」のごつごつした山並みが眼前に迫る! これは迫力があった。いつまでも見飽きぬ風景に見とれていると、やがて赤焼けたあと暗くなり、驚いたことに、六百山の左肩から十四夜の月が浮かんだ。
この絶景を存分に見納め、大風呂に身を浮かべ疲れた足腰を癒す。風呂場には、この宿に泊まった文人たちの短歌や俳句が大きくつづられており、これがまた、都会でささくれ立った心を癒してくれる。その中の一つふたつを…。
窓さきの青葉洩る日に我が影や湯槽の底に揺れてただよう
島木赤彦
この部屋をうけもつおとめものごしも
朗らかにして山の話す 斎藤茂吉