今度のヨーロッパ旅行の中で、「マルクスの足跡を追う」というテーマをひそかに掲げていたことは既に書いた(9月16日付「手作りの旅(4)」ご参照)。そしてそのようなテーマは「既に時代に合わないテーマかも?」とも書いた。
そのとおり時代に合わなかったのか、このテーマは一つとして実現しなかった。
そもそもこのテーマを掲げたのは、今回の旅の根拠地フランクフルトから、マルクスの生地トリアーが比較的近いこと、それと次の訪問地がロンドンで、ロンドンこそマルクスが30数年を費やして『資本論』を書き上げた地であったからだ。トリアーの生家跡には『資本論』の初版本が保存されており、ロンドンの大英博物館図書室にはマルクスが30年間通い詰めた「席の跡」が残り、またソーホーの住家跡は「クォ・ヴァディス」というパブになっていると聞く。これをグルリと一回りしようと思ったわけだ。
ところが出発の6日前、9月13日付毎日新聞のコラムが、「大英博物館図書室では中国が兵馬俑展を展開、マルクスの席は覆い隠された…」と報じた。いやな予感がしたのであるが、いくら兵馬俑が並んでいても「席の痕跡」ぐらいは見ることができるだろうと思い、疲れを押して大英博物館を訪ねた。
ところがやはり、「兵馬俑展のために一切見ることはできない」と言う。私は、前述のコラムの記事を思い浮かべながら地団太を踏んだ。そのコラムにはこう書かれていた。
「…“中華帝国”の偉業をほうふつとさせる展示によって、マルクスが研究にいそしんだ場所は覆い隠されてしまうことになった。何かしら象徴的な出来事のような気がする。共産主義の権威よりも漢民族と国家の威厳。そんなふうに中国指導層の深層心理の中で優先順位が大きく回転し始めている。……」
私はせめての思いを翌日のパブ「クォ・ヴァディス」にかけたが、これまた時間がなくなって行けなかった。そしてついに、中途半端に残されたトリアー訪問も、ライン下りやハイデルベルクなどを効率的に回ることを優先して取りやめることになった。トリアーはモーゼルワインの産地であるので、それだけでも行きたかったのであるが。
すべては、大英博物館図書室の兵馬俑に始まった。そこでマルクスの席に触れておれば、私は無理をしても後の二ヶ所を訪問していたであろう。
それにしても、マルクスは遠くなりにけり、という感を否めない。