旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

ノイシュヴァンシュタイン城(4)ーー何がこの美を生み出したか

2007-11-04 11:35:00 | 

 

  一点の雲もない快晴!
 アルプスの山ふところに広がるバイエルンの高原は美しかった。
 その山の中腹に立つ城は、この世のものとは思えぬ姿で、紅葉の中に屹立していた。まさに「狂気の人間が建てたに違いない」と思わせるような雰囲気をたたえて・・・・・・。

 前回、精神病に仕立てられたルートヴィヒ二世の非業の顛末を書いたが、彼が正常な、むしろ常人をはるかにしのぐ高潔な人物であったとする記録がたくさんある。彼は帝王学を学ぶこともなく王位に就いたが、それだけに「己に課せられた使命を非常に真剣に受けとめ、一人の君主がなすべき日常の雑務と徹底的に取り組んだのであった」(ユリウス・デージング著『王 ルートヴィヒ』5頁)
 もう一つ、彼がむしろすぐれた君主であったことを示すドイツの宰相ビスマルクの言葉があるので書きとどめておく。ルートヴィヒ二世と親交の深かったビスマルクは『思想と思い出』のなかで次のように書いているという(前著5ペジより)

「・・・私は王がドイツ国家的見解を持った有能な君主であるという印象を常に受けていた」

 ルートヴィヒ二世はあまりにも人間的過ぎたのかもしれない。あまりにも純粋であった。そして彼を取り巻く人々は権謀術策にたけ、権力、利権、私利私欲に走る「いわゆる常人」であった。人を測る物差しは逆転していた。凡人どもが正気とされ、純粋な人間こそ狂気とされた。
 彼は政争を嫌い、戦争を憎み、それらに日常的に係わる周囲の人間どもから逃避していった。シラーの詩を読みワーグナーの音楽を愛した。そして何よりも、彼が唯一信頼したものは南バイエルンの美しい自然であった。自然は決して裏切ることがなかったから。
 彼の死が自殺か他殺か、また事故死かはわからない。ただ、彼が既に死を求めていたことだけは確かではないか?

 それにしてもノイシュヴァンシュタイ城には不思議な魅力がある。そしてそれは、狂気の人にしか作り出せなかったのではないか、と思わせるところに、この城と建設者の悲劇があるのであろう。
                      


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