公明党がついに集団的自衛権の容認へ足を踏み入れたようだ。言葉では一部容認とか極めて限定的とか言っているが、認めてしまえば同じことだ。一度認めれば、それが一部だろうが限定的だろうが、そんな枠はどうにでも解釈されて拡大される。つまり全く別の次元に足を踏み入れるということなのだ。
自衛隊の創設や派遣自体、本来は憲法に違反するが、自衛ということに限定し、少なくとも他国の戦争に出かけることだけはしないとしてきた。憲法9条からどう見てもそれは無理であるからだ。自民党自体もそう解釈してきた。
ところが安倍内閣はどうしてもその枠を取り払い、同盟国とはいえ他国と一緒に戦争のできる国にしたいようだ。いくらなんでもそれは無理だと、これまでの公明党なら反対するはずであった。
かなり与党ボケしてきた公明党に、私はかすかな望みをかけていた。だって、公明党の基盤はむしろ戦争で一番被害を受ける最下層の国民であり、常に平和をスローガンに掲げてきたと思っていたから。もちろんそれは幻想であった。そのようなことを期待する方が間違っていたのだ。
とにかく安倍政権に賛成する大義名分を探し回り、40年以上も前の憲法解釈か何かを見つけ出して集団的自衛権容認の根拠を引っ張り出してきたようだ。反対するためではなく、何とか賛成する根拠を探し回って与党に居座り続けようとするあたり、与党ボケの極みと言っていいだろう。
かくなるうえは国民の幅広い良心、戦争だけはだめだ、9条だけは守る、という運動を地道に広げていくしかないであろう。日本は大きな曲り道に差しかかっていることは事実だ。