酒はその地で本物を飲みたい。オランダではジェネーヴァの本物を飲みたいと思い続けたが、お決まりコースの短日ツアーでは思うように行かない。ついにこれぞ、というジェネーヴァにはありつけなかった。
しかし私は、毎年一回、本物を飲む機会を持っている。
港区芝公園にあるオランダ大使館で、毎年10月3日に大使夫妻主催の「ニシンパーティ」が開かれる。日欄協会会員である私は、それに参加する光栄に浴することができる。そこで私は、オランダ本国直送のニシンの酢漬けを頬張りながら、大使館備え付けのジェネーヴァを飲む。
なぜそのような会が催されるか、それにはいささか説明が要る。
16世紀の初めから、オランダは、支配弾圧を続けるスペインに対し八十年戦争といわれた独立戦争を戦ってきた。その最終場面、特に英雄的なライデン市民は、市長を中心に砦にこもり、一年間に及ぶスペイン軍の包囲を戦い抜く。長い籠城のもたらす飢餓は悲惨で、市長が「私の肉を食って戦い続けよ」と自ら命を絶ったという伝説まで生んだ。
ついにライデン市民は、海洋国オランダらしく、自ら水門を断ち切りスペイン軍を水没させてこの戦いに勝利する。
時に1574年10月3日・・・飢餓から開放されたライデン市民はニシンを食べあって、この歴史的勝利を祝ったという。そしてこの日は、今もライデン市最大の祭りであり、全世界にニシンを贈って自らの歴史と喜びを発信し続けているのである。
私もそのおこぼれにあずかっているのだ。
この話には続きがある。時のオランダ国王ウィリアムは、ライデン市民の功績を称え「向こう何年間かの税を免除しよう」と伝えた。しかし、それに対しライデン市民は、「税金は払います。それよりも大学をつくってほしい」と望んだという。
こうして生まれた大学が、いくつか書いてきたように「チューリップを育て」「ジェネーヴァを造った」ライデン大学である。日本になじみ深いシーボルトもライデン大学の教授であった。
ライデン市民のこのような壮大な気宇は、何によって生み出されたのであろうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます