既に、早くも春分を過ぎて陽気を迎えようとするが、風は冷たく、冷気は厳しい。そして、この時節を迎えると必ず小鳥たちがこの歌を唄う。
春は名のみの 風の寒さや。
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず。
時にあらずと 声も立てず。 (以降略)
吉丸一昌 作詞
中田 章 作曲
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わが庭には、鶯(うぐいす)ではなくメジロが…
吉丸一昌(明治6年9月15日生、臼杵町海沿、のち市浜住)は、特に語学、漢文、文学に優れ、臼杵をも超えて大分中学(元上野丘)、第五高等学校(熊本大学)を学んで、明治30年には東京帝国大学(東京大学)に上りつめた。加えて音楽に優れ、『新作唱歌』全十集など作成、自らの名歌も多く編集していた。
吉丸一昌は、その時(明治30年)東京に行くため臼杵を発った。交通機関もなく大分に向かうため、豊後の六ヶ迫峠を歩いた。その峠から臼杵の町をふり返えり、この美しい歌を詠ったと言われている。
吉丸一昌は、その時(明治30年)東京に行くため臼杵を発った。交通機関もなく大分に向かうため、豊後の六ヶ迫峠を歩いた。その峠から臼杵の町をふり返えり、この美しい歌を詠ったと言われている。
園の小百合、撫子、垣根の千草。
今日は汝を眺むる最終の日なり。
今日は汝を眺むる最終の日なり。
思えば涙、膝をひたす、さらば故郷。
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。
(以降略)
吉丸一昌 作詞
ドイツ民謡
吉丸一昌は大正5年3月7日急逝、44歳。
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このブログをツレと一緒に読んで、思わず歌いました(笑)臼杵出身の方とは、知らなかったと、吉丸一昌さんのことを、あらためて認識したようです。
3月に臼杵に17回忌のため、帰省します。臼杵人物記、次はどなたかしら…楽しみです。