森友学園問題がマスコミ界を賑わすようになって、忖度(そんたく)という聞きなれない言葉が飛び交っている。広辞苑を引くと、「他人の心中をおしはかること。推察。」と出ている。共同社会を営む一般人間社会の中では、お互いに相手の心を推し量りながら、相手を傷つけず、できるだけ問題を起こさないように生きることは必要であろう。その意味では、忖度というのは大変良い意味の言葉であろう。
ところが、今世間を騒がせている政治家、官僚がらみの事件にあっては、どうも悪だくみの陰にその忖度が働いているのではないかと報じられ、また世間もそう見ているのである。森友学園の籠池理事長は、安倍晋三首相夫人を名誉学園長に引っ張り出し、一時は学園名に安倍の名前を付けようとまでして安倍色を打ち出し、その意向を利用して有利な学園設立を図ろうとした。首相の名前をちらつかせられた官僚側は、当然その意向を「忖度して」要望に応えてきた、というわけだ。
不穏を感じた首相夫人は名誉園長を辞退し、何も関係ありませんと言っているのであろうが、官僚に働きかけた事実が、FAXなどの物証として出てきた。確かに夫人が直接依頼した形跡は残していないが、「首相夫人付キャリア―官僚」が交渉にあたり、その結果を夫人に報告している事実までFAXには記載されている。相談を受けた官僚どもが、首相夫人、ひいては安倍首相からの意向、とその意を忖度して行動したことは十分に想像できる。
首相は躍起になって「私も家内も一切かかわりない」を叫んでいるが、多くの一般国民はそれを信じていない。世論調査でも圧倒的多数が「首相側の説明は信じられない」としている。国民は、忖度という言葉を、そのむつかしい意味にもかかわらずよく理解しているのである。政治と官僚の世界では、現実には目に見えないが、お互いに忖度しあって悪だくみが行われているということを、長い歴史の中で知ってきたからだ。
東京都の豊洲問題だって根は同じだ。東京ガスとの、あれほど大きな取引を水面下でやるというのだから、そもそも「忖度だらけ」といっていいだろう。東京ガスとどんな利害関係があったのか知らないが、とにかく「豊洲移転ありき」で上も下も忖度しあいながらことを進めてきた。その結果、最高責任者たちは、「下に任せた」、「聞いていない」、「記憶にない」と責任逃れで逃げまくる。
忖度ほど目に見えないものはない。また、これほど憶測の飛び交う世界もない。しかし、真実はたった一つであるはずだ。それをこそ暴くのが、国会であり都議会であると思うのだが。
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