民主党の小澤一郎党首と西松建設の政治献金問題がもめている。
そもそも小澤一郎という人は、田中角栄金脈問題以来の流れを汲む人物で、そのようなことがあることに何も驚きを感じない。一方の自民党にも同質の問題を抱えている人の名前がぞろぞろ出てきており、お互いになじり合っているが、これこそ「目くそ鼻くそを笑う」というものだろう。
このようなことが発覚するたびに「政治と金」が問題になり、企業と政治家の癒着が問題になるが、既存政治は、それを完全に断つ改革をやろうとは絶対にしない。つまり金との結びつきが「政治」の命であるので、既存の政治家の下でそれが行われることは無いのであろう。改革の素振りを見せて必ず抜け道を作り、金とのつながりを保ち続ける。
その意味で自民党はもちろん、民主党にも一切の信頼を抱いていない。このようなことが重なるに連れて、国民は政治不信を重ねていくであろう。それが怖い。それは、いつ、どのような形で爆発するのであろうか?
北欧やオランダの本などを読んでいると、消費税が20%などと高くても国民に不満は無いと書かれている。そのような国に行ったとき多くの人に質問してみたが、答えは不満は無いというものであった。その最大の理由は「収支の透明性」であり、消費税により福祉、医療、教育などが保障されている安心感にあるようだ。
政治に関わる「金の使い道とその透明性」が、日本ではなぜ保障されないのだろうか?
もう一つ、それらの国の本を読むと、国会に自転車で向かう議員などに、手を降って挨拶している市民の姿が書かれている。何も外国かぶれするつもりは無いが、それらの国会議員は企業利権や金よりも国民生活に目を向けていると思える。もちろんそれらの国でも、汚職もあり公金使い込みもある。ただ、それらがすぐ正される仕組みや透明性が違うので、国民は政治を信頼しているのであろう。
日本の交通事情では、自転車で国会に通うのは無理かもしれないが、政治家も企業献金の抜け穴作りに精出すよりも、もう少し国民と同じレベルの生活をしてみたらどうか?
の受注のために必要ということで企業トップが進め、
政治家が、そういう違法の献金だと全然知らなかった
といって平然としている社会です。国民が怒ってそう
いう人、そういう人が所属している政党には投票しな
いという時代にならないといけないと思います。