臼杵の風景は昔と変わらず美しかった。暖かい陽気に誘われ臼杵川の堤防を上流まで歩き、二王座をはじめ武家屋敷やお寺の続く町並みを歩いた。紙雛(かみびな)を飾る家々は、60~70年前の記憶を蘇させる同じ看板や名札を下げていた。当時から何代か後の人が住んでいるのであろうが。
子供の頃から、我が家の前を流れる臼杵川の堤防から見る景色が、臼杵で一番美しいと思ってきたが、その思いは今も変わらなかった。それは、南面の山(その名のとおり「鎮南山」と呼ぶ)と緑に抱かれた寺の瓦屋根が臼杵川に影を落とす姿である。歌のとおり「山は青く水は清き」ふるさとである。
今度の帰京は何度も書いたように、いよいよ動きのなくなった母を見舞うためであった。
その母は、「帰ってきたよ」と大声で話しかける私と妻を、交互にジーッと見つめていつまでも目を離さなかった。そして何か言おうと身を震わす素振りを示し、確実に私の存在を分かったと思うが、ついに言葉を吐くことはなかった。
弟によると、一月ぐらい前から歌を歌うことをやめ、声を出すことがなくなったという。最後の夜、弟夫妻とともに「母と歌う」試みに再び挑んだ。弟がウクレレをかき鳴らし、母が最も愛した「海(うみはひろいなおおきいな・・・)」や「ふるさと(うさぎおいしかのやま・・・)」を、四人で顔をのぞき込みながら歌った。母は私たちの顔を交互に見つめ続け、声を出そうと肩を震わせているかに見えた。
しかし、ついに、母があれだけ歌い続けた歌を歌うことはなかった。
私たちは、何度もなんども歌った。
山はあおきふるさと 水は清きふるさと
美しいふるさとの山河・・・、その常に変わらぬ姿を見るにつけ、人の世のはかなさを思うのであった。
去年の夏に竹田に行った時に美術館で臼杵のお雛様の本を見ました。
臼杵のお雛様は有名なようですよ。
MIXIから連絡があったのですが、IDなどを忘れて開けず、貴方へのお誕生日のお祝いがおそくなってすみません。
お互いに頑張りましょう。たまには遊びに来てください。
首藤さんのご実家で夕食をいただいた折、壁面に貼られた大きな紙に「バラが咲いた」の歌詞、そしてご家族、もちろんお母上もご一緒に、が私たちのために「バラが咲いた」を心をこめて歌っていただきました。こういうおもてなしを受けたことがありませんでしたので、帰りの飛行機の中で家内と「我が家でも何かこういうおもてなしができるよう歌の練習をみんなでやろうか」と会話したことも思い出しました。
残念ながらまだ実現に至っていませんが、お母上の様子を聞く機会を得て、これはがんばって実現しなければと心を新たにいたしました。
誕生日コメントありがとうございました。
今日明日と妻と二人で伊豆に小旅行の予定でしたが妻が花粉症でキャンセルせざるを得ませんでした。
この時期は動きが制限されます。
旅のプラズマは毎日見ています。
二日に回しか更新が無いのは知っているのですが・・
今日は酒の事を書いたのですが書く時に多少このブログを意識して書きました。
今後とも宜しくお願いします。
ps.
MIXIは私も放置状態です。
貴方は、おふくろの気持ちを歌を通じて今に残してくれていると思います。
おふくろは既に歌うことを止めましたが、あなた方の心の中に生きていることを、息子として誇りに思っています。
衷心からの感謝を込めて。 和弘
ウクレレ伴奏で歌ったのですが、(いちばん乗ってくるはずなのに)反応は示すものの、声に出ません。
皆さんの思いも込めて、明日も、私は母の傍で歌ってみようと思っています。
それは、母が歌い続けていることを意味するから・・・