旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

シカゴ

2007-05-12 16:02:13 | 

 

 初めてのアメリカはシカゴであった。1988年の初夏のこと。
 弟が電子部品にかかわる事業を経営していたことから、毎年社員の何人かを連れてCES(Consumers Electronics Shows)という家電商品関係のショウの見学に出かけていた。その会場がシカゴであったのだ。私は門外漢であったが、1988年と89年に二年続けて参加した。
 このショウは面白かった。そして門外漢の私にも大変勉強になった。そのとき書き残した『アメリカ駆け歩る記』という紀行文の中から一篇をを抜き出し、「日米技術力の勝敗の行方」という章にまとめて『旅のプラズマ』に収録した。
 そして何よりも、初めてのアメリカ――特にそのエネルギーに強烈な印象を受けた旅であった。
 シカゴはミシガン湖西岸の最南端に位置し、前に大ミシガン湖、後ろに広大なイリノイ平原を従え、鉄骨高層建築発祥の地と言われる建築の街である。
 オヘア空港から市街に向かう車窓から見た光景・・・、ぐんぐん近づいてくる林立する高層ビル群に先ず圧倒されたのを思い出す。最高峰のシアーズタワー(当時、世界の小売業をリードしていたシアーズ・ローバックの本社ビル)は、110階、443メートルで当時世界一の高層ビルであった。
 これらのビル群が、真っ青な天空に競い合うように抜き出ていた。CESの会場のマコーミック・プレイスも連日雲ひとつない快晴であったように記憶する。それは日本とは違う、なにか乾燥しきった明るさであった。
 その明るさと、その中をさえぎるものなく伸びている高層ビル群に、まずアメリカのエネルギーを感じたのであった。
                            


不思議な魅力を持つ国アメリカ!

2007-05-11 21:57:18 | 

 

 ゴールデンウィークを終わり名古屋出張などに出かけていたら、早くも5月は中旬を迎えている。不順な天候の中にも、季節は確実に夏――《最も明るい季節》に向かっている。
 この季節を迎えると、私はアメリカの旅を思い出す。雨の日も曇りの日もあったのであるが、私のアメリカは常に明るく、真っ青な空に向かっていた印象が強い。
 アメリカは不思議な国である。建国未だ2百数十年の若い国でありながら、世界の超大国として君臨し、若いだけに粗野な振る舞いも加わって極めて横暴である・・・、と私には写る。戦争好きで、力ずくの外交を展開し、外交の域を超えて実弾を打ち込む戦争を絶え間なくやる国である。個人的な名前を出すのは品を欠くが、ブッシュなど私は好きでない。
 ところがアメリカの思い出は尽きない。開放的で明るく、平等で気安く、前述したような粗野な一面を持ちながら分厚い文化を蓄積している国・・・という印象もぬぐえない。実際は大きな較差社会であり人種差別も厳しい国でありながら、民主主義の最先端をいく国、という印象も与えられている。それは母国イギリスが何百年もかけて育んだ民主主義にさえ飽き足らず、新天地にもっと大きい民主主義を花咲かせようとした建国精神に根ざすのであろうか?

 
とにかく、この季節の旅はアメリカである。私はアメリカに五回旅したが、この季節を中心に《明るい季節》ばかりであったような気がする。
 しばらくその思い出を綴ろう。
                           


菖蒲湯に浸かって

2007-05-06 14:13:31 | 時局雑感

 

 昨夜、疲れを癒そうと風呂に入ると、根っこのついた菖蒲(しょうぶ)が束ねられて浮いていた。
 ・・・ああ、今日は端午(たんご)の節句か・・・・・・
と、私は菖蒲の浮かぶ湯舟に四肢を伸ばした。

 昨日は、二日遅れの結婚記念日(1963年5月3日結婚)を祝おうと昼前に出かけ、日比谷で映画を見て、帝国ホテルの「なだ萬」で、ちょっとはりこんだ昼食をとった。散歩がてらに買い物などをして帰宅したのは、かれこれ夕刻であった。
 妻はいつの間に菖蒲を買っておいたのだろうか。

 年越し蕎麦(そば)から雑煮(ぞうに)、七草粥(ななくさがゆ)にはじまり、3月には雛(ひな)を飾り、5月には菖蒲湯(しょうぶ-ゆ)を沸かす。土用(どよう)の丑(うし)の日には無理をしても鰻(うなぎ)をとり、冬至(とうじ)には柚子湯(ゆず-ゆ)に入る・・・。妻はこのような四季の営みを忘れることなく行う。
 菖蒲は「邪気をはらう」と言われ、柚子は「しもやけやあかぎれに効く」という。夏の暑気は、鰻の精力を借りて乗り切ろうとするのであろう。太古から日本人は、このように自然とともに生きてきたのだ

 私などは仕事にかまけて、このような先人の知恵すら忘れている。それを忘れることなく、さりげなく行ってくれる妻を愛しく思う。
 今の若い世代に、どの程度このような伝統が残り、伝えられているのだろうか。
                             


太田光氏の『憲法9条を世界遺産に』について

2007-05-05 19:32:03 | 政治経済

 

 憲法記念日を迎えて、このところ憲法について書いてきた。9条を守りたいという一心からであるが、9条を永久に守る究極の策として、太田光氏の「憲法9条を世界遺産に」という提案に触れぬわけにはいかない。
 ここ2~3年、意表をつく面白い本が出てきて楽しく思っている。例えば、養老孟司『馬鹿の壁』、藤原正彦『国家の品格』、久坂部羊『日本人の死に時』などなど。その中でもはるかに意表をつく、すごい問題提起をしてくれたのが『憲法9条を世界遺産に』という本であった。
 3日のこの欄で、私は「日本国憲法は、日本国民が国の全てを焦土にまでして手に入れた”稀有の賜物”であった」と書いた。賜物などと書けば、この憲法をアメリカに押し付けられたよそ物と攻撃する連中の言葉に乗ることになるのかもしれないが、私はそのようなことより、二十世紀の二度にわたる悲惨な大戦の代償として、天が、全世界を代表して日本国民に与えてくれた”賜物”ではなかったのか・・・、という気がしたのであった。
 『・・・世界遺産に』のなかで太田氏が言っているように、日本国憲法は日米合作であった。しかも若き良心(草案起草に当たったのは20~30代の若い人々であった)が、あらん限りの理想を追求した結果であった。

 これを今失ったら、二度と帰ってこないような気がする。
 まさに世界遺産というにふさわしい!

 それにしても「世界遺産に」という発想は素晴らしい。どのような頭の構造を持っておれば、こんな発想が生まれるのであろうか? 優れた漫才士という特殊な能力にして、初めて生み出し得たものなのだろうか
 いずれにせよ、世界遺産に登録できれば9条は永遠に守ることができるだろう。9条を守る最も確実な方法に違いない。(それだけに実現は困難だが)

 改憲勢力の執拗な動きを見れば、爆笑している暇はないが”爆笑問題”に頼るしかないのか・・・。
                             


憲法をめぐる攻防

2007-05-04 15:52:52 | 政治経済

 

 何としても現憲法(特に9条)を守りたい、という願いから、国民意識がどこにあるのかを知りたくて、昨日書いたように日刊5紙を買い込んだ。いずれもかなりのページを割いて主張を展開している。
 最も強行に改憲を主張しているのは読売。特に9条に絡んでは「集団的自衛権については『持っているが行使できない』という自己矛盾の政府解釈を変更すべきだ」とし、もはや「憲法改正を待つことはできない」と、改憲に向けたあせりすら感じられ、私は恐怖感を覚えた。
 同じく改憲姿勢を打ち出している日経は、「自衛権ないし自衛の組織保持を明記し、併せて文民統制の原則や海外派遣の際の国会承認を盛り込む」改正の方向を提案している。しかし、集団的自衛権行使にどこまで踏み込むか、自衛隊の国際貢献のあり方など議論を詰める必要あり、とやや慎重姿勢。
 毎日はかねてより論憲の立場を掲げているが、「不都合があれば改憲も否定しないが、結論を急ぐ必要はない」とし、それよりも「国連中心に国際協力を拡大」しつつ、「平和主義を進化させよう」と主張、現憲法の良さに着目している点でほっとした。
 明確に「9条を変えることに反対」を主張しているのは、朝日と赤旗。まず朝日は、「地球貢献国家を目指そう」と主張を掲げ、「戦争放棄の第9条を持つ日本国憲法は、そのための貴重な資産だ。だから変えない。これも私たちの結論だ」と高らかに宣言している。
 赤旗は、読売の世論調査でさえ改憲賛成という回答は減少しており、特に各種世論調査で「9条を8割が評価」していることに立脚して、「世界に誇る9条を守ってこそ」世界に貢献できると主張している。
 読売だけでなく、日経の世論調査でも、「改正すべき」は過去5年間、61、58、55、54、51%と、一貫して減っている。反面「現状のままでよい」は、32、33、28、29、35%と傾向的には増えている(5月3日付日経新聞1面)。国民投票法案などの審議が進むにつれ、国民は慎重になりつつあると言えよう。
 特に8割の国民が評価している9条は、その総意から言っても絶対に変えさせてはなるまい。
                           


憲法記念日に思う

2007-05-03 15:33:48 | 政治経済

 

 日本国憲法は施行60年、今日で還暦を迎えたわけだ。この憲法が60年間に果たした役割は、日本にとっても世界にとっても計り知れないものがあるのではないか。日本が現在の経済、文化大国(?)に成長してきた背景に、この憲法の役割は欠かせないし、世界あちこちの戦争勢力にとって、「国際紛争解決の手段として、戦争武力による威嚇、または武力の行使は、これを永久に放棄する」という宣言は、どこかで“心の重み”になって来たに違いない。
 
日本は、無謀な帝国主義戦争の結果、全てを失った対価としてこの憲法を手にした。この憲法は、国土を全て焦土にしてまで手に入れた“稀有の賜物”と言えよう。だから日本国民は、この稀有の賜物を慈しみ、大事に大事に育て上げて今日まできた。
 
とかくこの憲法は「アメリカ占領軍に押し付けられた」とか「日本人が自ら作ったものではない」などと言われる。成立の経過にそのような要素があったかも知れない。しかしたとえ「与えられた」としても、日本国民はこれを受け入れ、自分のものとして慈しみ、育て上げて、自己の血肉としてきたのである。この憲法は今や誰のものでもない、60年にもわたって珠玉のように守り育ててきた日本国民固有のものである。
 
反面、時代の変遷はこの憲法にいくつかの変質を迫ってきた。その典型が第9条と自衛隊、特にその海外派遣などであろう。変質は、日本国憲法がもっとも輝く箇所、最も稀有な部分(永久に戦争を放棄するという絶対的平和主義)に向けられてきたのである。そして今、現実(自衛隊の存在や、日米軍事協力の強化要請など)と理想(60年にわたって自ら守ってきた平和主義)のはざまで揺れている。国民意識も徐々に改憲思考が強まってきており、趨勢は過半数を越えつつある。もちろん憲法9条を変える意向はまだまだ少数であるが・・・。

 何としても現憲法(特に9条)を守りたい、と思う。

 その思いから、久しぶりに日刊紙5紙を買い込んでその主張を読んだ。その感想は明日。

                      


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