旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

早くも春を迎える

2011-02-04 14:51:04 | 時局雑感

 

 今日は立春。暦の上では早くも春を迎えたわけである。今年の冬は、年末から寒い日が続いたが、昨日からやっと暖かくなった。今日の最高気温は14度とも言われ、長く続いた10度以下から久しぶりに10度台となった。季節の移ろいとは不思議なものである。
 もちろん、これからも寒い日がいくらでも来るだろうが、しかし、所詮は三寒四温を繰り返し徐々に暖かさを増し、やがて春たけなわを迎える。うれしい季節である。

 今年の最初の大がかかりな行事は、3月9日出発予定の「オーストラリア・ニュージーランド旅行」だ。私はこの計画を「旅行」と称し、しかも初めての南半球旅行として楽しみにしているが、実は、この旅の正式名称は「登戸混声合唱団オーストラリア、ニュージーランド演奏旅行」というものだ。つまり登戸混声合唱団が、オーストラリアのウロンゴン市(シドニーの南40kmの都市)と、ニュージーランドのクライストチャーチ市で、地元の合唱団と合同の合唱演奏をするための旅だ。
 ワイフがそのメンバーであるため、私はサポーターとして参加するのだ。「貴方もクチパクでいいから歌わないか」と誘われもするのだが、ドッコイ! それを引き受けると、いくらクチパクでも大変な時間を奪われることになりそうなので固辞、専らサポーターに甘んじている。しかも、サッカーのサポーターは相当なエネルギーを消費してチームの勝利に貢献するが、私は、合唱交流の成功はもちろん願うが、またそれにあやかって現地の人々との交流を大変に楽しみにしているが、合唱よりも初めてのオセアニア旅行を楽しもうと言うわけだ。
 その点では不良サポーターではあるが、心豊かな登戸合唱団の方々はこれを許してくれている。既に2年前の台湾(タイペイ)演奏会にもサポーターで参加させていただいている。

 6日の日曜日に旅行会社の詳細な説明会があるので楽しみだ。出発まで1ヶ月強となり、そろそろ体調の管理に注力しなければならない。なんといっても後期高齢者で、いつ死んでもおかしくない年頃なんだから。


音楽ビアプラザ「ライオン」での娘の誕生祝い

2011-02-02 12:37:55 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 1月31日は娘の誕生日なので、前日の30日、銀座ライオンの「音楽ビアプラザ」(銀座7丁目の同ビル5階)で誕生会をやった。そこではオペラ歌手たちの生出演があり、食事をしながら演奏を楽しむことが出来るからだ。
 娘が誕生日前日の30日を望んだのは、その日にお目当てのソプラノ歌手が出演するからだ。こちらは楽しい音楽を聞きながら一杯やれるなら、何時でもいいというわけだ。

 ところがその日の演奏はなかなかのものであった。女性ばかりであったが歌手3人、ピアノ、ヴィオラ、ヴァイオリンの演奏者3人の6人構成、4ステージに渡る盛りだくさんの演奏だ。その一つに「お祝いと乾杯」というステージがあり、誕生日などのお祝い対象者にご希望の曲を捧げるという企画となっている。
 娘もその対称になり、舞台に上げられて「ご希望の曲」を献じられた。もちろん娘はお目当てのソプラノ歌手末吉朋子さんを指名し、ドニゼッティのオペラの中のアリア(題名は忘れた)を希望した。
 私はこの歌手を初めて聞いたが、その素晴らしさに驚いた。実に張のある美しい声で見事に歌い上げ、客席の私は思わず「ブラボー!」を叫んだ。娘もそのガッツのある歌いっぷりがすっかり気に入り、満足な誕生会となったようだ。

     

 もう一つ素晴らしかったのは古舘由佳子さんのヴァイオリンだ。テレビなどでもヴァイオリンを聞く機会は多いが、久しぶりに心をひきつけられる思いをした。「とにかくヴァイオリンが好きで、チェコやハンガリーなど東欧を歩き回った」と言っていたが、力強さとジプシーのメランコリーを併せ持つ演奏であった。その地でしか築き得ない味といえよう。ワイフも娘も気に入って彼女のCDを1枚購入したほどだ。

 料理はもう一つであったが、長靴型のジョッキの黒ビールといい、聞き応えのある演奏といい申し分ない夜であった。

       


不愉快極まりない小沢一郎「起訴」への対応

2011-02-01 10:56:32 | 政治経済

 

 小沢一郎氏が予定通りが強制起訴された。検察が「証拠を挙げ切れなかった」として不起訴にした事件を、国民が強制起訴に導いたものだ。国民はその怪しさを見抜いており「当然裁かれるべきだ」としたのだ。
 本人は、一切やましいところはないとして何の反省も無く、議員辞職も離党もしないとしているが、そもそも4億円もの金の報告(政治家の義務としての収支報告)につき、記載したのかどうか知らなかったなどと言う責任者に、上に立つ人間としての資格があるのだろうか?いわんや国会議員として国の政治を動かしたり、その責任を負う政党の中枢を担う資格があるのだろうか?
 一円でも安い品があれば隣駅のスーパーまで買いに行く国民の金銭感覚からして、4億円の金の記載、不記載を知らなかったなどと言う感覚は理解の外である。
 しかし小沢一郎と言う人間には、そのような一般国民の常識や良識、もっと言えば人間としての品格は無いと思われるので、恐らく、反省するとか自ら身を引くとかはないのであろう。 
 菅・岡田体制も、自らの体制保持のため影響力の強い小沢氏処分など出来ないだろう。ここにも、国民政治のことより自分の地位を守る方が重要という政治家の浅ましさが見える。

 結局この問題はなんの解決も見ずにことが進んでいくのだろう。最後にそれに結論を出すのは有権者であるはずだ。小沢氏と、その下にぶら下がっている国会議員を、その選挙基盤の有権者は再び選出するのだろうか? 恐らく彼らも小沢氏の「金にまつわる薄汚さ」を十分知っていると思うが、それだけにその庇護の下で“国会議員としての地位を守りたい”と思っているに違いない。そのような人間を選挙民は再び国会に送り出すのだろうか?
 それだけは考えて欲しい。小沢氏はもちろん、議員の多くは国民のことなど考えることなく保身に徹しているのだから、このような事件に根本的な断を下すのは、国民の選挙行動しかない。


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