旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

オリンピックの東京招致について

2013-09-09 12:51:55 | スポーツ

 

 2020年のオリンピック開催が東京に決まった。これを受けて日本列島は喜びに湧いている。テレビに映る人々の表情を見ると、国民の素直な喜びがあふれている。
 私は、このオリンピック招致をそれほど熱狂的に喜んでいない。今の日本には、他にやることがあるのではないかと思うからだ。
 北日本大震災の真の復興、中でも福島原発の処理の彼方にある原発廃棄とエネルギー問題、バブル崩壊後の長期不況からの真の脱出と、その過程で生まれた中産階級の貧困化を伴う新たな貧困問題、年金問題などに見る将来不安、特に若者の閉塞感、凶悪犯罪の続出と教育問題…などなど。

 日本は戦後最大の危機にあると思われる。この危機はかなり深刻で、オリンピックの招致による、単に「夢を持とう」とか「経済的効果」などで乗り越えられるものかと不安に思う。熱狂に浸ることで、重大な問題解決を怠ることになりはしないかという不安がぬぐえないからだ。

 しかし、招致は決定した。かくなる上は、その実現の中で、前述した諸問題を解決していく道筋をつけることであろう。たとえば、安倍首相は「福島の汚水処理問題はコントロール下にある。責任を持って処理する」と全世界に公約した。コントロール下にないことを含めこの言は実行させねばならない。全国民は、この公約の実施を厳しい目で見続けなければならないだろう。
 2020年のオリンピックが新たな日本を切り開く端緒となるかどうかは、国民の「厳しい監視と要求」いかんに委ねられていると言えよう。


37年ぶり、広島時代の旧交を温める

2013-09-07 10:41:57 | 時局雑感

 

 1977年11月、私はM銀行広島支店に融資課長として赴任した。その時、主任として課の業務を取りまとめてくれたM君と、最若年課員として懸命に働いてくれたK君と、昨夜37年ぶりに杯を重ね広島時代を懐かしんだ。
 なぜそのようなことになったか? 実は、この3人が東京の同じビルで働いていることが判明したからである。
 M君は、前社を退職して時間的ゆとりができたこともあって、わが社の仕事を手伝ってもらっていた(1年間のみ)ので、当然私と同じビルにいた。ところがある日、M君がエレベーターの中で偶然にもK君と会って、同じビルに入居する他社で働いていることが判明したのだ。
 われわれ3人が、3人とも広島支店にいたのは1年足らずでった。その3人が37年を経て、何千万人が働きビルが林立する東京の、同じビルで働く確率がどのようになるのか、私には分からない。

 何はさておきこの寄寓を喜び合おう、と昨夜一杯飲むことになったのである。当然のことながら懐かしい広島の話で盛り上がった。最大融資先の宇品造船、金輪ドックの倒産のこと、全盛時代の広島カープのこと、毎日飲んだ賀茂鶴のおいしかったこと、大きな“お好み焼き”や小さないわし“小いわしの刺身”のことなど……。
 書き連ねればきりがないが、最後は、10数年ぶりにAクラスを伺いそうな広島カープの今年の健闘を祈って別れた。
 


竜巻、ゲリラ豪雨、カミナリ、……

2013-09-05 17:08:44 | 時局雑感

 

 昔から夕立やカミナリは常にあった。夕立はお湿りと冷気をもたらしてくれる有難いお恵みで、夕方になるとむしろ心待ちに待ったものだ。それと同時に雷鳴もとどろくが、先祖からの言い伝えにしたがってお臍を隠す程度で、むしろ楽しみのようなものであった。
 ところが、快晴の空が一挙に暗くなり、底が抜けたような雨とともに急激に近づく雷鳴は、お臍どころか命を取られるのではないかと恐怖を誘う。この年になって初めて雷が怖いと思うこの頃である。
 それが竜巻となっては最早御しがたい。アメリカのニュースではよく聞いていたが、日本にはよほどのことがない限り竜巻は起こらないのではないかと思っていたが、関東のあちこちで毎日起こるようでは、いよいよ日本も心安らかに住める地ではなくなったのか…?

 ゲリラ豪雨も、全国をまんべんなく襲っている。しかし東京は少なく、特に私の住む杉並区上高井戸はゲリラ豪雨らしきものが少ない方だ。
 ところが今朝は、5時過ぎごろ激しい雨の音で目が覚めた。道に水があふれるほどの事もないので軽い方なのだろうが、雷鳴も近づき、もしかして竜巻が起こるのではないかと思ったりして何だか怖かった。
 78歳、いまさら惜しむ命でもあるまいに、異質な気象現象というのは怖いものだとつくづく思った。


アメリカのシリア軍事攻撃に反対する

2013-09-03 13:28:59 | 政治経済

 

 防災月間を迎えて、予想のつかない自然の猛威から、どう身を守ったいいのか不安が多いと書いた。(前回9月1日付)
 しかし、身を守らなければならない相手は自然だけではない。アメリカはシリアを軍事攻撃すると公然と宣言している。軍事攻撃というのは、相手の施設の破壊もあるが、そこにいる人も殺すということだ。その規模や展開の仕方によっては、一般市民も殺すということだ。

 アメリカのシリア攻撃の理由は、シリアが化学兵器(大量破壊兵器)を使用したということだ。化学兵器の使用などもってのほかで、もし真実ならとんでもないことで、シリアは世界の非難にさらされてしかるべきだ。
 しかし、それはアメリカに向けられたわけでもないのに、なぜアメリカはシリアを軍事攻撃する権利を持っているのだろうか? 国連をはじめ世界の世論を総動員してシリアに止めさせる手はないのか?
 アメリカは世界の大国である。彼ら(首脳陣?)には、既にイラク戦争などで示されたように、「アメリカは世界の憲兵であり、世界中のならず者を懲らしめる使命がある」という思い上った思想があるようだ。いくら大国だろうが、だれがそのような使命や権利を与えたというのか?

 大量破壊兵器の最たるものは核兵器だ。それを最も大量に保有している国はアメリカで、「自分に脅威を与える可能性があると判断した場合は先制攻撃してもよい」という怖い思想の持ち主だ。
 アメリカこそ、世界で最も怖いならず者と言われてもしかたあるまい。


 


関東大震災より90年 … 防災のキメ手はあるか?

2013-09-01 14:32:23 | 時局雑感

 

 あの関東大震災より90年目を迎えて、今年の防災月間は差し迫った感を受ける。とはいえ防災のキメ手などあるのか?

 このところ日本を襲っている猛暑と豪雨は、「かつて経験したことのない現象」ばかりだ。そもそも2年前の北日本大震災が、「想定外の現象」であったと言われたことに始まり、人間の浅知恵ではどうにもならない末期的段階に人類は踏み込もうとしているのではないか?
 人類は欲望の赴くまま自然を食いつくしてきた。マグロもウナギも高価で食えないどころか絶滅するかもしれないといわれている。
 それよりも、自ら処理する方法も見いだせないままに原子力を使い散らかして、いまや住むこともできない地域を広げている。自然もそろそろ堪忍袋の緒が切れるのではないか?

 とはいえ、現実に地震が発生すれば、それは一般庶民に等しく降りかかってくる。関東大震災の写真が流されているが、人々はそれなりの避難地に逃げているが、その非難した場所自体が火柱に包まれたりしている。
 この高層建築が立ち並ぶ大都会に、逃げる場所などあるのだろうか? 行動力の鈍った年寄りなどが「想定外の現象」から逃れるなど不可能ではないか? しかし、何か対策ぐらいは考えねばならないのだろう。


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