当日記を読んで下さっている友人知人から時々お叱りを受ける。
「話がカタクて面白くも何とも無い」と。
それではと、気を取り直して精一杯の話題転換を試みると、今度は「話がヤワラか過ぎて、おまけに下品で読むに耐えない」と。
そして最後に留めの一発が入る。
「クダラナイ!」。
どうやらアクセルとブレーキの力加減を知らない老モウ・ドライバーの境地に至ったらしい。
老モウ・ドライバーは危険だが、老魔人の日記には危険を伴わないので今暫く書き続けたい。
ちなみに「クダラナイ」は下らないと書く。
現代では東京(江戸)に行くのは「上り」で東京を発つのは「下り」である。
狼魔人が東京に行くと「おのぼりさん」になる。
しかし江戸時代は「のぼり」と「くだり」が逆であった。
勿論御門が住む京都に行くのが「のぼり」で将軍の住む江戸に行くのが「くだり」であった。
「くだらない」とは、つまらないとか程度が低いと言った意味でよく使われる。
語源はこの辺りから来ているらしい。
つまり権威の象徴のお住まいの京都から江戸に「下って」来た物品は、「下り物」として織物でも何でも高級品、上物の代名詞であった。
ところが京都から「下って」こない物はその辺の低級な「くだらない」物でつまらないものの代名詞となった。
嘘のようだが、これ本当の話。
沖縄では現代でも琉球王朝時代でも北へ旅するのを「上る」と言ったようだ。
「上り口説」という沖縄音楽がある。
首里城を発って薩摩に上る旅の道中の風景を唄ったもので沖縄では今でも良く歌われている。
上り口説
一、旅の出で立ち観音堂千手観音 伏し拝で黄金酌とて立別る
二、袖に降る露おし払ひ大道松原 歩み行く行けば八幡崇元寺
三、美栄地高橋打渡て袖を連ねて 諸人の行くも帰るも中の橋
四、沖の側まで親子兄弟連れて別ゆる 旅衣袖と袖とに露涙
五、船のとも綱とくどくと舟子勇みて 真布引けば風やまともに午未
六、又も廻り逢ふご縁とて招く扇や 三重城残波岬も後に見て
七、伊平屋渡立つ波おし添えて道の島々 見渡せば七島渡中のなだやすく
八、もゆる煙や硫黄が島佐多の岬 はい並でぃエイ あれに見ゆるは御開聞 富士に見まがう桜島