狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

日銀総裁の投資は「生けるインサイダー取引」だ!

2006-06-15 09:14:19 | 県知事選

日銀福井総裁が村上ファンドへの投資を解約した時期について、今朝、共同通信の昨日の最終配信(6月14日23時3分更新)を見てヤッパリとの感に打たれた。

解約申しいれは、量的緩和解除直前の2月であったことが判明したという。

2月と言えば緩和解除で株式市場への資金流入が細り、ファンドの資金運用が難しくなる可能性出てきた時期だ。

市場では「売り抜けよう」という声が出てきた時期だ。

「量的緩和解除」を決定するインサイダーの親玉、いや、その存在そのものがインサイダーの日銀総裁が「その時期」に売り逃げしたとなれば、これは紛れもなく「インサイダー取引」だ。

一般にいう「インサイダー取引」とはインサイダーの情報を先取りして取引をすることをさすようだが、日銀総裁はインサイダー情報を作る立場だ。

日本の金融市場の金利さえも変えうる立場の人間が自分の子分たる村上ファンドを使って「財テク」はないだろう。

売り逃げは成功したが、今日の記者会見で如何言い逃れるつもりなのか。

                  ◇


◆解約申し出、なぜ2月 日銀総裁のファンド投資

 日銀の福井俊彦総裁が村上ファンドへ1000万円を投資していた問題で14日、解約を申し入れた時期が量的緩和解除直前の2月であったことが新たな問題点として浮上してきた。緩和解除で株式市場への資金流入が細り、ファンドの資金運用が難しくなる可能性があったためで、市場では「売り抜けようとしたと言われても仕方がない」(ヘッジファンド関係者)と、脇の甘さを問題視する声が出ている。
 福井総裁が就任時に継続していた投資を突然解約しようとしたきっかけが何だったのかが焦点で、15日の記者会見などで説得力のある説明を求められそうだ。
 総裁は13日の参院財政金融委員会で、2月に解約を申し入れた理由について、自らがファンである阪神球団の経営に関与しようとした同ファンドの行動に「強い違和感を感じた」と説明した。
(共同通信) - 6月14日23時3分更新
 

◆産経抄
平成18(2006)年6月15日[木]
 人の懐具合をあれこれ詮索(せんさく)するのは、人品卑しい行為だと教えられた。金銭を貴び、世辞にうれしがるのは粋でないとみなされた。それでも世の中は万事色と欲だから、気になるのが人情というものだ。「通貨の番人」日銀総裁が錬金には目がなかったと聞いては心穏やかではない。
 ▼福井俊彦総裁が希代の錬金術師、村上世彰容疑者と親密な仲にあり、ファンド設立のさいに「激励する意味」でポンと1000万円を投資した。ファンドの利回りからすぐに計算する人がいて、平成11年から7年間で1500万円の運用益を手にしたという。

 ▼日銀総裁に就任するさいに、解約を考えたが、完全にファンドまかせだから「まあいいか」ということになったらしい。「法の番人」である裁判官と同じように、「通貨の番人」も独立、中立、公正が厳格に求められるとの自覚がなかったのだろうか。どうもすっきりしない。

 ▼まして、村上ファンドが「うちには福井総裁が資金を預けている」と営業活動をすれば、立派な広告塔になる。明らかに許容の限度を超えており、ことし2月に解約したといっても遅い。「日本銀行員の心得」にいう世間から疑念を抱かれるような利殖は慎めとの内規にも背くだろう。

 ▼自国の通貨がよその国でも通用するなら、その国の信頼性が高いことの証明になる。日本の「円」は、戦後しばらくは紙くずみたいな扱いを受けてきた。いまの繁栄は、日本人の勤勉、節約、才覚によって信頼性を築き上げたものだ。

 ▼総裁の発言や行動は、為替相場や株式市場を左右する。だからこそ「通貨の番人」は、聖人君子といわずとも公正さの体現者でありたい。いまさら、そんな日銀総裁のありようをいわせないでほしかった。

 

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思い出歌探しの旅 第二楽章

2006-06-15 07:41:31 | 音楽

昨日のエントリーで「想いで歌探しの旅」を書いたら、早速読者から「勘違いがある」とのご指摘を頂いた。

河井坊茶の件の歌はNHK「ラジオ歌謡」の歌ではなく、同じ時期大阪朝日放送の「ABCホームソング」から生まれた歌だったようだ。

その中から「ふるさとのはなしをしょう」「公園の手品師」「川は流れる」等のヒット曲が生まれたようだ。

なにしろ半世紀も前のラジオ番組のこと。
 
NHKの「ラジオ歌謡」と大阪朝日放送の「ABCホームソング」の放送から流れた歌を勘違いするのは仕方ない・・・と自己弁護しつつ先を進む。

                  ◇


河井坊茶という奇妙な名の歌い手というだけで、正確な曲のタイトルが分からない。 

うろ覚えながらかぐや姫の歌だったことは間違いなかった。

ヤフー検索で「かぐや姫」を検索したらかぐや姫関連の曲は南こうせつの一人舞台だった。

云うまでもなく「南こうせつとかぐや姫」は人気グループである。

青春の歌と銘打って・・・「神田川」、「赤提灯」等々が多数出て来るが、求める「我が青春の歌」は何処にも見当たらない。

以前に自分の仕事の業界雑誌に「カラオケ」について駄文を書いた時、「想いでの青春の唄」とは多少の個人差はあるが、18歳を基準に上下に10歳を加えた時代に流行った歌だと独断を書いた。

大雑把に言えば、8歳前後から28から30歳頃に流行った歌覚えた歌ということになる。

南こうせつは1949年生まれなので守備範囲に含まれる。

「神田川」には一寸時代がズレるがそれなりの青春があった。

「神田川」の前奏と間奏のヴァイオリン・ソロの部分が気に入って、ライブ酒場等で下手なヴァイオリンを弾いた事を想いだした。

「かぐや姫」というグループ名なのにこのグループが「かぐや姫」の歌を歌っている事はあまり知られていない。

フォークの一時代を築いた人気グループで、「神田川」、や「夢一夜」はカラオケの定番になっていて、持ち歌にしているご同輩もいるであろう。

南こうせつがまだ無名の頃,これも無名の阿久悠の作詞でフザケタかぐや姫の唄を歌っていた。

作曲者の南高節とは勿論南こうせつのことである。

「かぐや姫」から連想する上品なイメージとかけ離れて、何とオ下劣なお姫様な事!


酔いどれかぐや姫    阿久 悠 作詞 南 高節 作曲

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
あやしいことばを投げて
おー 町の男を 誘っている


探し求めていた我が「かぐや姫」は深窓の令嬢とも言うべき清らかなイメージだ。

検索の旅の途中で遭遇した阿久悠の「酔いどれかぐや姫」によってその清純なイメージは木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。

阿久悠もも同じ時代の空気を吸って生きてきた悪友だったのかも知れない。

しかし、旅の途中で脱線してはいけない。

気を取り直して再び検索の迷路に入り込んで行った。

苦節三年。

遂に求める思い出の唄の歌詞にたどり着いた。

検索の旅を彷徨った挙句「たずね歌・さがし歌」(現在閉鎖中の模様)というサイトにたどり着き、そこで求める歌詞に実に半世紀ぶりの対面をした。

求める想いでの歌は「吟遊詩人の歌」で副題が「かぐや姫」であった。

そして歌詞は、五番まで続く壮大な叙事詩であった。

                  ◇

冒頭にも書いた通り何しろ半世紀前のラジオ番組のこと。

勘違いに、思い違い、それにもっと厄介なの「思い込み」。

長年、それこそ半世紀もの間、河井坊茶の歌った「かぐや姫」は岡本敦夫の「白い花の咲く頃」と同じく「ラジオ歌謡」生まれの歌だと思い込んでいた。

そして河井坊茶との対面?によってもう一つの大きな「思い込み」に気がついた、・・・がそれについては後に触れたい。

今「思い込み」が解けて冷静に考えて見ると「ラジオ歌謡」と「ABCホームソング」では扱う歌のニュアンスが一寸違うような気もするのだが。

今後も「思い違い」、「思い込み」等に気がついた方がおればご教示をお願いしたい。
(続く)

 

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