国会の参考人質問で「(村上ファンドへの投資の)利益は幾らですか」と問われて、
「たいした額ではない」と答えた。
日銀総裁にとって、1000万円に対する1500万円近い利益はたいした額では無かったようだ。 しかし、これは如何でもいい。
人生イロイロ、金銭感覚もイロイロあっていい。
他人が幾ら儲けようがカラスの勝手だ。
ましてや、他所様の懐具合をあれこれ詮索するような品性の卑しさは持ちたくないと日頃自戒して生きてきた。
が、事が日銀総裁となると問題は自ずと違ってくる。
もし閣僚の誰かが今回の日銀総裁のような「ファンド・スキャンダル」に塗れたら、これは紛れも無く大臣の首が飛んでいただろう。
いや、任命権者の小泉首相も「問題ない」と他人事のように言っておれなかっただろう。
日銀は行政府からの独立を保障されており、総理大臣といえども日銀総裁の首は切れないという。
それほど日銀総裁の立場は責任が大なのだ。
その立場を称してメディアは「究極のインサイダー」とか、当日記でも「存在そのものがインサイダー」、「生きるインサイダー」と貧弱な表現力で精一杯そのインサイダー性を訴えてきた。
読売新聞がこの「インサイダー性」を面白い例えで表現していた。
「投資家は誰しも金利動向を探るべく、日銀総裁の頭の中をのぞいてみたい。自分の頭の中をのぞき放題の人が高利回りを享受する投資家でありつづけた。」(読売新聞2006年6月20日編集手帳)
金利を決め、日本の金融政策の細部を知る日銀総裁の頭の中を覗き放題だったら、投資額の2.5倍の利益を得るのもそんなに困難ではないはずだ。
「悪事」が露見した後で福井総裁は、運用益を寄付する意向であるという。
日銀総裁たるもの、胡散臭いが故に寄付せざるを得ないような利益は初めから手にしてはならぬ。
これは決して儲けの下手な男のヒガミではない。