●「北朝鮮が我々の忠告を聞かない場合は、」・・・昨日19日の記者会見での小泉首相の発言である。
言葉を続けて、仮に発射した場合には、「米国などとよく協議し、厳しい対応をとらなければならない」と発言した。
その具体的な対応の手段については「言わない方がいい」とした。
現実問題として、日本の運命は北の将軍様の胸先三寸にかかっている。
「将軍様が日本にミサイルを打ち込んだら、厳しい対抗手段は『フタク』しかない」という。
フタクとは付託。
何所に何を付託するのか。
国連の安保理に経済制裁を付託するという。
国連安保理の常任理事国には勿論日本は入っていない。
だが、中国は常任理事国の一つだ。
中国が拒否権発動すれば、フタク、もオタフクもあったものじゃない。
大体、付託を辞書で確認すると、≪[名]物事の処置などを任せること。特に、議会で、議案の審査を本会議の議決に先だって他の機関に委ねること。「特別委員会に―する」≫と、物事の解決を他に「マル投げ」することに他ならない。
国の安全保障を自分で考えずに、他に「フタク」、「マル投げ」して良いものか。
それにしてもミサイル発射に対する「厳しい対抗手段」がフタクとは。
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五、六年のことだったか、石原慎太郎が護憲派ー改憲派論争、自主防衛論争に関して刺激的な発言をし物議をかもした。
石原いわく『一度テポドンが、京都の金閣寺にでも落ちてくれたらと思う。』
そこまでの事態にならないと、この国(の護憲派)は軍事の必要性に目覚めないという論理なのだ。
この発言は石原慎太郎・田原総一朗共著「勝つ日本」の中の対談にも出ているが、当時の田原は北朝鮮がテポドンを撃つ可能性は非常に低いと見ているようだった。(「勝つ日本」http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163557202/249-9080934-4878720?v=glance&n=465392
石原と田原の安全保障への認識は違うようで、アメリカを排除すると言う点では奇妙に一致していた。
日本は日米安保によって守られていると思っている人は多いが、いざという時、アメリカが日本を守って戦うなどということがあり得ない事を 二人は共通の認識として所有している。
軍備には、「攻撃のための軍備」と「攻撃されないための軍備」がある。
後者の軍備をも必要なしとするのは、将来日本が外国に攻め入られたとして、その時「まったく抵抗致しません。」という意思表示でしかないのだ。
これでは負け犬と同じである。 日本はこのような国であってはならない。
「攻撃されないための軍備」とは、必ずしも軍備を使うことを意味しない。 いや使わないで済めばそれ以上の外交的勝利は無い。
軍備所有という事実そのものが、高度に政治的な駆け引きとして通用するのである。
外交的駆け引きの重要なカードになりうるのだ。
カード無き外交は、何度「平和的話し合い」を続けても相手国の条件を「マル飲み」する以外に無い。
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更に30年近く時代を遡る。
ロンドン大学の森嶋教授と言うだけで記憶が曖昧ながら、国の安全保障に関して「ソ連に侵攻されたら戦わずして降伏すれば良い。死なずに済むから軍備は入らない。 (奴隷になったらどうする、という反論には)死ぬよりは奴隷として生きるほうが良い」と言ったような意見を雑誌で読んで驚いた事を想いだした。
ネットは便利なもので30年ほど前の曖昧な記憶を検索で明瞭にさせてくれた。
≪森嶋通夫【ロンドン大学教授】
「不幸にして最悪の事態が起きれば、白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎えるより他ない。34年前に米軍を迎えたようにである。そしてソ連の支配下でも、私たちさえしっかりしていれば、日本に適合した社会主義経済を建設することは可能である。」
出典元:1979年3月9日『北海道新聞』より≫
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小泉首相も「奴隷の平和」について国会で発言していた。
2003年6月5日の有事法制参議院特別委員。
田英夫社民党議員との討論は記録に留め置くべき名討論だ。
7:47 社民党の田英夫氏の答弁開始
○田英夫君:(略)・・・・、だんだん戦争体験者が少なくなってきた。そういう中でもうそろそろ憲法改正していいじゃないかというような気持ちが総理を始め皆さんの中にあるとすれば、私は死ぬわけにいかない。いつまでも生きていかなくちゃいけませんよ。この戦争体験者の、そしてまた戦争犠牲者の貴重な体験というものをもっと大事にしていただきたい。いかがですか。
○内閣総理大臣(小泉純一郎君):(略)・・・自衛隊がなく、いかなる戦力も保持しない、非武装だから平和が守れるんだ、独立が守れるんだという考え方もあるのは承知しております。しかし、そういう考え方には私は同調できません。諸国民の公正と信義に信頼して、日本は武力を持たない、自衛隊を持たない、いざ侵略勢力があったら何も戦わないで降参しますということが相手への侵略を防げるかとは思っておりません。
諸国民の公正と信義、その公正と信義のない国もあるのも過去の歴史が証明しております。つい最近、イラクもクウェートを侵略しましたね。あるいは様々な国々はこの歴史の中で何回も侵略を繰り返し、戦争、紛争を繰り返しております。だから、日本だけが戦力を持たない、自衛隊を持たない、軍隊を持たなければ相手も安心して何もしないというのは余りにも危険ではないでしょうか。
私は、実験が利かないんです、これ。一度侵略されちゃったら、後どうもできない。かつてのソ連の後の圧制に苦しんだ国々がどれだけあったか。ソ連が今ロシアに変わって民主主義みたいな政界、政体に変わろうとしているのは私も歓迎しておりますが、一たび全体主義、独裁主義に羽交い締めされた国がどれほど自由を失ってきたか。
こういうことを見ると、私は単なる奴隷の平和じゃなくて、平和であったらやっぱり自由に基本的人権を謳歌しながら日本の平和と独立を維持しなきゃならない。戦争は嫌だ、侵略された方がいい。確かに戦争をしなければ侵略されて、その国の独裁に任せれば戦争は起こらないかもしれません。それだったらもう奴隷の平和です。私は奴隷の平和は選ばない。やはり平素から日本の平和と独立を侵そうとする勢力に対しては断固たる決意を持って抵抗するという、その備えがあって初めて戦争は防げるんじゃないでしょうか。
小泉さん お見事