求める歌の歌詞を見つけた時、長い想いで歌探しの旅は終わった。
が、この時点で河井坊茶の歌声に遭遇する事はなかった。
記録のため煩雑を承知で全歌詞を記載する。
「吟遊詩人の詩ーかぐや姫」 作詞作曲 三木鶏郎
1.はじめの男は印度にわたる
仏陀の石鉢天然記念物
ピカピカ光らず真っ黒なので
よくよく見たらばメイドインジャパン
(以下くりかえし)
泣く泣くかぐや姫
月の出を見て泣きじゃくる
2.お次の男は蓬莱山へ
行きと帰りで千夜一夜
玉の小枝と思ったら
話も土産もみんなイミテーション
(くりかえし)
3.第三の男が中国船(ぶね)に
頼んだ衣は火ねずみ防火服
そこで火をつけ焼いてみたら
見る見るメラメラ灰と消えた
(くりかえし)
4.四度目の男は 竜の玉を
探してこようと のこのこ出かけ
のりだす荒海 台風 具風
命からがら 逃げかえる
(くりかえし)
5.最後の男は燕を探す
今ならさだめし望遠レンズ
子安の貝をつかんだら
もっこの綱ぎれドシンと落ちた
(くりかえし)
「想い出の歌」で河井坊茶が歌う叙事詩はここで終わっている。
しかし『竹取物語』のかぐや姫の物語はこの後も続く。
簡単にその顛末を以下に紹介しておこう。
遂にかぐや姫の噂は帝(天皇)の耳にも届き、帝も求婚にやって来るのだが、それさえも断ってしまった。
何とかぐや姫は天皇に失恋の痛手を与えた美女であった。
それから三年が過ぎた頃、かぐや姫は月を観ながら悲しい表情を浮かべるようになる。
心配になった翁(お爺さん)が問いただすと、かぐや姫は「私は月の都の人間、次の十五日に、月から迎えがきます」と答える。
驚いた翁は、帝に相談し、帝は月の使者たちから、かぐや姫を守ろうと兵を揃える。
八月十五日の夜十二時、空が真昼のように明るくなり、雲に乗った月人たちが地上に降り立て来る。
帝たちの応戦は空しく、月人たちの「飛車」によって、かぐや姫は連れ去られ、「天の羽衣」を纏うと、月へと帰っていった。
普通の「かぐや姫」の絵本ではこれで物語は終わるが『竹取物語』では更に話は続く。
かぐや姫が月に帰る際に、翁や帝に不老不死の薬の入る「薬の壺」残していく。
帝はせっかく貰った、この不死の薬を、「かぐや姫に会えないのなら、不死の薬も意味がない」として、天に最も近い山で焼いてしまうよう部下に命じた。
この、薬を焼いた山は後に「ふじの山」、富士山と名付けられる。
かぐや姫の名前は富士山の別名「香具山」からとられたものかもしれない。
(完)
【蛇足】①
「青春の想いでの歌」は畏れ多くも天皇の失恋物語であった。
≪春過ぎて 夏来るらし しろたへの 衣干したり 天香具山 ≫ (万葉集巻1 28) -天皇御製歌
【蛇足】②:本稿を書き始めた時「吟遊詩人の詩ーかぐや姫」の音源をさる知人のご好意で手に入れることが出来た。
プロの歌手ではない「しわがれ声」のあの河井坊茶のオリジナルの音源である。
河井坊茶の声が耳に入った瞬間、時は一気に半世紀の壁を乗り超えた。
それは、まさに感激の一瞬であった。
タイムスリップしたその空間には、ラジオに聞き入る青春真っ盛りの少年がいた。
ここで半世紀の間の「思い込み」をもう一つ白状しよう。
河井坊茶の声は「しわがれ声」だと思い込んでいたが、50年ぶりに聴くその声は渋い味のある声で節回しも見事であった。
当時の人気歌手は三浦光一や岡本敦夫のように美声を誇る歌手が多かったせいで、河井坊茶の声が殊更しわがれ声に思えたのだろう。
しかし、あの時代に敢えて河井坊茶を歌い手に抜擢した三木鶏郎の慧眼には驚く。
今、少子高齢化を愁いる声がある一方、テレビのゴールデン・タイムの歌番組は若者の歌で占拠されている。
「ABCホームソング」や「ラジオ歌謡」のような上質の歌番組をもっと放送して欲しいものである。
高齢化は老齢化につながり、当然心身の老化は避けがたい。
高齢者が老いて益々元気でいるためには体の健康のみならず心の健康も必要である。
青春時代に心に馴染んだ上質の歌を聴く事は心の健康法であ、もっと大人の歌を放送しろと、と小声で訴えるのは我田引水になるのか。